蘭の帰郷-2
真夏の太陽を浴びながら、1時間以上馬車に揺られる。未舗装なのでかなり揺れる。幾つか小さな峠を越えて旧北条藩である北条町に入る。まだ徳川の世だったら、お殿様の国だった港町である。
馬車が北条町の屋敷の近くまで行くと、お殿様がお戻りだということで、この暑い最中というのに大勢の人が一目見ようと、またはご挨拶しようと待ち構えていた。
馬車は少し手前で停まらざるを得なくなり、蘭はまた旅行鞄を1人で担ぎ、人混みをかきわけてお屋敷まで行く。お殿様の人気ぶりといったらない。面識のあるご老人は大勢、ご一新の当時を知らないような若い人も来ており、お殿様の伝説が今も生きていることがわかる。
「おじいさまは城下町の人たちを旧幕府軍から守るために立ち向かったのよ」
美桜は得意げに言うが、大奥様は辛辣だ。
「旦那様は単に北条流砲術を試したかっただけです。巻き込まれた方はたまったものではありません」
「そう言うな。それも認めるがな」
お殿様は町の人たちに挨拶しながら、そう苦笑する。
その戦いがなければ蘭の祖父がお殿様に感謝されることも、お殿様が華族になることもなかっただろう。つまり自分が美桜と出会うこともなかったわけで、それを考えるとお殿様が戦ってくれて本当によかったと心から蘭は思う。
それはそれとして、こんなにもお殿様が人気者で、北条町でまだ大きな影響力を持っているのなら、じいちゃんが倒れた時、すぐにお殿様に頼れば良かったと蘭は後悔する。頼っていたのなら、もしかしたら今もまだじいちゃんは生きていたかもしれない。そう思うと悲しくなってくる。また涙しそうになるが、喧噪の中であっても美桜に気付かれてしまいそうで、蘭はぐっと堪える。
一行がお屋敷の中に入ると外も静かになる。こちらの屋敷も八幡の北条邸に負けないくらい大きい。普段は空き家だが、北条商会の人が事前に来て掃除や風通しをしてあったので、快適に滞在できそうだった。冷蔵庫の中には食品が一通り入っていて、大奥様はその気配りに感激していた。
まだ布団が干してあったので、美桜と2人で取り込み、一休み。大奥様が冷たい麦茶を出してくれ、ようやく一息つく。
「帰ってきたって気がするわ」
美桜がよしずで日陰になっている縁側で麦茶を飲み、表情を緩ませる。
「僕は落ち着きません」
「他人の家ですものね。でも、ここも蘭の家なのよ」
そう言われても落ち着かないものは落ち着かない。
お殿様と大奥様は地元の方が歓迎会を開いてくれるというので、夜はそちらに行くことになっていてあまり時間がない。なので今はまだ明るい時間だが、墓参りは明日行くことになっている。
「おお。ここにいたか」
お殿様が美桜と蘭に声を掛けた。どうやら自分は探されていたらしい。
「どうしたんですの?」
「お前に渡しておきたいものがある」
お殿様の表情は真剣で、何ごとかと身構えてしまうほどだった。
3人揃って広間に行くと、北条商会の社員が来ていた。北条商会は主に海軍に出入りしている総合商社で、武器から日用品まで様々な商品の取り扱いがあるが、本社はここ、北条町にある。北条商会への重要な指示は八幡にいる奥様である貴子が電話で行っているが、東京支社もある。
大きく細長い箱を長い座卓の上に丁寧に置くと、北条商会の社員は退室する。
「なんですの?」
箱には横文字の紙がいくつか貼られており、船便で輸入されてきたものだと分かる。お殿様がその箱を開け始める。
「これを手に入れるのには苦労したぞ」
箱を開けると
「スプリングフィールドM1903……アメリカ製のライフルじゃないですか」
美桜が驚いたような声を上げた。
「海軍向けのサンプルとして取り寄せた」
「射撃大会上位入賞者がみんな使っているすごいライフルですよ!」
「それもこいつは西部戦線で使われている“スナイパー”用の精度が高い個体だ」
スナイパーという言葉はこの世界大戦中に使われ始めた新しい言葉だ。元はインドの言葉だと言われている。
「そうそう、こっちも負けずに大した物を取り寄せた」
木毛の中に別の細長い箱が入っており、お殿様はその箱も開ける。
「ライフルスコープ……」
お殿様は美桜にライフルスコープを手渡し、美桜はそれをつぶさに見る。
「カールツァイス……こちらはドイツ製ですね! 敵国のスコープをよく取り寄せられましたね」
「倍率3倍。明るくて視野も広い。世界一のスコープだ。この組み合わせでの有効射程は600メートルだと言われている。美桜、使いこなせ」
蘭はその会話を聞いてはいるが内容はさっぱり分からない。お殿様は続ける。
「競技用・狩猟用として登録を済ませてある。ただ、持ち歩くときには気を付けるように。登録証があっても警官に説明するのは大変だ」
「……それはもちろん。しかし実銃をいただけるなんて……」
「そろそろとは考えていたのじゃ。この機会に実銃に慣れるといい。ワシのスペンサー銃と比べたら革新的な工作精度だぞ。ワシが使いたいくらいだ」
お殿様は朗らかに笑い、美桜は恭しく頭を下げる。
「期待に応えます」
「そうなってもらわんと困るな」
2人の会話には入れず、蘭はうーんと唸りつつ様子を窺うしかない。今まで美桜が使っていたのがエアライフルだったことは知っている。この機会に美桜が実銃を与えられた意味を考えると、お殿様はこの先、遠からずして実銃が必要になると考えているのだろう。
お殿様は夜の宴会に備えて退席し、広間には蘭と美桜が残された。
「えーっと、美桜様は今、大変なことになっている気がするのですが」
蘭は美桜の顔色を窺った。
「そうね。実銃を持つ意味は重い。わたしは人に向けて引き金を引いたことはないし、覚悟が必要になると思う」
美桜は今まで蘭が見たことがない顔をしていた。
蘭は手が空いたときはいつでも頭の中で、今でいう組み手のイメージトレーニングをしている。相手は亡くなった祖父で、勝てるイメージは湧かないが、イメージトレーニングをすることで、咄嗟の時でも身体が動くようになる。先日の賊との戦いも、蘭にとっては久しぶりの戦いだったが、それは幾千回幾万回繰り返したイメージトレーニングの先にあるものだった。
美桜もきっと狙撃時のイメージトレーニングをしているはず、と蘭は想像する。そのとき、銃口の先に人間がいて、銃弾が命中したときどうなるかまでイメージしているのだろうか、とも考える。
もしそうでなければきっと実戦では引き金を引けないだろう。
いや、引けなくても別にいい。
そう蘭は思う。自分が美桜を守れるまでだ。美桜が人に対して引き金を引かなくて済むのが1番だ。そんな考えに至って蘭は気合いを入れる。
「どうしたの蘭?」
「いえ。僕ががんばらなくっちゃって思って」
「僕がなの?」
蘭は頷く。
「わたしは守られているだけの女じゃないわよ」
美桜は蘭が何を考えているのか、すぐに理解した様子だった。
「それはそれです。僕は僕でがんばるだけですから」
蘭はニッと笑って見せた。蘭にはたいていの相手には負けない自信がある。だから笑える。しかしそれが経験の少なさからくる思い上がりでもあることを、すぐに彼は思い知ることになる。
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