悪役令息に転生した元社畜、乙女ゲームの破滅フラグを回避しつつ領地改革してたら、聖女メイドに甘やかされはじめた件
あむ
一章
第一話「侯爵令息、目覚める」
――朝の光が、やけにあたたかかった。
繊細なレース越しにこぼれる日差しが、しっとりとした絹の寝具を照らしている。頬に触れる枕の柔らかさ、鼻先をくすぐる紅茶と百合の花の香り。
ゆるやかな風が、どこかの窓から吹き込んでいた。
ここは……どこだ?
ぼんやりと目を開けた俺は、目に映るものすべてに違和感を覚えていた。だがその違和感は、頭の奥から押し寄せた“確信”によって、あっという間に意味を持つものへと変わる。
(あ……このベッド、部屋の構造……そうか……)
忘れようのない、幾度となく画面で見てきた景色。
これは――ゲームの中の世界。
乙女ゲーム『神々の祝福と歪んだ恋慕』の、あの貴族屋敷の寝室だ。
そして、俺の名前は……レオン・ヴァルトライヒ。
本来なら嫌われ、断罪される“悪役貴族”の少年。
わけも分からず車にはねられて、気づけばこの世界に転生していたというわけだ。
(はは……ほんとに転生なんてあるのかよ)
ゲーム好きな社会人だった俺――後藤健也は、会社の帰りにコンビニにも寄れず、くたびれた身体で夜な夜なゲームに癒やしを求めていた。
特にこの『神々の祝福と歪んだ恋慕』は、恋愛と政治と魔法と領地改革が絶妙に組み合わさった傑作で、実はヒロイン以上に“育成パート”に夢中だった。
でも……まさかその世界に入ってしまうなんて。
(しかも、悪役って……マジか……)
レオンは嫌われる。
ヒロインたちに横暴な態度を取り、次々に敵対し、主人公アランの恋路を妨害して――その代償として断罪ルートに放り込まれる。
だが、今は十歳。学園編まであと五年もある。
なら、やり直せるかもしれない。
悪役としてではなく、“善人”として。
そう思ったときだった。
――コン、コン。
「……おはようございます、坊ちゃま」
声がした。寝室の扉の向こうから、少しだけ緊張を含んだ、落ち着いた女性の声。
次の瞬間、扉がゆっくりと開き、ひとりの少女が入ってくる。銀糸のような金髪をうなじで結わえ、藍色のリボンを巻いた清楚なメイド服。
柔らかな髪を揺らしながら、お盆を両手で丁寧に抱えたその姿は――
――シャルティア・ルミナリエ。
ゲームの中で最も人気だった“ヒロイン”の一人にして、実は聖女の家系の血を継ぐ者。
ただし、この時点ではその事実を自覚しておらず、侯爵家の使用人のひとりとして働いている。
「……あ、おはよう。シャル」
「……っ、し、失礼しました」
彼女は俺の顔を見るなり、わずかに肩をすくめた。
明らかに驚いていた。目も見開いているし、警戒の色も強い。
「坊ちゃまが、笑顔で起きていらっしゃったので……ちょっと、びっくりしてしまいました」
びっくり……というより、動揺。
たぶん彼女にとっての俺――つまり元のレオンは、朝から機嫌が悪く、常に誰かを見下すような目つきをしていたのだろう。
「いや……悪かったな、驚かせて」
なるべく柔らかく、落ち着いた声で返してみる。
シャルは少し表情を動かしかけて、しかしすぐにまた平らな顔に戻った。
「……いえ、別に。朝のご挨拶は当然ですので」
どこか義務的な声だった。
“坊ちゃまの気まぐれには付き合い慣れてます”――そんな心の声すら読み取れそうで、ちょっとだけ心が痛む。
「こちら、本朝のお紅茶でございます。前日の夜に仕込んだローズヒップとアッサムのブレンドで……」
丁寧な動作で、卓上にティーカップが置かれる。
手際も目線も完璧で、けれどその笑顔は完全に“仕事中の顔”だ。
(この子……完全に俺のこと嫌ってるな)
当然だ。前世の記憶によれば、レオンはこの子に対して特に酷かった。
使用人のくせに、という態度で蔑ろにし、ちょっとでも茶の味が気に入らないと食器を床に投げつけ――
(……いや、あの頃と同じになっちゃダメだ)
俺は恐る恐る、カップを手に取る。
「……いただく」
「はっ、はい」
そっと口元に運ぶと、ほのかに香るハーブと紅茶の苦み。
口当たりは柔らかく、後味にほんのりとした甘さと、酸味の輪郭が感じられる。
丁寧に淹れてくれた、まっとうな味だ。
「……紅茶が、うまいな」
ぽつりと、呟いた。
その一言に、シャルのまつ毛がぴくりと揺れる。
……たぶん、褒められると思ってなかったんだろうな。
「……あ、ありがとうございます」
小さく頭を下げる仕草に、また少しだけ罪悪感が湧いた。
嫌われてるのは、仕方がない。でも、信頼は一歩ずつ積み直せる。
そのための第一歩は、もう始まっている。
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