第9話 大団円
大団円-1
「お腹減った……」
賊たちが乗る馬車で運ばれた蘭は、古いお堂の中に縛られたまま転がされ、何度目かの“腹減った”を口にしていた。正面の扉は開け放たれ、月明かりが差し込んでいる。お堂の中にはろうそくが1本点いているだけ。ご本尊には蜘蛛の巣がかかり、枯れ葉などのゴミが堆積しているところを見ると、どうやらここは廃仏毀釈で廃寺になったどこかの元お寺だと思われた。神仏分離令からちょうど半世紀。復興したお寺もあればこうやって放置されたままのお寺もあるのが大正の世である。放置された廃寺はこのように悪人の絶好の隠れ家になるが、元がお寺なので信心故か取り壊しは進んでいない。
賊は4人。蘭と美桜に足を怪我させられた2人は蘭の側で休んでいる。もう格闘はできなくても拳銃は持っているようだ。無傷の1人は外で見張りをしている。
最後は朧だ。蘭の前であぐらをかいて目を閉じている。眠っているのか瞑想しているのか蘭には分からない。油断はならないと蘭は考えている。
「食べないと保たないぞ」
朧はうっすらと瞼を開けて蘭を見た。朧の脇にはお盆があり、その上に幾つものおにぎりが置いてある。
「だって食べたら出さないとならないじゃないですか! 出すときは縄を解いてくれるんですか?!」
「いや。やっと捕縛できたのにそれは危険すぎる。しかしちゃんと厠には連れて行ってやるぞ。袴も脱がせてやるし、ふんどしも上げてやる」
「誰がお尻を拭くんですか!?」
「誰か拭いてやるよ」
「ええええ~っ! イヤだアアア~~!!!」
などと蘭と朧は気の抜けた会話をしている。
「蘭ほどかわいいと、その気はなくてもお尻を見たら変な気分にならないとも限らんな」
「へ……変な気分ってどんな気分ですか?」
聞かなくても良さそうなことを蘭は聞いてしまう。
「お稚児さん趣味だよ」
「……お稚児さん?」
蘭には意味が分からない。
「男にも穴があるってことだ」
「なんかよくわかんないけど、やっぱりイヤだアアア~~!!!」
蘭は悲鳴を上げる。
朧は腕時計を見て時刻を確認する。
「3時か」
「返せ! それは僕のだ!」
動けない間に美桜に買って貰った大切な腕時計をとられ、蘭は激しい怒りを覚える。これだけでもボコボコにする理由になる。
「これくらいは余録だ。さて、夜明けは近い。お嬢さんはお前を助けに来てくれるかな?」
朧は蘭をみやった。
「美桜様はここには来ない」
「いや。絶対に来る。お前はお嬢さんに俺でもわかるくらい溺愛されている。お前が大切だから警察にも知らせない。お嬢さんを確保すれば俺の仕事は終わりだ。面倒だったがようやく終わりそうだ」
「いーえ。絶対に来ません」
蘭には確信がある。
「頑固だな」
「僕の方が美桜様のことをよく知っているだけです」
そう。絶対にここには来ない。
手紙の内容は朧が北条屋敷に行く前に語って聞かせてくれた。
だから美桜がこの場所を知っていることは間違いないだろう。しかしまんまとここにおびき寄せられる美桜ではない。そして賊から手紙が来たことを警察に知らせず、自力で救出を試みようとするだろうと容易に想像できる。
それは彼女が異能を持つが故だ。美桜は複数の異能を持っている。そしてそれらの異能の全てが小銃による狙撃能力に集約される。常人の想像を絶するレベルの狙撃が彼女の力だ。彼女はその狙撃能力を使って、自分の救出を試みるはずだ。
つまり言い換えれば、自分が朧たち賊の手から逃れるためには、彼女がその卓越した狙撃の力を発揮できる場を蘭が用意する必要がある。要するに狙撃対象である朧と他の賊をお堂の外に出す必要があるということだ。
彼女はこの場所が見えるところから適宜偵察しつつ、狙撃の機を窺うだろう。イノシシや鹿が出没するところを村人に教えて貰ったのなら、再びその場所を訪れるはずだと見当を付けて、射程ギリギリで待ち伏せするのと同じことだ。
明るくなるまでもう2時間もない。狙撃が可能になる明るさになってから、厠に行く、と言うのがいいだろうか。
お殿様はじいちゃんが狙撃の機会を作ったと仰っていた。これがそういうことなのだろう。
朧らはきちんと下調べしている様子だったから、狙撃は警戒しているはずだ。それでも彼らの想定が美桜の実際の狙撃能力を上回ることはない。お殿様と美桜の会話を聞く限り、この世界大戦で狙撃という攻撃手段は大きな進展を果たしたらしい。彼らがそれを正確に知っているとは考えにくいし、彼女が最新の狙撃銃を持っていることまでは把握していないに違いない。なので、せいぜい一般人が目視で見える場所からの狙撃を想定しているのでは、と蘭は想像する。ならば美桜の危険性は格段に減る。見つけられて賊から反撃される可能性がほぼないからだ。
