大団円-2
ここで蘭の窮地を救った美桜の方に視点を向ける。
美桜は狙撃の直後、心の底から嘆いた。
「もう! 勘弁して!! どうして逃げてくれないの!!!」
苦労して苦労して狙撃を成功させ、無事、脱出のチャンスを作れたというのに、蘭は逃げるどころか嬉々として朧に再戦に挑もうとしている。もしかしたら蘭は天性の
境内の周囲に生えている木々が邪魔して、廃寺に対してほとんど射線は通っていない。狙撃に成功したのは、過去の嵐でなのか掘側の木々が倒れて、お堂の入り口の側面付近だけだが、わずかに射線が通っていたからだ。つまり、蘭と朧が廃寺の境内の中で戦ってくれれば、援護できる可能性がまだある。
美桜は3倍のスコープから目を離さず、城山の斜面にあるビワ畑の中、スプリングフィールドM1903を
この狙撃場所を見つけるまで本当に苦労した。
屋敷をこっそり抜け出した後、美桜は北条商会へ行き、指定された泉慶院というお寺が廃寺になっていることを聞いた。その後、地図を見せてもらい、廃寺がある場所に対して狙撃が可能になりそうな場所を検討して、南側にある山と城山の2カ所を登った。どちらも木々が生い茂り、狙撃に適した場所を探すのに難儀した。なんとか射線が通ったのが城山の東側斜面のビワ畑の中だったというわけだ。
もちろん、廃寺の周囲に建っている民家の屋根の上から狙撃するという安易な手段も考えた。そこからであればお堂の中を狙えたが、距離は100メートル足らずしかなく、賊に発見され、反撃される可能性を考えると、狙撃に適した場所とはいえなかった。
城山の斜面から、双眼鏡で廃寺を確認できたとき、美桜は心の中だけで狂喜乱舞した。地図上では距離500メートルほど。美桜の絶対的距離感覚では高度差を含めて直線距離で530メートルだった。充分、カスタムされたスプリングフィールドM1903の有効射程内にある。
双眼鏡の中に像を結ぶ、月明かりに照らされるお堂を見つめながら、中に蘭が囚われているのかもしれないと思うだけで美桜は胸が締め付けられる思いがする。
自分のせいで彼は捕らえられた。どんな酷い目にあっているのだろう。食べ物は食べさせて貰えているのか。水は飲ませて貰えているのか。朧の斬撃で受けた傷は手当てして貰えたのか。
考えれば考えるほど美桜はドツボにハマり、どんどん不安になる。
でも、自分の助けを蘭が信じてくれているのなら、必ずどうにかして彼は姿を見せてくれるはず。
そう美桜は己に言い聞かせ、双眼鏡でずっと観察しながら、夜明けを待った。そして美桜が信じた通りに、蘭は夜明け直前にお堂から出てきて、姿を見せた。
美桜は狂喜乱舞した。
見張りの賊は1名。
蘭は縄で上半身をグルグル巻きにされている。
どちらから撃つべきか迷いつつ、双眼鏡からスプリングフィールドM1903に持ち替え、美桜はライフルのスコープを覗く。
するとスコープの中の蘭の目と美桜の目が合った。
もちろん500メートルも離れたところにいて、しかもビワの木が生い茂る畑の中で保護色の緑色と茶色の着物を着た美桜を蘭が見つけられるはずもない。それでも美桜は目が合った気がした。
蘭、今、助けるから。
美桜は迷うことなくスコープの中にある十字を蘭を縛っている縄に合わせる。
距離は530メートル。縄の太さは推定3センチ。風速3メートルの南風。照準を微調整する。
全然いける!
美桜は確信し、己の呼吸を整え、ブレずに引き金を引いた。
スプリングフィールドM1903のファイヤリングピンが、.30-06弾の雷管を叩き、発火、薬莢内の爆薬が破裂して一気に膨張し、銃弾を前に押し出す。ライフリングされたバレルを通って高速回転しながら、銃弾は音速の2倍を超える速度で美桜が狙った場所へと飛んでいく。
その経過を美桜は全て感じ、理解している。それは美桜が祖母・みつから受け継いだ『周囲の力の流れを感知できる』異能の真骨頂でもある。美桜は愛銃が寸分の誤差なく作動していることを射撃ごとに感知している。小銃がいくら頑丈に、いくら精緻に作られているとはいえ、1回の射撃ごとに熱や衝撃で微細な変化が生じる。美桜は微細なそれを感知し、弾道への影響の有無を把握できるのである。
美桜はスプリングフィールドM1903のバレル後方にあるボルトを取っ手を握って前後させ、排莢し、次弾の装填を行う。
そしてすぐに狙いを定め、2発目を発射。2発とも蘭を縛る縄に命中し、銃弾が縄を
再び排莢し、3発目を装填。今度は見張りの賊の胸部に狙いを定める。蘭を縛っていた縄と比べれば巨大な目標だ。狙いを外すことは考えられない。一応、急所は外すつもりだが、運が悪ければ急所に命中するかもしれない。だが、蘭を誘拐するという大罪を犯した賊にはそれでも因果応報だと美桜は自分に言い聞かせる。
人に狙いを定めるのは美桜にとって初めての経験だ。しかし、微塵もためらうことなく引き金に指を掛ける。
人を殺すためではなく、蘭を助けるために人に照準を合わせる。自分の心が強ければ強いほど、射撃の精度はあがる。気持ちを強く持て!
