第13話
サラの授業はその日の午後から始まった。
もう残り半日しかないため、世界地図を手短に教えてもらうことになった。
コテージの二階にある書斎の壁には、大きな地図が掛けられている。
「こちらは女神の大地の地図でございます」
サラが地理について分かりやすく説明を始めた。
女神の大地と呼ばれるこの世界には、東西南北の四大陸と、中央に位置する中央大陸の五つがある。
北大陸にはルーゼニア帝国、南大陸にはカーネル、ルピナス、ガザニアという三つの王国がある。
西大陸には戦闘能力の高い獣人族、東大陸には人間嫌いのエルフ族が住んでいる。
そして中央大陸には、北部にロッシュ王国、中央と南部にオータム王国があり、その国境には女神の森と赤く囲まれたエリアが存在します。
「サラさん、この赤いエリアは?」
危険区域のように赤く塗られている場所を指差す。
「そこは…八百年前に滅んだ旧ハーヴェスト聖国で、今も立ち入り禁止とされています」
「へぇー、滅んだのになんで周りの国に吸収されなかったんですか?」
凪紗も興味津々で地図を見つめ、気になることを口にした。
「それは、旧ハーヴェスト聖国が大罪を犯し、解けない氷に覆われているため、今も誰も入ることができないからです」
サラはやや低い声で聖女の悲劇を語ってくれた。
女神の大地を司る豊穣の女神グレーン様は、一人の少女を選び、自らの血を分け与えた。それにより、少女の耳に神託が聞こえるようになったという。その少女の名はマーガレット。『始まりの聖女』と呼ばれている。その子孫は能力を引き継ぎ、代々聖女の役割を全うした。
旧ハーヴェスト聖国は、『始まりの聖女』マーガレットと同じ孤児院にいた仲間が作り上げた国で、代々聖女を守り、サポートしてきた。
しかし、裕福になった人々はやがて女神への感謝の心を失った。女神への祈りを忘れ、聖女を蔑むようになった。そして貪欲になった当時の国王と神官長が、とうとう聖女を毒殺するという暴挙に出た。
その後ハーヴェスト聖国は激怒した女神に氷漬けにされ、罪人は魂ごと氷の中に閉じ込められた。女神の怒りは今も収まっておらず、八百年を経ても氷が溶ける気配はないという。
「しかし、立ち入り禁止されても、財宝目当てに旧ハーヴェスト王宮内に侵入しようとする命知らずな人が今も相次いでいます」
「宝探しか。ロマンはありますね」
宝探しという言葉に目を輝かせる凪紗を見て、サラは慌てて言い足す。
「アイザワ様、無事に戻って来られる方はいないので、絶対に入らないでくださいね?」
「はーい」
「…返事が軽いです!」
「それで今、聖女はどちらの国にいるのですか?」
私の質問を聞いたサラの顔が少し暗くなった。
「…聖女は…今はおりません。聖女の血はそれで絶えたとされていますが、当時の聖女ローズ様には子供がいたという噂もございます。しかし、この八百年の間に聖女を名乗る方は何人も現れましたが、全て偽物でした」
「偽物…?」
聖女は殺されるほど危険な職業なのに、名乗り出る偽物の気持ちが分からない。物好きもいるものだな、と私は心の中でつぶやいた。
* * * * *
次の日、サラが真新しい羊皮紙に描かれた大きな中央大陸の地図を持ってきた。旧ハーヴェスト聖国と女神の森は除いて、両王国の街や川、山などが分かりやすく描かれている。
「今日は、今の情勢を交えながら各国の動向について説明いたします。ギルドの意向で極秘情報も含めてお伝えいたします」
事の発端は、ルーゼニア帝国の皇太子ジャレッドと皇太子妃が国境の港町で賊に襲われて命を落としたことだった。
一報を受けた皇帝ロバートはショックで発作を起こし、そのまま崩御した。後継者をめぐって属国も巻き込んで内紛がエスカレートする中、第三皇子のクリスが皇太子位を飛び越えて、祖父のカーギル侯爵の支持を受け、十二歳という若さで即位した。
カーギル侯爵は将軍位を持つ主戦派の筆頭だ。前皇太子ジャレッドを襲ったのはロッシュ王国だと主張し、若い皇帝クリスがロッシュ王国に宣戦布告したのだ。
現在、北大陸のルーゼニア帝国と中央大陸のロッシュ王国が戦争を起こしており、戦況は一進一退を繰り返し、拮抗している。ルーゼニアとロッシュ出身の冒険者も巻き込まれたという連絡を受け、ギルド長が三ヶ月前に調査のためにルーゼニア帝国のギルド支部に向かったが、そのまま音信不通になった。
