第52話 混沌世界のシステム再構築

私の意識は肉体を離れ、光と情報の奔流へとダイブした。


目の前に広がるのは、暴走する古代遺跡のシステムネットワーク。それはもはやライナスが作り上げたプログラムの比ではなかった。数千年という長きにわたり、自己増殖と複雑化を繰り返した末のカオスそのもの。無数のエラーコードが赤い稲妻のように走り、矛盾した命令系統が互いに激しく衝突し、危険な火花を散らしている。


前世で例えるならば、誰も仕様書を読めないまま何十年も場当たり的な改修を重ねられた巨大なレガシーシステム。そのサーバーが物理的に燃え上がり、データセンターごと崩壊する寸前のような状態だった。


「……ひどい。これはひどすぎるわ。ドキュメント管理はどうなっているのよ」


普通の人間ならば、いや前世のどんな優秀な同僚であっても、この光景を前にすれば絶望して逃げ出したくなるだろう。しかし私の心は不思議と燃えていた。

誰もやりたがらない。誰も手をつけられない。そんな混沌としたシステムを完璧に整理整頓し、あるべき美しい姿に戻す。それこそがシステムエンジニアとしての私の本能であり、最高の喜びなのだから。


『――侵入者ヲ、確認。直チニ排除スル』


遺跡の防衛システムが、私という異物を正確に認識し、無慈悲な攻撃を仕掛けてきた。

情報の奔流が鋭い槍となり、私の精神そのものを貫こうと襲いかかる。それは単なるデータ攻撃ではない。人の記憶を消去し、自我を破壊する恐ろしい精神攻撃だった。

前世の過労死の瞬間の苦痛や、この世界に来てからの数々の死線。私の心の弱さを的確に突いてくる幻影が、槍の穂先となって迫る。


「させるもんですか!」


私は自分の精神の周りに、強力な防御の壁を瞬時に構築した。

それは私がこれまでにデータベース化してきた、この国の全ての歴史、法律、そして人々の想い。アルベルト陛下が私に寄せる絶対的な信頼。レオン様が私に誓ってくれた揺るぎない忠誠。セシリア公女の希望、ライナスの歪んだ願い。その全てを編み上げて作った、私だけの最強のファイアウォールだ。


情報の槍は、その複雑で温かい光を放つ壁にぶつかり、甲高い悲鳴のような音を立てて砕け散った。


「あなたのその場しのぎのパッチワークみたいなセキュリティ、私には通用しませんわよ!」


私は思念で強く叫び返した。


「今から、このぐちゃぐちゃなシステムを私が根本から作り直してあげる!」


私は情報の海を、まるで故郷のプールを泳ぐように自由に進んでいく。そしてこの巨大システムの根源、すなわちコアへと向かった。


そこにあったのは、巨大な球体状の光の塊だった。この遺跡の全ての情報を統括するメインサーバー。そして『天候制御装置』の、本当の制御ユニットでもある。

そのコアはヴァルデマーの死によって制御を失い、暴走状態に陥っていた。このままでは蓄積された膨大なエネルギーを放出し、この山脈一帯を跡形もなく吹き飛ばすほどの大爆発を引き起こすだろう。