うん。これはいけそうだ。
あとは自分の問題だ。大人しくしていた甲斐があり、肋骨の痛みは完全になくなった。骨が完全にくっつくのも時間の問題だ。祖父ほどではないが、蘭の怪我の治りは早い。夜が明ける頃には問題なく動ける。
「やっぱりをおにぎり食べたいです」
蘭が出した結論はこうだった。食べればエネルギーが補給できるし、厠に行くと言っても疑われることがない。
「子どもは素直が1番だ」
朧がおにぎりを手にして蘭に食べさせてくれる。こんな仕事をしてはいるが子どもには優しいらしい。すぐに1個食べ終わる。もともと大食らいの蘭だが、怪我を治すのにはエネルギーを大量に消費するのでとてもお腹が空いている。
「もう1個」
「腹減ってるんだな」
朧は2個目も食べさせてくれる。横にされたままなので食べにくいことこの上ないのだが、それでも苦労して食べる。そしてわざとらしく言う。
「おしっこがしたいです」
「小は漏らせ」
「えええええ~~っ! それは面倒くさがってるだけだぁ~」
「お嬢ちゃんの狙撃の力は侮れない。エアライフルでも狙撃は充分な脅威だ」
朧は美桜がお殿様から実銃を与えられたことも掴んでいないらしい。狩りの現場までは情報収集に来なかったのだろう。これはとてもいい情報だ。エアライフルと実銃では射程が全く違う。賊は狙撃を警戒する距離を完全に見誤っている。
仕方がないので蘭は小を我慢するフリをするが、しばらくしてまた訴える。今度はお堂の外が白み始めたタイミングだ。明るくなれば美桜のスプリングフィールドの射線が通るのである。
「今度は大が出そうです」
「大は仕方ないな」
朧は外の見張りを呼び、見張りは蘭を立たせてお堂の外に連れて行く。狙撃を警戒してだろう、見張りは蘭にぴったりついている。
空はもう白み始め、かなり明るくなっている。お堂の軒下に出ると左手の少し離れたところに農家が、そして朝焼けの空が見えた。お堂はどうやら南向きらしい。
境内の中は荒れ放題で、嵐で倒れたらしい大きな木がそのまま横たわっている。
右手の方はまだ薄暗く、水面が見える。ため池だろうか。結構広い。その池の向かいの岸にこんもりとした雑木林があり、その奥に小山が遠くに見えた。
それは蘭がよく知る“城山”だった。何百年も昔、里見氏が安房を支配していた頃に山城を築いた山なので、今も“城山”と呼ばれている。今はビワ畑になっており、斜面にビワの木が植えられているが、収穫が終わっている時期なのでオレンジ色の実は見えない。
山頂からここまでの距離は400メートルから600メートルの間くらいだろうか。お殿様が言っていたスプリングフィールドM1903の射程圏内だが、これまでの軍事常識からいえば狙撃距離ではない。
蘭が城山の方をじっと見ているからか、見張りの賊が言った。
「厠はこっちだぞ」
「……朝の空気くらい吸わせてください」
そう言い訳して、城山の斜面に植えられたビワの木とビワの木の間に美桜が見えるかもと目をこらしたそのとき、縛られた蘭の上半身の両側に鈍くて重い衝撃が走った。そして2秒ほど後、遠くから乾いた破裂音が3回した。
見張りの賊は胸を押さえて力なく崩れ落ち、蘭は自分を縛っている縄がほどけそうになっていることに気付く。
スプリングフィールドM1903の.30-06弾の初速は音速の2倍以上。狙撃地点から射撃音が届くよりも弾着の方が遙かに早い。
蘭が両腕に力を込めると縄はするすると緩み、蘭の足下に落ちた。
「さっすが美桜様!!!」
美桜の狙撃能力は蘭の想像を遙かに超えていた。姿を見せれば作戦が立てられるだろう、とまでは考えたが、自分がお堂の外に姿を現すや否や決断し、最適解を導き出したのだから恐れ入る。美桜が放った銃弾は蘭を縛った縄だけを正確に貫通し、蘭を自由にしたのだ。
お堂の中に残っている賊はけが人2人と朧の計3人。縛られていない今、拳銃を持っていてもけが人の2人はやや注意を払わなければならない程度の敵だ。脅威は朧だ。朧が戦いの最中に消える異能の種についてはまったく見当もつかないが、破る策は蘭の中にある。
銃撃音が聞こえたからだろう。お堂から朧が飛び出してきた。そして倒された賊がどう倒れているのかを観察して狙撃があった方角を察し、お堂が遮蔽物になるように荒れている境内に飛び降りた。
朧は狙撃を警戒している。なので、蘭はこのまま逃げることもできる。しかし彼の中にそんな発想は微塵もない。
さっさと朧をぶっ飛ばして美桜様を迎えに行く!
蘭はそう決意して朧との再戦に臨むのだった。
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