第一章 2
3
「コール。アレクサンドロスからカムパネルラへ」
カフスから聞こえるのは、甲高い声だった。
「
「スウォーム?」
聞き返せば、擦過音。首を振っているのだろうけれど、その軸は音では伝わらない。
「どっち?」
「ノウ。感知できる存在強度が違う。ノーマルが二と、不明が三。そのうち二はやや
つまり、数比は単純な五体一、か。
「救援は?」
「掛けてるけど、繋がらない。多分、ジャマーがいる」
「ぼくたちは繋がってるけど」
「この距離ならほとんど、有線みたいなものだ。私の能力ならね」
「頼りにならないね」
「全く」
マイク越しのため息。ぼくがしたかったことを、代わりにやってくれるサービスかも、と思った。
「やれるかい?」
「やれなきゃ、死ぬだけ」
いつだって、そう。
できるものが生き残るのではない。
生き残ったものは、できた。
ただ、それだけ。
ぼくは通信を切った。
「カムパネルラ」
声を、投げかける。ビルの屋上。寒々しく吹き散る、乾いた風。その泡立つこともない、見えない孤独の波間から、それは現れる。
水棲の孤児。朽ちた未熟児。伽藍の翼を広げ、足なき体をうねらせる、髑髏の肖像。
カムパネルラ。這うように、撫ぜるように、中空に浮かぶ彼が、可聴域を超えた産声を上げる。
それは、ぼくが
「行こう」
敵は、五体。離れているうちに、本体を狙われる可能性がある。
ぼくが手招くと、カムパネルラは背に這うように張り付いた。
頭蓋の内側で、見えざる意思を意識する。浮遊する体。浮き上がる力は、果たしてどちらが持っているものか? 現実という抑圧が消え去れば、その程度。所詮重力など、弱い鎖。揮発する精神の浮力を繋ぎ止めるには、あまりに弱いのだ。
空には薄く、雲がかかっている。その後ろには、きっと月があるのだろう。透かし彫りのように、うねりが影になって、雲を白く浮かび上がらせている。ぼくらは一繋がりの醜い生命体になって、美しい雲の内側に潜り込む。
肌を打つ、霧雨のような湿り気。それも一瞬。濡れた体から、吸われるように水気が消えて、ぼくらは雲の上に躍り出た。
目視できる範囲にいたのは、二体。戦闘機に近い、硬質の翼。ただし、その下半身は流線からは程遠く、獣のような四つ足が、ゴムのような皮に覆われて脈動していた。
機械と獅子の融合体。不恰好な混合獣。
囲まれることは避けたい。それに最も有効な手段は、数を減らすこと。つまりは特攻だ。罠だろうと、関係がない。やることは同じ。殺すか、殺されるか。命を守る、という選択肢は、勝利を投げ出すのと同じ。負けるくらいなら、死んだ方がマシだ。いつだって。そうだろう?
月の光が、雲の大地を青白く照らしていた。
機種の先端付近。チカチカと輝く二つの赤いサインが、まるで獣の双眸のようだった。
どしゅ、と音が立つ。ミサイルの発射音。翼の陰から放たれたそれが、突貫するぼくらへと向かってくる。
「カムパネルラ」
指示の言葉は不要。それが必要でないほど、ぼくたちは一つ。だからこそこんなにも醜くて、救い難い有様なのだから。
音速を超えた飛行中の、冗談みたいな急旋回。かかるGはもはや人間の許容限界を超えていて、つまりぼくはもう、人間からは外れているということ。
愉快な気分だった。
笑い出したくなるような風の音色。追い縋るミサイルの挙動を嘲笑いながら、空中を一回転。ミサイルを背に引き連れながら、突貫を継続。機銃の掃射がなされるけれど、豆鉄砲だ。
「本気を出しなよ」
鱗が煌めく。
解き放たれた指向性の熱線。通過した後の空気が焼けただれ、プラズマ化する。
ミサイル、機銃の掃射、そしてその根本。全てを等しく焼き払って、砕け散ったミサイルの爆破音を背に、さらに眼前へ突貫。
今の一撃で死んでいる、というのは楽観だ。わざわざ、機械の形を取ったこと。それにはおそらく、意味がある。
ほら、光が晴れれば。
無傷。
爆炎の向こうには、傷ひとつないグリフォンたちが佇んだまま。その表面に、奇妙な煌めき。おそらくは、反射装甲。あるいはラミネートか。光を反射し、あるいはその方向をずらし、熱線の収束を妨害する。そのような対策装備。おそらくは、効果が永続するようなものではなく、ある程度の時間照射され続ければ、熱に負けるような程度のもの。
その時間を作らせないための、チームプレイか――
楽観。
飛びつかれた衝撃で、それを思い知る。
機械獣は二体ではない。それは初めからわかっていて、けれど見えていなかった。
「ステルス――」
対面の二人は見せ札か。ジャミング。電波的なそれではない、意識に対するそれ。鱗を煌めかせ、熱線を照射。けれどその寸前に、のしかかられる重みが消える。構わず放つけれど、すでに範囲外。
「雲の中に逃げ込まれたかな」
今度こそ、というわけだ。雲を吹き飛ばすほどの大火力は、今は難しい。
感触からして、飛びついてきたステルス機は二体。やや小型。グリフォンたちを戦闘機とすれば、こちらはせいぜいがヘリコプター程度。それでも十分以上の大きさではあるのだけれど、単純な質量差が、格闘による優位性を落としている。おそらくこれ以上の大きさだと、違和感を消し切れないのではないか。
見せ札の盾役。伏せ札の暗殺者。ならば残る札は――
「カムパネルラっ!」
声を荒げる。普段はしないこと。つまり、通常の状態ではないという意味だ。青白い光。月の眼差し。――この赤い空の下で、それが?
ぼくらは全力で下降する。背後からミサイルと機銃が襲うが、無視。雲に飛び込もうとして――見えざる衝撃。
「道連れのつもりか」
鬱陶しい。苛立ちが、プリズムを瞬かせる。けれどそれがこそ、さらなる悪手。一瞬の停止。命取りとわかっているのに! 攻撃している暇はない。振り解く、いや、間に合わない。引きずってでも、雲の中へ――
タイムリミット。
光、
と、
轟音、
が。
それは質量のない断頭台の一撃だった。
頭上から振り落ちる形のない光。収束する必要もない圧倒的なエネルギー。少しでもそれを相殺しようと、あたかも炸裂装甲のように、鱗を瞬かせるけれど、そんな抵抗は焼け石に水でさえなくねじ伏せられる。
超高高度、完全な意識外からの攻撃。必殺必滅を期した、切り札による一撃が、まとわりついたステルス機たちごと、ぼくたちを焼き尽くしていく。
やむを得ない。
「パージ」
唱える必要も、本来はない。カムパネルラがぼくとの接続を断ち、ぼくは自由落下を開始する。残された彼は、翼を広げ、なるべく多く影を作るように、落下するぼくを助ける。甲斐甲斐しい限り。感謝することはないけれど。
影の内側を落ち、雲の中に突入する。振り落ちる光は、熱線ではない。具現化したプラズマ。それはすなわち、永続する落雷に近く、雲の内側で、それは拡散する。しかし、雷雲に揉まれ、ただの人間が生き残れるはずはない。
だから、これは必要経費だ。
「コール、アレクサンドロス」
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