「……時間がない」


私はコアにそっと手を触れた。そして私のスキル《完璧なる整理整頓》の全ての力を、そこに惜しみなく注ぎ込む。


「まずは現状の全データを安全な領域にバックアップ。次に不要なキャッシュとエラーログを完全削除。そしてシステムのカーネル部分から、最適化を開始します!」


私の頭の中で、前世で慣れ親しんだ作業工程が鮮やかに蘇る。

膨大な数千年分の混沌とした情報が、私のスキルによって猛烈な速度で解析され、分類され、あるべき正しいフォルダへと整理されていく。


それはまさに神業だった。

複雑に絡み合っていたスパゲッティコードが、一本一本丁寧に解きほぐされ、美しく効率的なコードへと書き換えられていく。

矛盾していた命令系統は統合され、最適化されたワークフローへと再構築される。

暴走していたエネルギーの流れは、私が新たに設計したバイパス回路を通って、安全な場所へと迂回させられていった。


その間、現実世界では私を中心とした騎士たちの円陣が、必死の防衛線を繰り広げていた。

天井から降り注ぐ巨大な岩を、レオン様が剣の一閃で両断する。

壁から伸びる無数の黒い触手を、騎士たちが絶妙な連携で切り払う。

彼らは私の作業が終わるのを信じて、その身を盾にして命懸けで時間を稼いでくれていた。


「ミカ嬢は、まだか……!」

「持ちこたえろ!我らが女神を信じるのだ!」


彼らの悲痛な、しかし希望に満ちた声が私の意識の奥底まで届く。

その声が、私の力の源となった。


「……もう少し。あと少しで、終わる」


私は最後の仕上げに取り掛かった。

それはこの遺跡のシステムに、全く新しいOS、つまりオペレーティングシステムをインストールする作業だった。

そのOSの名前は『ミカ・アシュフィールド・バージョン1.0』。

私がこの世界に来てから学んだ全ての知識と経験。そしてこの国を、この世界をもっと良くしたいという強い想い。その全てを注ぎ込んで作り上げた、私だけの完璧なシステム。


「――インストール、完了!」


私がそう思念した瞬間、暴走していた遺跡のシステムがぴたりとその動きを止めた。

赤い稲妻のように走っていたエラーコードは消え失せ、代わりに穏やかで温かい青色の光がネットワーク全体を満たしていく。


遺跡の揺れが、まるで嘘のように収まった。

天井から降り注いでいた岩もぴたりと空中で静止し、やがて砂のようにサラサラと崩れていく。


現実世界で、私はゆっくりと目を開けた。

私の周りを守っていた騎士たちが、呆然と、その信じられない光景を見上げている。


「……終わった、のか?」

「揺れが、止まったぞ……!」


私はふらつく足でなんとか立ち上がると、彼らに向かってにっこりと微笑んだ。

「はい。この遺跡の『お片付け』、完了いたしました」


私のその一言に、騎士たちはどっと雄叫びを上げて喜びを爆発させた。


レオン様が、私の元へ駆け寄ってくる。

その顔には安堵と、そして今まで見たことのないほどの、深い、深い愛情の色が浮かんでいた。

彼は何も言わず、私を力強く、しかし壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめた。


「……ミカ。よく、頑張ったな」


その声は、感極まって震えていた。

彼の温かい胸の中。私はようやく全ての重圧から解放され、安堵の息を漏らした。

私たちの長い、本当に長い戦いは終わったのだ。


広間の中央では『天候制御装置』が、今はもう完全に沈黙し静かに鎮座している。

暴走の危険は去った。しかし、このとんでもない代物をこのまま放置しておくわけにはいかない。


「さて、と」


私はレオン様の腕の中から顔を上げると、装置を見つめて言った。


「レオン様。次の仕事ですわ」


「……まだ、あるのか」


彼は呆れたように、しかし愛おしそうに私を見つめる。


「もちろんです。プロジェクトは後片付けまでがプロジェクトです。……この、大陸を滅ぼしかねない巨大な粗大ゴミをどうやって安全に『お片付け』するか。その計画書を作成しませんとね」


私のその言葉に、レオン様は楽しそうに笑った。

「ははは……。君は本当に、どこまでも君だな」


「ええ。私は、SE(システムエンジニア)ですから」


私たちは顔を見合わせて笑い合った。

その時、私の懐に入れていた通信水晶が再び淡い光を放ち始めた。

水晶に映し出されたのは、王宮の作戦室で固唾をのんで私たちを見守っていたアルベルト陛下の姿だった。

彼の金の瞳には、安堵の涙が浮かんでいる。


『ミカ……!無事か!本当によくやってくれた……!』


その声は王としての威厳ではなく、ただ愛する人の無事を喜ぶ一人の男の声だった。

そしてその陛下の背後。もう一つの通信水晶が起動しているのが見えた。

そこに映っているのは、ガルニア帝国の玉座に座るジークフリート王子の姿だった。彼もまたこの戦いの顛末を、固唾をのんで見守っていたらしい。


『……信じられん。本当にやってのけたのか、あの小娘は』


彼は呆然と呟くと、やがて獰猛な、しかしどこか楽しそうな笑みを浮かべた。

『面白い!実に面白い!ミカ・アシュフィールド! やはりお前は、俺の妃にふさわしい!』


そのとんでもない爆弾発言が通信機を通して、この場にいる全員に響き渡った。


「なっ……!?」


私を抱きしめていたレオン様の腕に、ぐっと力がこもる。

水晶の向こうで、アルベルト陛下の眉がぴくりと動いた。


「……え、何この空気」


大陸を揺るがす最大の危機は去ったはずなのに。

私の周りではどうやら、もっと厄介で、そして甘い、新たな戦いの火蓋が切られようとしていた。

私の穏やかなスローライフ計画は、どうやら銀河の彼方へと完全に吹き飛んでしまったようだった。


遺跡の調査を終えた私たちは、地上へと戻ることにした。

私が完全に制御下に置いた遺跡はもはや危険な罠はなく、ただの静かな地下空間へと変わっていた。

地上への道を歩きながら、レオン様がふと真面目な顔で私に尋ねた。


「ミカ嬢。一つ、聞いてもいいか」


「はい、何でしょう?」


「あの時、遺跡のシステムを掌握した君は、この遺跡の全てを知ったはずだ。……俺の知らない、何かを見つけたのではないか?」


彼の鋭い問い。私は一瞬だけ言葉に詰まった。

確かに、私は見てしまったのだ。この遺跡の、そして『天候制御装置』の本当の秘密を。

それはヴァルデマーでさえ知らなかった、この世界の根幹に関わるあまりにも大きな秘密だった。

私はそれを彼に話すべきか、少しだけ迷った。

しかしこの人には、何も隠し事はしたくない。


私は意を決して、口を開いた。

「……ええ。見つけました。この装置はただ天候を操るだけの兵器ではありませんでした。その本質は……」


私の言葉の先を、彼は真剣な眼差しで待っている。


「この世界そのものの『設定』に、干渉するための……インターフェースだったんです」


「……設定?インターフェース?」


聞き慣れない言葉に、彼が首を傾げる。

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地味スキル《お片付け》は最強です!〜社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?〜 ☆ほしい @patvessel

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