リズムガーデン・プレリュード -もうひとつの序曲-
五平
第1部:『もうひとつのプレリュード』
第1話:新しい扉、小さな声
東京に来て一週間。
新しい高校の制服は、
まだ体に馴染まへん。
スカートの丈も、リボンの結び方も、
なんかぎこちない気がして、
朝からため息が出た。
慣れない標準語の授業も、
クラスメイトの賑やかな話し声も、
全部が遠い世界の出来事みたいに感じる。
私、神楽坂和歌は、
今日も教室の隅っこで、
誰とも目を合わせないように息をひそめていた。
教室の空気は、私にとって針の筵のようやった。
昼休み、みんなはグループになって
お弁当を広げてる。
楽しそうな笑い声が、教室中に響き渡る。
キラキラと輝く青春の真ん中にいる彼女たちを、
私は羨ましそうに、でも少し怖がるように眺めていた。
その輪に入る勇気なんて、どこにもなかった。
鞄からお気に入りの文庫本を取り出して、
広げる。
読書してるフリして、
誰も話しかけてこないように、
ただただ、ひたすら願う。
だって、もし話しかけられて、
私の関西弁がうっかり出てしまったら──
また、あの時のように笑われるかもしれない。
高校に入学した時や。
それまでずっと関西に住んでて、
初めて東京の高校に入学したんやった。
標準語を話すクラスメイトの中で、
私も必死に標準語で話そうと頑張ったのに、
ついつい関西弁が出てしまって。
それをクラスの男子に真似されて、
ゲラゲラ笑われたん。「なんか変な喋り方~!」
「訛ってる~!」って、大声で。
その時の屈辱と恥ずかしさは、
今でも鮮明に覚えてる。
あの日から、私は人と話すのが怖くなった。
自分の言葉が、みんなと違うってことが、
まるで罪みたいに感じて。
だから、なるべく目立たへんように、
透明人間みたいに過ごしてきたんや。
東京に引っ越してきたんは、
姉の怜姉ちゃんのせい、いや、おかげや。
怜姉ちゃんが組んでるロックバンド
「ブレイズ」が、メジャーデビュー目指して
本格的に東京で活動するからって、
急に話が進んだんや。
親も怜姉ちゃんの夢を応援するって乗り気で、
あっという間に引っ越しが決まった。
私は反対する間もなく、
新しい学校に転校することになった。
怜姉ちゃんは、いつも無表情でクールやけど、
ドラム叩く姿はめちゃくちゃカッコいい。
ステージの上で輝く彼女は、
私とは真逆の人間やと思う。
放課後、どっと疲れて、
私は人波に紛れて駅まで歩く。
誰も私を見ていない。
誰も私に興味がない。
それが、今はひどく心地よかった。
誰かの視線に怯えることもなく、
ただまっすぐ家に帰ることができる。
家に着いて、リビングのドアを開ける。
そこには、見慣れない大きなダンボール箱が、
ポツンと置いてあった。
何の気なしに近づいて、箱の側面を見る。
そこには、見慣れないロゴと
「最新型歌唱合成ソフトウェア」の文字。
「あ、それな、親父が会社のビンゴ大会で
貰ってきたやつやねん」
背後から声がして、振り返ると
怜姉ちゃんが立っていた。
いつものクールな顔で、
手にコンビニの袋を持っている。
どうやら、今日のライブ練習は早めに終わったらしい。
「ボカロソフト、やて。
こんなん、誰が使うん…ってか、親父何でも取ってくるな」
興味なさげなフリをして、
箱に書かれた文字を指でなぞる。
でも、心のどこかで、妙に惹きつけられていた。
ボカロって、テレビで見たことあるけど、
まさかこんなものがうちに来るなんて、
夢にも思わなかった。
私はおそるおそる箱を開けてみた。
中には、まるで宝石みたいにキラキラした
CD-ROMが入ってた。好奇心に抗えなかった。
自分の部屋に戻り、パソコンの前に座る。
さっきのボカロソフトの箱を前に、
少し迷った。
「自分なんかに、こんなん扱えるんかな……?」
そんな不安が頭をよぎる。
でも、同時に「ちょっとだけ、見てみたい気持ちもある」
という、小さな好奇心が湧き上がってきた。
誰も見てない。誰も、私を笑う人はいない。
この部屋の中なら、私だけの秘密の空間や。
そう思ったら、指が勝手に動いて、
インストールを始めていた。
画面に表示されたインターフェースは、
驚くほど直感的やった。
マウスでドラッグするだけでメロディが作れて、
キーボードで歌詞を入力するだけ。
あっという間に、パソコンから音が流れ出した。
「え……?」
初めて自分の書いた「言葉」が、
ボカロの声とメロディに乗って「音」になった瞬間。
それは、耳慣れない機械的な声やのに、
なぜか胸が震えた。
歌は苦手。
人前で声を出すなんて、
考えただけで鳥肌が立つ。
でも、これなら。
これなら、私の言葉を、
誰かに届けることができるかもしれへん。
私にだって、表現できる場所があるのかもしれない。
私は夢中になった。
学校から帰ったら、すぐにパソコンに向かう。
教科書に挟んでる詩を、ボカロに歌わせてみる。
メロディをちょっと変えるだけで、
感情が全然違う風に聞こえる。
時間を忘れて、ただひたすら画面と向き合った。
食事や入浴以外は、ほとんどこの部屋にこもっていた。
気が付けば、時計の針は深夜を指していた。
窓の外は真っ暗で、街の灯りが遠く瞬いている。
ヘッドホンからは、
さっき完成したばかりのボカロの声が流れてくる。
拙いけど、確かに私の言葉が、音になっている。
私だけの、小さなメロディ。
新しい世界への扉が開いた。
まだ誰も知らん、私だけの秘密の場所。
人見知りで、関西弁を隠して生きてきた私でも、
ここなら自由に言葉を紡げる。
小さな胸に、確かな手応えと、
ささやかな野望が芽生えていた。
人知れず、ボカロとの新たな世界への
一歩が始まった。
静かに、しかし確実に、私の世界は変わり始めていた。
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