第11話:宮廷薬草師見習い
「ルリィ、準備はできたかい?」
出発の朝、師匠のバジルが心配そうに声をかけてくれた。
「はい、おじさま。お世話になりました」
僕は深くお辞儀をした。本当は正体を明かしたかったけれど、まだその勇気はなかった。
「元気でな。そして、立派な薬草師になって帰ってこい」
「必ず帰ってきます」
アルフィリアの馬車の前で、仲間たちが見送りに来てくれていた。
「ルリィさん、お体に気をつけて」
リリアが手を振ってくれる。
「王都でも頑張ってください」
エレーナが励ましてくれた。
「必ず手紙を書きますから」
カイルが最後に近づいてきた。
「ルリィ、王都で素晴らしい薬草師になってください。そして...」
彼は僕の手を握った。
「僕は待っています。必ず戻ってきてください」
「はい、必ず」
僕は約束した。
馬車が動き出すと、村がだんだん小さくなっていく。窓から手を振る仲間たちの姿が見えなくなるまで、僕は手を振り続けた。
「寂しいですか?」
アルフィリアが優しく聞いてくれた。
「はい、でも...新しい世界が待っていると思うと、楽しみでもあります」
「それは良い心構えですね」
――― 三日間の旅を経て、ついに王都エルドラドが見えてきた。
「すごい...」
僕は息を呑んだ。巨大な城壁に囲まれた都市は、村とは比べ物にならないほど大きい。高い塔がいくつも立ち並び、街道には人々が忙しく行き交っている。
「初めて見る光景でしょう?」
「はい。こんなに大きな街があるなんて」
馬車が城門をくぐると、石畳の道路が整然と延びていた。商店や住宅が立ち並び、噴水のある広場があちこちにある。
「あそこが王宮です」
アルフィリアが指差した先には、美しい白い建物が堂々とそびえ立っていた。
「私たちが向かうのは、その隣の宮廷図書館です」
「宮廷図書館?」
「王国最大の薬草学資料が集められています。あなたにはそこで研究をしていただきます」
僕の心が躍った。どんな貴重な資料があるのだろう。
――― 図書館は想像以上に巨大だった。天井まで届く本棚が所狭しと並び、古い羊皮紙の香りが漂っている。
「こちらが薬草学部門です」
案内してくれた司書の方が説明してくれた。
「アルフィリア様の推薦状をお持ちでしたら、どの資料でもお読みいただけます」
「ありがとうございます」
早速、古代薬草学の資料を探し始めた。村では見たことのない薬草の記録や、失われた調合法の記述がたくさんあった。
「これは...」
一冊の古い本に、変容の秘薬についての詳しい記述を見つけた。
『変容の秘薬は、魂と肉体の不調和を解消する神聖なる薬なり。ただし、調合者の真なる願いなくば、その効果を発揮せず』
「真なる願い...」
僕は考え込んだ。イグナスに無理やり飲まされたのに、なぜ正しく効果が現れたのだろう。
『また、完全なる性の変容を遂げし者は、稀有なる治癒の力を得ることあり。これを"アニマ・ヒーリング"または"魂の癒し"と称す』
「アニマ・ヒーリング?」
それは僕が村で発現した浄化の力と似ているような気がした。
――― 研究に没頭していると、アルフィリアがやってきた。
「ルリィさん、良いお知らせがあります」
「何でしょうか?」
「来週、宮廷薬師の認定試験があります。受験してみませんか?」
「宮廷薬師の試験?でも、私はまだ見習いで...」
「実力があれば年齢は関係ありません。それに、あなたなら必ず合格します」
アルフィリアの確信に、僕は勇気をもらった。
「挑戦してみます」
「その意気です。試験内容は実技中心です。未知の毒への解毒薬作成、戦闘用薬草調合、そして患者の治療です」
どれも村での経験が活かせそうな内容だった。
「一週間、集中的に勉強しましょう」
――― 試験まで毎日、朝から晩まで勉強漬けの日々が始まった。
図書館で理論を学び、実習室で調合の練習をする。アルフィリアが直接指導してくれるので、技術は飛躍的に向上した。
「素晴らしい進歩ですね」
三日目の実習で、アルフィリアが感心してくれた。
「この短期間で、これほど技術が向上するとは」
「アルフィリア様のご指導のおかげです」
「いえ、あなたの才能です。特に薬草同士の相性を読む能力は天性のものですね」
確かに、薬草を手に取ると、その薬草が他のどの薬草と組み合わせたがっているかが分かる。まるで薬草が話しかけてくるような感覚だった。
――― 試験会場の下見に行った時、他の受験者たちと出会った。みんな僕よりもずっと年上で、経験豊富そうだった。
「君も受験するのか?随分若いね」
中年の男性薬草師が声をかけてきた。
「はい、ルリィと申します」
「僕はマルクス。隣町で薬草師をやっている。君はどちらから?」