ギルド会長を探すために二人のギルド副会長が動いた。一人はルーゼニアに、もう一人はロッシュ王国に潜入した。ギルド本部の業務は当時のシトリン支部長フェネルに一任された。
そして、理由ははっきりしないが、約十日前に他国に潜入した二人のギルド副会長が連名でフェネルの昇進辞令を出した。
フェネルは不本意ながら冒険者ギルドの長になった。山積みの会長業務を消化しながら、後任への引き継ぎ作業に追われている。
このタイミングで凪紗と私が現れた。
そして連れてきた身分の高い家庭教師が女神の
(わぁ…フェネルさん、気の毒すぎるな…)
「アイザワ様、イチノミヤ様、今の話は他言無用でお願いいたします」
大人しく頷く凪紗と私を見て、サラはほっとしたように、真剣な表情を和らげた。
「それでは、次はこの絵をご覧ください」
サラは額装された一枚の絵画を慎重に壁に掛けた。
「神木でございます」
絵画の中には一本の巨木が描かれていた。その樹冠は幅広く、枝葉が生い茂っている。とりわけ人の目を引くのは、葉の色だった。
表が白色で裏が緑色。その見覚えのある配色を見て思わずドキッとした。
(葉は似てる、とても似てる!…しかしこの神木の幹がねじれてない)
「女神の大地には神木と呼ばれる巨木が四本、それぞれ東西南北大陸に植えられております。地図には神木の場所を示す四つの丸が描かれていました」
「サラさん、四本の神木はみんな同じ見た目ですか」
ねじれている個体は存在しているのかどうかをさりげなく聞いてみた。
「文献によると、高さ、大きさ、形はほとんど同じでございます。ただし、神木は厳重に守られておりますので、一般の方は近くでご覧になることはできません。特に東大陸では、エルフ族が神木を守るために人間と獣人族の上陸さえも許しません」
と、サラは複雑な表情で補足した。
「言い伝えによると、神木の葉からは魔力の元となるマナが放たれております。そのため、その周辺に漂うマナの濃度は高く、近くの町からは魔法適性の高い魔法使いが輩出されております。
逆に、神木から遠く離れた中央大陸はマナの濃度が低く、瘴気も多いため、比較的魔物が出やすいのでございます。
効率よくマナを使うために、オータム王国は昔から体を鍛えることを推奨しております」
サラは急に背筋をピンと真っすぐに伸ばし、顎がみるみるうちに上がっていく。
「魔物相手に剣一本でも戦えるようになれば、マナの濃さに左右されることも少なくなるかと存じます。このようにしてオータム王国は、神木から遠く離れてもなお、自身の力で一大軍事国に上り詰めました」
母国を自慢するサラは、今日一番輝いていた。
「サラさんは母国ラブですね」
授業の内容よりも、サラの母国愛が伝わった。本当に分かりやすくてほっこりする。
「もう、好き、好き、大好き、って感じですね」
そう言った凪紗もニヤニヤが止まらない。
「いや、そんなつもりは…ゴホンッ。失礼いたしました!」
顔を赤くしたサラは誤魔化すように授業を進める。
同じ中央大陸に位置するロッシュ王国は、魔石の産出量が多く、付与魔法が盛んだ。武器と防具を強化し、ルーゼニア帝国に抵抗できるほど独自の進化を遂げているが、そろそろ魔石の鉱脈が掘り尽くされるという噂も流れている。
「戦争か…」
凪紗は難しい顔で首を傾げる。
私たちはいわゆる戦争を知らない世代で、教科書とニュースでしか見たことがない。
「安心してください。オータム王国とロッシュ王国は平和条約を結んでおりますが、軍事協力は含まれておりません。余程のことがない限り、巻き込まれることはないかと存じます」
国際情勢の授業はひとまずこれで終了となった。
明日からは魔法の授業だ。
「アイザワ様、イチノミヤ様、女神の森の中では魔法が使えませんので、明日の授業はギルド本部で行う予定でございます。今日と同じ時間にお迎えにあがりますので、ご準備をお願いいたします」
「はい、…え?」
何か重要な情報が耳に入ったような気がした。
「やったー!実和、やっとコテージから出られるよ。サラさん、色々案内してーー」
固まる私をよそに、凪紗は子供のように喜んでいる。
「ギルド本部の中でしたら案内いたしますよ」
「えーー」
凪紗とサラのやりとりを聞きながら、私は一人、この数日のことを思い出していた。
(女神の森の中で魔法が使えないって?)
