第10話:囁くメロディ

ブレイズとの共同作業が始まり、

私の日常はますます音楽で満たされていた。

学校での孤独は相変わらずやけど、

ボカロの世界と、ブレイズとの繋がりが、

私を確かに支えてくれていた。

夜、ベッドに潜り込んでも、

頭の中では常に新しいメロディが響き、

歌詞の言葉が、形になろうと渦巻いていた。

時には、夢の中でまで、

音が響いてくるような気がした。


特に、最近は、とあるメロディが、

頭から離れへんかった。

どこで聞いたのか、いつ生まれたのか、

自分でも分からへん。

ただ、心の中に、

ずっと前からあったような、

そんな懐かしいような、切ないような、

不思議なメロディやった。

それは、まだ言葉にはなっていない、

私だけの秘密の歌。

「ここは私の 心の居場所」

ふと、そんなフレーズが、

頭の片隅で、微かに囁く。

このメロディを、

いつか形にしたいという衝動に駆られる。


学校での日々は、

以前と変わらず、灰色やった。

教室の隅で、私は相変わらず透明人間。

誰とも目を合わせず、

誰とも言葉を交わさない。

昼休みも、一人でスマホをいじってるフリをして、

クラスメイトの賑やかな声から、

自分を遠ざけていた。

あの関西弁をからかわれたトラウマは、

東京に来てからも、ずっと私を縛りつけていた。

クラス替えで新しい環境になっても、

あの時の記憶が、私を臆病にさせる。

ランチタイムの賑やかさが、

まるで私を試しているかのように感じられた。


それでも、私の心の中には、

少しずつだけど、確かな変化があった。

ボカロを通じて、そしてブレイズとの出会いを通じて、

私の言葉が、誰かに届く喜びを知ったから。

あのコメントの一つ一つが、

私に光を灯してくれる。

「もしかしたら、私にも、

できることがあるのかもしれへん」

そんな小さな希望が、

私の心の奥で、静かに灯っていた。

それは、まるで、

暗闇の中で見つけた、小さな星のようやった。


ある日の午後、

私は美術室で、スケッチブックを広げていた。

授業で描いたデッサンが、

どうにも納得いかへんくて、

放課後に居残りして、描き直していたんや。

美術室は、普段は生徒であふれてるのに、

その日は珍しく、私一人しかいなかった。

窓から差し込む夕日が、

絵の具の匂いがする室内に、

長く影を落としていた。

鉛筆の音が、カリカリと静かに響く。

こういう一人きりの時間は、嫌いではなかった。


集中して筆を動かしていると、

ふと、あのメロディが、

頭の中で強く流れ出した。

自然と、それに合わせて、

口元が動き出す。

まだ、ちゃんとした歌詞にはなってへんけど、

心の中に浮かんだ言葉を、

メロディに乗せて、小さく口ずさんでいた。


「初めての場所 見慣れない都会(まち)」

「人見知りな私 俯(うつむ)いたまま」

「…この声が、届くなら、どこまででも…」


誰にも聞かれないから、

つい声が出た。

小さな、本当に小さな声やった。

美術室の静けさに、

私の歌声が溶けていく。

まるで、私自身の孤独を、

歌にしているみたいやった。

この歌だけが、私自身の秘密を、

優しく受け止めてくれる。


その時、美術室のドアが、

ゆっくりと開く音がした。

「……ん?」

ハッとして、歌うのを止める。

振り返ると、そこに立っていたのは、

月島輝先輩やった。

彼は、美術部の顧問の先生と、

何か話があるみたいで、

美術室の入り口に立っていた。

私に気づいたのか、彼の目が、

一瞬、大きく見開かれたように見えた。

いや、気のせいか。

彼はすぐに、先生の方へ視線を戻した。


心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。

体が硬直して、声も出ぇへん。

どうしよう、聞かれたんやろか。

私が歌っていたこと、バレたんやろか。

恥ずかしさで、顔が真っ赤になる。

頭の中は、パニック状態やった。

彼に、こんな弱い部分を見られたくない。


輝先輩は、すぐに顧問の先生と話し始めた。

私のことなんて、もう見てへん。

「ああ、よかった……」

安堵のため息をつきながらも、

さっき口ずさんでいた歌詞が、

まるで、彼に向けた歌のように感じられて、

また顔が熱くなった。

「初めての場所 見慣れない都会(まち)」

「人見知りな私 俯(うつむ)いたまま」

彼には、私がどんな人間か、

きっと分からへんやろうな。

そう思うと、少しだけ、切なくなった。


輝先輩と顧問の先生との会話が続く。

私は、気付かれないように、

筆を動かすフリをして、

耳だけは彼らの会話に集中させていた。

その会話の合間、

輝先輩がふと、鼻歌を歌っているのが聞こえた。

それは、聴き覚えのない、

でもどこか懐かしいメロディやった。

さっきまで、私が口ずさんでいたメロディと、

少しだけ、似ているような気がした。

「夕焼け空に 吸い込まれそうな」

「心の居場所」のAメロのメロディと、

どこか重なるような、そんな感覚。

偶然やんな? まさかな。


「ん?」

俺は月島輝は、顧問の先生と話し終えて、

美術室を出ようとしていた。

その時、美術室の奥から、

微かに歌声が聞こえた気がした。

誰かが鼻歌を歌っている?

