第9話「かるたがつなぐ、声と心」

「……はい、じゃあ今日はここで終わりにしましょう」


 伏見顧問の声が部屋に響き、かるた部の一日の練習が終わりを告げた。畳に座っていた心菜は、そっと肩で息をつく。今日の練習は、思っていたよりもずっと体力を消耗した。けれど、それ以上に心をすり減らしたのは、愛花の様子だった。


「ふう……今日、いつもよりハードだったね」


 実結が汗を拭きながら、にこっと笑いかけてくる。心菜も微笑み返そうとしたが、視線はつい部室の隅で黙って荷物をまとめる愛花へ向いた。


 彼女は一度も、笑わなかった。


「……最近、ちょっと無理してない?」


 帰り道、ふと愛花が口を開いた。すれ違う風の音に消えそうなほど、か細い声だった。


「え……?」


「今日の練習、先生が時間もメニューも増やしたでしょ? 心菜ちゃん、あれ全部受け入れたけど……本当にそれでいいの?」


 歩みを止めた愛花の横顔には、いつになく影が落ちていた。


「私は……まだそこまで、できる自信ないよ」


「……ごめん。無理に合わせようとしてた?」


「そういうんじゃないの。ただ……ちょっと、怖くなっただけ」


 愛花の言葉に、心菜は何も言い返せなかった。


 翌日の練習。


 愛花は少し遅れて部室に入ってきたが、口数は少なく、対戦にもほとんど集中できていなかった。実結がさりげなく空気を和ませようとしても、どこかぎこちない雰囲気が部室を支配していた。


「……今日は、愛花ちゃんと対戦したいな」


 心菜がそう声をかけたとき、愛花は一瞬だけ驚いたように目を見開いた。


「……うん。いいよ」


 ふたりは向かい合い、札を並べた。けれど、読み手の実結が詠み始めても、愛花の手はなかなか動かない。


「……わたし、心菜ちゃんと同じくらい、かるたが好きになりたいって思ってる。でも、追いつけなくて……怖いんだ」


 試合が終わった後、愛花はポツリとつぶやいた。


「……わたし、心菜ちゃんと一緒にいたくて、かるた部に入ったのに。最近、心菜ちゃんがどんどん先に行っちゃうようで、寂しくなった」


「……私も、ごめん。うまく伝えられなかった」


 心菜は正直に、自分の想いを言葉にした。


「もっと、一緒に進めると思ってた。でも、私も焦ってたのかもしれない」


 ふたりは見つめ合い、静かな時間が流れた。


「……だから、また並んで進もう。私も、待つよ。ちゃんと一緒に」


「……うん」


 ようやく交わった言葉に、ふたりは微笑み合った。


 その日最後の練習、三人での模擬戦。


 実結が詠み手を買って出た。


「ちはやぶる 神代もきかず 竜田川――」


 読まれた瞬間、三人の手が札へと一斉に伸びた。


 ――パシン。


 わずかに実結の指先が札をかすめた。


「やった~! 久しぶりに勝った!」


 実結の明るい声が部室に響き、ふたりも自然に笑い合った。


「ねえねえ、今度の土曜日さ。かるた教室、行ってみない?」


「いいね、それ!」


「うん。もっと、声を重ねていこう」


 札の音と笑い声が、夕暮れの部室に心地よく響いていた。

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