頭の中はその決意だけでいっぱいになる。
美桜はいつもと寸分違わぬ動作で引き金を引き、3射目を成功させ、見張りの賊を打ち倒した。
縛る縄が解け、蘭は無事自由になった。
そしてあとは逃げるだけというのに、蘭はお堂の前の境内に躍り出た。蘭から直線距離で500メートルも離れている美桜は、彼を制止できない。
朧との戦いの中で援護できる可能性に望みを掛け、美桜はスコープ越しに蘭を見守るのだった。
ここで蘭に視点を戻す。
蘭は境内に転がっていた
その直後、異変を察知した朧と拳銃を手にした軍服姿の賊がお堂から飛び出してきた。朧には先ほどまで浮かべていた柔和な表情は微塵もない。目は暗く、口元は緩く開き、いかにも人殺しという顔をしていた。
最初に気を付けなければならないのは拳銃を構えた賊2人の拳銃だ。朧が牽制に徹すれば、蘭の動きは制限される。そうなればいかに蘭の『瞬身』をもってしても、訓練された元軍人が放つ拳銃弾は脅威となる。なので蘭はまず、賊の1人が持つ拳銃に狙いを定めて礫を投げる。『瞬身』と『怪力』を併せ持つ蘭が投げれば礫であっても侮れない攻撃力を持つ。礫は拳銃に命中し、銃身をへし曲げ、弾き飛ばした。
もう1人の賊が券銃を発射し、弾丸が蘭に命中する。――正確には蘭の軍靴の先である。蘭は回し蹴りをして、鋼鉄が入った軍靴のつま先で弾丸を弾き飛ばした。
蘭は拳銃の2射目を許さない。即座に2つ目の礫を投げ、先ほどと同じように遠くまで拳銃を弾き飛ばす。
しかしその間で朧の接近を許してしまう。
朧の斬撃で受けたダメージはもう完治している。これからは汚名を濯ぐ戦いだと蘭は身震いする。
朧はゆらりとまた消え、現れたときには腰の刀を抜き放っていた。
蘭は大きく目を見開き、朧の姿を見失うまいとして目で追う。だが、今度は突き入れてきた切っ先だけが消えた。切っ先の軌道を予想して蘭は後方に飛び退くが、切っ先は蘭の予想を大幅に超えて伸びてきて、蘭の胸もとを貫く。
鎖帷子のお陰で致命傷ではないが、2センチほど食い込み、胸骨を傷つけた。もちろん痛みはあるが、興奮でそれほど感じない。
「……浅いか!」
朧は刀を切り返す。
朧の剣戟は蘭の予想を上回っている。
予想を上回る敵の2撃目がどうくるのか予測するのは難しい。1つ間違えれば致命傷になる。
朧は突きの後に振りかぶり、斜めに振り下ろす。
刀の切っ先が再び消え、切っ先の軌道が蘭から見えなくなる。
だが、朧の手元は蘭に見え続けている。
蘭は朧の手もとから切っ先の軌道を予測し、革手袋の手甲で切っ先を止める。
しかし朧は間髪入れずに引き、再び突き入れてくる。
今度は切っ先は見えるようになるが、手元が消えた。蘭の視界から朧が消える場所がどう変化するか読めない。蘭が何に注目しているのか、朧は読み切っている。だから蘭は翻弄される。
朧の刀は突きから切っ先を跳ね上げて、蘭の頬を深く斬りつけた。
鮮血が吹き出し、蘭は焼けるような痛みを感じる。どんなに痛くても、ここで一瞬でも止まることは死を意味する。朧の攻撃をかわしてかわしてかわして、朧の息が上がったときが反撃の時だ。
しかし蘭が後ろに引いて、返す刀をかわしたとき、地面を覆っている蔦に足をとられ、大きくバランスを崩してしまった。
貰った!
朧の目がそう言っていた。
蘭は無様に倒れるほどバランスを崩していない。しかし体勢を戻そうとする一呼吸の隙があれば、朧が蘭に斬撃を加えるには充分だ。朧と対峙している蘭はそのことをよく分かっている。
ここで朧から一撃をくらえば地面に倒れ込む。そうすれば自分の機動力は落ち、圧倒的に不利になる。
南無。
そう蘭が頭の中で唱えたとき、朧が退いた。
直後、蘭の足元に銃弾が命中し、朧はお堂を陰にして身を隠す。
蘭は無理に体勢を戻さず、地面に手をついてその反動で跳び、大きな倒木を飛び越えて空中で一回転して着地。再び朧と向かい合う。
蘭の耳に遠くから乾いた銃撃音が届いた。一瞬だけ左手を見ると、今までお堂の陰になっていた城山が見えた。剣戟を避けて後退を続けていたので、幸いにも再び美桜が狙撃できる場所まで戻っていたのだ。
美桜に助けられたことが分かり、蘭は己の未熟さを恥じる。
朧に切られた頬から血がしたたり落ちてきた。
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