第2話:秘密の共有と、小さな一歩

学校から帰って、自室のドアを閉める。

スクールバッグを放り投げるように置いて、

すぐにパソコンの電源を入れた。

画面が明るくなる間も惜しい。

早く、あのボカロソフトに触りたい。

今は、学校での鬱屈とした気分を晴らす唯一の時間やった。


最近、私の日常は完全にボカロ中心やった。

朝起きてから寝るまで、

頭の中は常にメロディや歌詞のことでいっぱい。

授業中も、先生の話は上の空で、

ノートの隅には気づけば歌詞の断片や五線譜の落書き。

スマホでこっそりボカロ曲の聴き方を調べたりもした。


だって、学校にいる間は、

ただの「目立たない和歌」やけど、

ボカロと向き合ってる時は、

誰にも邪魔されへん、私だけの世界やったから。

誰にも見つけられない、秘密の場所。


でも、心のどこかには、

漠然とした不安があった。

この秘密の創作活動が、

家族にバレたらどうしよう。

特に、怜姉ちゃんに。


怜姉ちゃんは、音楽にめちゃくちゃ詳しい。

プロを目指してるだけあって、

耳も肥えてるし、厳しい批評をする人や。

もし、私の作った曲を聴いて、

「こんなん、ゴミやん」「才能ないんやったらやめとけ」

って言われたら……。

その想像だけで、胸がギュッと締め付けられた。


そんなことを考えながらも、

私はヘッドホンをつけて、集中する。

今日は、昨日書いた新しい詩に、

メロディをつけてるところやった。

「プレリュード」という曲。

サビの部分が、なかなかハマらなくて、

何度も何度もやり直してた。


「うーん、もうちょっと、こう……

『光の粒が 降り注ぐように』、からの、どうやったら……」


画面と睨めっこしながら、

マウスをカチカチ動かしていると、

突然、自室のドアが、

音もなく「スーッ」と開いた。


心臓が跳ね上がった。

反射的にヘッドホンを外して、

振り返る。


そこに立っていたのは、怜姉ちゃんやった。

いつもの無表情で、私とパソコンの画面を

交互にじっと見つめている。

手に持っていたコンビニの袋が、カサリと音を立てた。


「な、何? 怜姉ちゃん?」


焦って、思わず画面を隠そうと

体を動かすけど、もう遅い。

怜姉ちゃんの視線は、

すでにボカロソフトの画面に

釘付けやった。

私の青ざめた顔と、ボカロソフトの画面。

明らかに、何かを察したようやった。


「何これ」


怜姉ちゃんの声は、いつも通りクールで、

感情が読めへん。

それが余計に怖かった。

怒ってるんかな。呆れてるんかな。

失望してるんかな。


「えっと、あの、これは……」


しどろもどろになりながら、

正直に打ち明けるしかないと思った。

どうせ隠し通せるわけない。

「私が、作った曲……」

絞り出すように、ようやく言葉が出た。


怜姉ちゃんは、何も言えへん。

ただ、私の方に一歩、また一歩と近づいて、

画面に表示された歌詞とメロディを、

じっくりと目で追ってる。

長い沈黙が、重たい。

心臓の音が、ドクドクうるさくて、

耳の奥で響いてる。


やがて、怜姉ちゃんは

私の隣にすとんと座り、ヘッドホンを手に取った。

そのまま、無言で自分の耳に装着する。

そして、マウスを動かして、再生ボタンを押した。


数秒後、ボカロの声が、

ヘッドホンから微かに漏れて聞こえてくる。

怜姉ちゃんは、目を閉じて、

じっと私の曲を聴いていた。

まるで、ライブ会場で真剣に音楽を聴く時と同じような、

集中した表情で。


聴き終わると、ヘッドホンを外して、

私に返してきた。

その顔は、相変わらず表情を変えへん。

でも、その口から出た言葉は、

私の想像とは、全然違うもんやった。


「悪くない」


短く、シンプルすぎる一言。

でも、その後に続いた言葉に、

私は耳を疑った。


「特に、歌詞。なんか、引き込まれるもんがあるな。

ありふれた言葉なのに、妙に刺さる。

あんた、こんなセンスあったんか」


まさか、怜姉ちゃんが、

私の詩を褒めてくれるなんて。

いつも厳しくて、音楽に妥協しない怜姉ちゃんが。

胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていく。


「どうせやるなら、ちゃんとやったら?」


怜姉ちゃんは、そういうと、

私のパソコンのキーボードを指差した。


「活動名、決めぇへんの?」


活動名?

そんなこと、考えたこともなかった。

誰にも知られへん秘密の趣味やと思ってたから。

私はただ驚いて、何も言えずにいると、

怜姉ちゃんはあっさりと言った。


「『わかP』でええやん。

シンプルで覚えやすいし、和歌にぴったりや」


「わかP……?」


自分の名前と、プロデューサーの「P」。

なんか、ちょっと、ダサいねんけど……。

そう心の中で呟いたけど、

怜姉ちゃんは私を一瞥すると、

「はいはい、決まりね」と一蹴した。

何も言えずに、私はただ頷くしかなかった。

でも、なんか、ちょっと、カッコいい響きや。

私の中の何かが、弾けた気がした。


「YouTubeにチャンネル作って、

そこで公開したらええ。

設定は私がやってやるから」


怜姉ちゃんは、私の返事を待つこともなく、

手慣れた手つきでパソコンを操作し始めた。

そのテキパキとした動きに、

私はただ、呆然と見ているしかなかった。

あっという間に、

YouTubeのチャンネルが作られていく。

アイコンは、怜姉ちゃんが適当に選んだ

可愛い猫のイラストやった。


「よし、できた。

あとは、お前の曲をアップロードするだけや」


初めて作ったあの曲を、YouTubeに投稿する。

そう思うと、緊張と、

それから、今まで感じたことのない、

大きな期待が、胸の中で混じり合った。

震える指で、投稿ボタンにカーソルを合わせる。

本当に、これでええんかな。

私の作ったこんな拙い曲が、

誰かに聴かれるんやろか。

不安が、一瞬よぎった。


でも、それよりも、

私の言葉を届けたい、という気持ちの方が、

ずっと大きかった。

怜姉ちゃんの、無言の応援も背中を押してくれた。

マウスをクリックする。

その瞬間、私の小さな世界が、

一気に広がるような気がした。


人見知りの私でも、これなら自分の言葉を届けられる。

ボカロへの情熱が、確かなものになった。


人知れず、「わかP」としての新たな世界への

一歩が始まった。

静かに、しかし確実に、私の未来は動き出した。

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