気のせいかと思ったが、

そのメロディが、妙に耳に残った。

どこかで聴いたことがあるような、

でも、思い出せない。

振り返ると、そこに神楽坂和歌がいた。

彼女が歌っていたのだろうか。

あの、いつも影に隠れているような奴が?

信じられない気持ちと、

なぜか、心惹かれる気持ちが入り混じる。


そのまま美術室を出て、廊下を歩く。

しかし、さっきのメロディが、

頭から離れへん。

妙に、心がざわつく。

あれは、なんだったんだろう。

特に、歌詞が気になった。

「初めての場所 見慣れない都会(まち)」

「人見知りな私 俯(うつむ)いたまま」

どこか、彼女自身のことを歌っているようにも聞こえた。

あいつの雰囲気と、あの歌詞が、

不自然なほどに重なる。

まさか、な。

ありえない。

あんな目立たない奴が、

こんな歌を歌うなんて。

いや、作れるはずがない、なんて言い方は失礼か。

少なくとも、俺の知っている神楽坂和歌とは、

全く結びつかない。

そう自分に言い聞かせる。

でも、どこか拭い切れない違和感が残った。

一度芽生えた疑問は、頭の中でぐるぐると渦巻く。

まるで、解けないパズルみたいに。

あの歌声と、あの歌詞。

そして、和歌の姿。

三つの点が、線で繋がりそうになり、

そして、また離れていく。

さらに、彼女が口ずさんでいた歌詞の一節が、

頭から離れなかった。

「…この声が、届くなら、どこまででも…」

その切実な響きが、妙に心に残った。

一体、誰に、どこまで届けたいんだろうか。

その声には、彼女の秘めたる想いが、

込められているような気がしてならなかった。


それからも、俺は「わかP」の動画を聴き続けた。

聴けば聴くほど、

その歌声と歌詞が、俺の心を掴んで離さない。

通勤中も、練習の合間も、

気づけば「わかP」のプレイリストを流している。

その透明な歌声が、俺の日常に、

確かな彩りを与え始めていた。

他のどんな音楽よりも、

「わかP」の歌は、俺の心に深く響いた。

まるで、俺の心の中の、

届かない場所に、そっと寄り添ってくれるようやった。


無意識のうちに、学校で和歌の姿を探すようになった。

廊下ですれ違う時、

彼女が俯いて何かを書いている姿を見かけると、

「もしかして、あれが歌詞なのか?」

そんなことを考えてしまう。

以前は気にも留めなかった彼女の存在が、

今は、やけに気になる。

彼女の持つ、静かで繊細な雰囲気が、

あの歌詞と歌声に、妙に重なって見えた。

体育の授業中、隅の方で小さく体操をしている姿。

図書室で、静かに本を読んでいる姿。

その一つ一つの仕草が、

「わかP」の歌声と、奇妙に重なって見えた。

まるで、歌声が、彼女自身の影を

そのまま映し出しているみたいに。


ある日、クラスで男子たちが

「わかPの次の曲、どんなんだろうなー!」

と話しているのが聞こえた。

「あのリアルボイスの子がまた歌うのかな?」

「次はどんな歌詞で、俺たちの心を抉るんだろうな!」

そんな声を聞きながら、

俺は和歌の姿を探した。

彼女は、いつも通り、

誰とも目を合わせずに、

ひっそりと自分の席に座っている。

その横顔を、俺はしばらく見つめていた。

彼女の顔には、何の感情も浮かんでいないように見える。

しかし、俺には、その内側に、

計り知れない深さがあるように思えてならなかった。

まるで、あの「わかP」の歌声が、

彼女の奥底から響いているような、そんな錯覚に陥る。

頭の中で、「心の居場所」のメロディが、

繰り返し流れていた。

「音の波間に 漂いながら

見えない誰かに 歌い続けてる」

この歌詞が、和歌の姿と、

ぴったりと重なった。


この時点では、まだ確信には至っていない。

ただの偶然だ。

そう思おうとする。

けれど、月島輝は、

一人のリスナーとして、

そして、一人の音楽を愛する者として、

「わかP」の音楽に、深く魅了されていた。

そして、その魅力の源泉が、

あの神楽坂和歌にあるのではないかという、

漠然とした、だが確かな予感に、

胸をざわつかせていた。

これは、ただの勘違いなのか、

それとも、運命の引き寄せなのか。

俺の音楽人生の中で、

これほどまでに謎めいた存在は、初めてだった。

彼女の存在が、俺の思考の大部分を占めるようになっていた。


彼女の知らないところで、

俺の視線は、和歌の「秘密」に、

少しずつ、だが確実に近づいていく。

この音楽との出会いが、

俺たちの関係をどう変えるのか、

その予感は、まだ漠然としたものだった。

しかし、俺の心は、

すでに大きな波紋を広げ始めていた。

その波紋が、いつか、

大きなうねりとなって、

彼女の秘密の扉を開くことになるだろう。

そんな予感が、俺の胸に強く響いていた。

まるで、運命の歯車が、

音を立てて回り始めたみたいに。

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