「エルデンヒル村から来ました」
「辺境の村から?それは珍しい」
他の受験者たちも興味深そうに僕を見つめた。中には明らかに見下すような視線を向ける人もいた。
「村の薬草師なんて、大したことないでしょう」
若い女性薬草師が嫌味っぽく言った。
「王都の薬草師とはレベルが違いますからね」
その言葉に少し傷ついたけれど、僕は負けじと答えた。
「確かに経験は浅いですが、精一杯頑張ります」
「ふふ、頑張って」
女性は鼻で笑って去っていった。
「気にするな」
マルクスが慰めてくれた。
「技術があれば認められる。それが宮廷薬師試験の良いところだ」
「ありがとうございます」
僕は彼の優しさに感謝した。
――― ついに試験当日がやってきた。
「緊張していますか?」
アルフィリアが心配そうに聞いてくれた。
「はい、とても」
「大丈夫です。普段通りにやれば必ず合格します」
試験会場には20人ほどの受験者が集まっていた。試験官として、王国の高位薬草師たちが並んでいる。
「それでは、第一課題を発表します」
試験官長が厳かに言った。
「未知の毒に侵された患者の治療です。制限時間は一時間」
会場に運び込まれたのは、紫色の斑点が全身に現れている患者の人形だった。でも、この症状には見覚えがあった。
「これは...」
村で子供たちを襲った毒と同じ種類だった。イグナスが使った毒の変種のようだ。
他の受験者たちが困惑している中、僕は冷静に分析を始めた。
「この毒は植物性で、神経系に作用している...」
村での経験が活かされた。僕は迷わず解毒薬の調合を始める。
「ピュリファイ・ローズとホーリーミントを3対2の比率で...」
手が勝手に動くように、スムーズに調合が進んだ。
「完成です」
他の受験者がまだ分析している中、僕は一番最初に課題を完了した。
「早いですね。では効果を確認してみましょう」
試験官が人形に薬を投与すると、紫色の斑点がみるみる消えていった。
「素晴らしい。完璧な解毒です」
試験官たちがざわめいた。
「第二課題に進みましょう」
第二課題は戦闘用薬草の調合だった。爆発薬草ボムと治癒ポーションの同時作成という難題だったが、これも村での実戦経験があった。
第三課題は薬草学の知識問題。古代薬草についての専門的な質問だったが、図書館での猛勉強が役に立った。
「薬草の分類体系について述べなさい」
「生命力、精神力、魔力の三系統に大別され...」
すらすらと答えることができた。
――― 「それでは合格者を発表します」
試験官長が結果を読み上げ始めた。
「マルクス・フェンネル」
「やったぞ!」
マルクスが喜びの声を上げた。
「エルザ・ミント」
先ほど僕を見下していた女性薬草師も合格していた。
「そして...ルリィ・ハーベスト」
僕の名前が呼ばれた瞬間、会場がざわめいた。
「最年少合格者ですね」
「しかも全課題満点」
「村出身でこの結果とは...」
僕は信じられない気持ちだった。本当に合格したのだ。
「ルリィ・ハーベスト、前に」
僕は緊張しながら前に出た。
「あなたは本日より、王国宮廷薬師見習いの地位を得ます」
試験官長から美しい認定証を受け取った。
「特に第一課題の解毒薬は見事でした。実戦経験がおありですか?」
「はい、少しだけ」
「それが活かされましたね。今後の活躍を期待しています」
会場から拍手が起こった。マルクスも嬉しそうに拍手してくれている。
――― 試験会場を出ると、アルフィリアが待っていてくれた。
「おめでとうございます!」
「ありがとうございます!信じられません」
「信じてください。あなたの実力です」
アルフィリアは本当に嬉しそうだった。
「これで正式に私の弟子になれますね」
「はい、よろしくお願いします」
僕は深くお辞儀をした。
――― その夜、僕は村のみんなに手紙を書いた。
『みなさんへ 宮廷薬師見習いの試験に合格しました! みなさんとの経験があったからこそです。 本当にありがとうございました。 必ず立派な薬草師になって帰ります。 ルリィより』
短い手紙だったけれど、感謝の気持ちを込めて書いた。
小さな成功かもしれないけれど、僕にとってはとても大切な一歩だった。村での経験、仲間たちとの絆、そしてアルフィリアの指導...全てが今日の成功に繋がっていた。
「私にもできることがある」
鏡の中のルリィを見つめながら、僕は確信していた。性別なんて関係ない。大切なのは、人を助けたいという気持ちと、それを実現する力だ。
王都での新しい生活が、いよいよ本格的に始まった。
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