サブスペース、パントリー、グリーン、少なくともこの三つの魔法を使った。
直感的に人に言ってはいけないと思い、開いた口を閉ざし、何も聞けなかった。
私の魔法を目撃した凪紗は特に反応しなかったものの、きっと気付いている。
授業が終わって部屋に戻った途端、凪紗がニヤっと笑顔を見せた。
「女神の森では魔法を使えないんだってね。実和が規格外ってことは、よく分かったよ。」
「異議あり!使えないエリアなんて知らないし、普通に使えるし、これは不可抗力です!冤罪です!」
一ミリも納得できないから、思わず口を尖らせて反論した。
(私は悪くない!…多分)
「ふふふ、でもこれは誰にも言わないほうがいいかもね」
「うん、バレないように気を付けるよ」
「実和が既に魔法が使えるなんて、誰も思わないでしょうね。ほら、書斎から借りてきたサラさんのオススメの本だよ」
凪紗の手には魔法属性、攻撃魔法入門、魔法図鑑など、分厚い本が数冊ある。
「…それ、読むの?」
「読もうかな、テレビもスマホもないし、暇つぶしね」
凪紗はベッドの上に寝転がり、適当に本をめくった。ぎっしりと書かれた文字を見た凪紗は、額に大量の皺を寄せた。
(とても初心者用に見えない…)
「じゃ、私…ちょっと行ってくるね」
「え?…あー、行ってらっしゃい」
どこへ行くのかを言わなかったが、凪紗はすぐ察してくれた。
「行ってきます」
* * * * *
サブスペースに入り、真っ直ぐ部屋の中へ向かった。ローテーブルの上に置いてある木は、特に変化はなかった。
(やっぱり葉の形と色は同じように見える。根と幹の形は…違う)
根は綺麗なアスタリスクマークの形をしていた。そこから六本の細い幹が、バランスよくねじれ合い一つにまとまっている。
葉の白い表面に溜まったマナがふわふわと漂い、キラキラと輝いている。
「あなたは、一体何者だ?」
目の前にある綺麗な木をじっと見つめながら、ぼそりとつぶやいた。
凪紗は女神の大地に来る直前に女神様に会った。口止めされているが、異世界に来る理由を教えてもらった。
私は女神様には会ってないが、異世界に来る理由が分からない。でも、この世界の神木とそっくりな木が商店街の福引で当たったのだ。
(神木が当たったから、一緒に送られてきた?…いや、それはないな)
その可能性が頭に浮かんだが、すぐ否定した。
スマホを取り出して、この世界に来る直前にもらったメッセージを開く。
【実和、女神様が決めたことだから俺は変えられない。実和ならきっとできる。俺の妹だからな。我慢せずに暴れてこい!】
(女神様が決めたこと…)
今思えば、栽培キットをもらって翌日から色々狂い出した。
急にサブスペースに入れられて魔法を覚えさせられたり、部屋ごとサブスペースに引っ越させられたり、植えたレモンがすぐ成長したりと、今までの常識では考えられないことばかりだった。
得体の知れない巨大な力が日常をひっくり返した。あまりにも変化が速く、異世界に飛ばされて数日が経った今も実感が湧かなかった。
最初から決められていたにもかかわらず、誰も教えてくれなかった。目的も分からずに来てしまったんじゃないか!どうすればいいんだ、と。
恨めしさを込めて天を睨んだ。
明日はいよいよ女神の森を出る。
この世界を真正面から見る時が迫ってきた。思うだけで気が重くなる自分がいる。
「女神の大地か…」と私は長い息を一つ吐いた。
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