僕が悪役貴族?ふざけるな!--踏み台扱いなので後は知りません--

沢庵へーはち

第1話 プロローグ

夢とは何なのだろう。


学者たちは、夢を記憶の整理と説く。

魔法使いたちは、純魔力に刻まれた記録の断片と考える。

歴戦の冒険者たちは、魔族や魔物の精神干渉と警戒する。


僕は、長く果てしない夢を見た。

およそ三十年分の、冴えない男の人生。

魔法のない世界。科学技術が発展し、当たり前が当たり前として享受される世界。

理不尽な神も、災厄を振りまく魔物も、脅威たる魔族も存在しない、退屈で平和な世界。

しかし、ただ一つ変わらぬものがある。

そこでも最大の脅威は――人間だった。


その世界では、僕の生きるこの世界が、まるで作り物のように描かれていた。

架空の物語として、指先一つで動かせる“ゲーム”として。

そして、そこには僕自身もキャラクターとして登場していた。

人類を裏切る敵として。


夢とは何なのだろう。

もし、これが妄想ではなく――破滅的な未来からの贈り物なのだとしたら。

僕は……



アルセタリフ王国は、ラーム・ダグラ大陸の西部に位置する五大国家のひとつである。

その王都から北東に広がるハーベルバーグ侯爵領は、広大な平地と北の国境を成すピローネ山脈を擁している。

平原には果てしなく続く穀倉地帯が広がり、山脈に続くなだらかな尾根では食用家畜の放牧が盛んに行われている。

鉱山資源こそ乏しいが、王国最大の港と王都を結ぶ運河の要衝であり、さらに陸路の交差点としても栄えるこの地は、人と物資が絶えず行き交う豊かな領地であった。


その心臓部にあたるのが、運河の要塞を兼ねた領主城、そしてその城下町マ・ルトロンである。

水運を活かした貿易で繁栄を極め、多くの商社や船乗りが集まるこの街は、表向きは活気に満ちた華やかな都市だった。しかし一歩陰に足を踏み入れれば、そこには剥き出しの欲望と利権争いが渦巻き、金の匂いに惹かれた魑魅魍魎たちが蠢いている。


そんな、良くも悪くも“ありふれた”大都市の中心部。

運河をまたぐ巨大な橋のたもとに佇む大聖堂では、静謐な空気の中、「鑑定の儀」が執り行われようとしていた。

集められたのは、まだ10歳の子供たち。

神の名のもとに、彼らの運命がここで見定められようとしていた。



「まさか……!この“歪み”は、悪魔がスキルを恐れて仕掛けた偽装……!スキル名が文字化しています。」

「何? 神官、それは本当か?」


身なりの良い紳士が声を荒げ、司祭服をまとった初老の男に問い詰める。


「はい、プレートをご覧ください。間違いありません」


神官は、ベッドに横たわる髪が赤橙色の少年――キース・ハーベルバーグの胸元から生えるように現れたプレートを手に取り、驚愕の表情で紳士へと差し出した。

そこには彼の名前が記されていた。

しかし、それ以外の記載内容は、ラーム・ダグラ大陸の大半の国々で使われている共通文字でも、古代魔術文字でもなく、まるで異なる複数の言語が混在し、判読不能な状態となっていた。


「文字化けスキル……」


侯爵ベーラッシュ・ハーベルバーグは、自慢の顎鬚を弄びながら動揺を隠すように問いかける。


「このスキルは、覚醒すればとてつもない力を持つが、当たり外れが極端だと聞いている。間違いないな?」

「はい、その認識で間違いございません、ベーラッシュ様。真偽を隠す狡猾な悪魔の卑劣な企みです。かつて世界を救った古の勇者、『勇気』のスキル保持者も、鑑定の儀ではこの文字化けスキルを賜ったと伝えられております!」


神官の声は興奮に震えていた。


「ほう……そうか、そうか!」


侯爵の顔に満足げな笑みが広がる。


「流石は我が息子だ! 古の英雄と同じ、いや、それ以上の素晴らしいスキルに覚醒するに違いない!」


その隣で、キースはただ静かに聞いていた。

まるでこの結果を知っていたかのように、動揺する様子もない。

むしろ、大人たちの会話の一言一句を逃さぬよう、冷静に耳を傾けている。

その様子は、十歳の少年には似つかわしくないほど落ち着いていた。


「実は、今年は他の地域でも文字化けスキルを賜った者がおります」


神官の言葉に、侯爵の眉がぴくりと動く。


「なに?」

「十年に一度記録されるかどうかの文字化けスキルが、今年は二人も……これはまさに奇跡です!」

「ほう、それはどこの家の者だ?」


侯爵は興味を示したが、すぐに自らの問いを否定する。


「……いや、詮索するのは無礼というものだったな」

「いえ、ご安心ください。貴族の子女ではありません。平民の者ですので、問題にはなりません」


その瞬間、侯爵の顔に侮蔑の色が浮かぶ。


「平民か……ならば、我が息子が偉大なスキルを授かったことは確定だな。哀れなことよ」

「確かに、同じ時代に二人の文字化けスキル持ちが現れた記録はありません。どちらかが外れである可能性は非常に高いでしょう」


神官はあくまで確率論を述べたつもりだったが、侯爵には別の意味で聞こえたようだ。


「そうだろう、そうだろう! 流石は我が息子だ!」


満足げに頷く侯爵。しかし、それを見つめる二対の瞳は冷ややかだった。

神から賜るスキルに、人間の身分など関係ない。

神官は長年の経験からそう理解していたし、キース自身も知識としてそれを理解していた。

(愚かな侯爵様だ……だが、いい情報を引き出してくれた。僕以外にも、文字化けスキルを持つ者がいる)


キースは内心、ほくそ笑む。

(この頭の中にある記録は、夢でも妄想でもない。十分に活用できる情報なんだ)


「よし、屋敷に戻ったら盛大に祝うぞ! これから忙しくなるぞ!」


浮かれる父を横目に、少年はまだ見ぬ未来の記録に思いを馳せていた。

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