第12話 御前会議と二つの視線
緊急の御前会議は、王宮で最も格式高い「円卓の間」で開かれた。
高い天井には歴代の王たちが成し遂げた偉業を描いたフレスコ画が広がり、中央に置かれた巨大な黒曜石の円卓が重厚な光を放っている。
国王陛下の右腕である白髪の宰相閣下。法律の番人である法務大臣。そして私と、私の護衛として控えるレオン様。国の最高首脳陣がその円卓を囲んでいた。中心に座る皇帝陛下の表情は、いつになく厳しい。
(うわぁ……。前世で言うところの超重要プロジェクトの最終経営会議だわ、これ……。失敗したら子会社ごと吹き飛びそうな緊張感……)
私は胃がきりりと痛むのを感じながらも、平静を装って背筋を伸ばした。私の隣ではレオン様が氷の彫像のように微動だにせず控えているが、その全身から放たれる張り詰めた空気は普段の比ではなかった。
会議の冒頭、皇帝陛下が自ら私が発見した『忘れられた勅命』について簡潔に、しかし力強く説明した。
宰相閣下と法務大臣は最初こそ信じられないという表情で私を見ていた。しかし私がスキルで複製し出力した二百年前の勅命の原文、そして改竄の痕跡を詳細に分析したレポートを目の当たりにすると、その顔色は驚愕からやがて深い怒りへと変わっていった。
「……なんということだ。法の番人たる私が、この国の根幹を揺るがす改竄に気づかなかったとは。法務大臣として万死に値します」
法務大臣が顔面蒼白で頭を垂れる。彼は潔癖なまでに法を重んじる男なのだ。それゆえにこの失態は彼の誇りを深く傷つけたのだろう。
「いや、これは君の責任ではない」陛下は静かに首を振った。「むしろよくぞこの『聖域』にメスを入れてくれた。ミカ嬢の手柄だ」
陛下がそう言って私に視線を送ると、宰相閣下も皺の深い顔に厳しい光を宿らせながら深く頷いた。
「陛下のおっしゃる通りです。この国はあまりにも長い間、膿を放置しすぎた。今こそ大掃除の時ですな」
老練な宰相のその一言で、会議の空気は完全に固まった。
私が用意した詳細なデータと法的根拠に基づいた税制改革案は、ほとんど修正されることなく承認された。その内容は、あまりにも抜本的だった。
一、『古き辺境伯』派閥が享受してきた納税特権の即時剥奪。
二、全ての貴族の税率を領地の規模と収益に応じて再計算する、新たな累進課税制度の導入。
三、納税を拒否、あるいは不正な申告を行った貴族に対しては爵位の剥奪も視野に入れた、厳格な罰則規定を設ける。
この国が建国されて以来の、歴史的な大改革の始まりだった。
(ふふふ……。これで外堀は完全に埋まった。あとはどうやって彼らにこれを飲ませるか、ね)
会議が終わり、重臣たちが新たな勅命の準備のために慌ただしく退出していく。巨大な円卓の間に、陛下と私、そしてレオン様の三人だけが残された。
「ミカ嬢、今回も大儀であった」陛下が、ふっと纏っていた厳しい空気を緩めて言った。「君のおかげで、我が国の百年越しの課題にようやく終止符が打てそうだ」
「もったいないお言葉です。私は仕様書の不備を見つけて、バグ報告をしたにすぎません」
私の謙遜に、陛下は楽しそうに喉を鳴らした。
「その『バグ報告』が国を救うのだ。……しかし、問題はこれからだ。彼らは簡単には引き下がらんだろう。あらゆる手を使って抵抗してくるはずだ」
陛下の言う通りだった。これはまだ戦いの始まりに過ぎない。
「だからこそだ」
陛下は不意に真剣な表情になると、玉座から立ち上がり、私に一歩近づいた。
「君の身が心配だ。彼らの憎悪は、この改革案を作った君に集中するだろう。……レオン、警護は絶対に怠るな。彼女に万が一のことがあれば、私は……」
そこで、陛下の言葉が途切れた。その金の瞳に一瞬、統治者としてではない。アルベルトという一個の男としての深い憂慮の色がよぎったのを、私は見逃さなかった。
その熱のこもった視線に、私の心臓がとくん、と跳ねる。
「御意。この命に代えましても」
私の前に立つようにして、レオン様が静かに、しかし力強く答えた。
その広い背中が、まるで私を陛下の視線から隠すかのように、壁となって立ちはだかる。
レオン様の蒼い瞳が、私を振り返った。そこには陛下とはまた違う、静かで、しかしどこまでも深い守るべきものに対する絶対的な庇護欲が宿っていた。
その視線にもまた、私の胸は違う種類の音を立てて高鳴った。
(え、何この空気……。CEOと直属の上司から同時にすごいプレッシャー……じゃなくて、期待をかけられてる……?)
有能すぎる皇帝陛下と、忠実すぎる騎士団長。
二人の英雄からの、全く質の違う、しかし同じくらい重い視線。それは私を『国の宝』として大切に思う気持ちと、そしてほんの少しだけ、それ以上の何かが混じっているような気がして。
前世では過労と締切に追われるだけで、恋愛なんて遠い世界の出来事だった。そんな私がこの異世界で、国一番の二人の男性からこんなにも強い感情を向けられている。
その事実に、私の顔にじわじわと熱が集まっていくのを感じた。
「だ、大丈夫です! 私の身はレオン様がついていてくださいますし、何より私のスキルがあれば物理的な攻撃はある程度予測できますから!」
私はこの妙に甘くて重い空気を振り払うように、慌てて明るく言った。
「それに彼らが抵抗してくるのなら、こちらも次の手を用意するまでです。いわゆるコンティンジェンシープランというやつですね!」
「こんてぃんじぇんしー……?」
私のIT用語が、またしても二人の思考をフリーズさせた。
その隙に私は「では、失礼します!」と一礼し、そそくさと円卓の間を後にする。
背中に二つの熱い視線が突き刺さっているのを感じながら、私は早足で廊下を歩いた。
仕事のやりがいは最高だ。上司やクライアントに恵まれているのも間違いない。
でも、このドキドキするような緊張感はプロジェクトの炎上とはまた違う。私の心臓に、とても悪い気がした。
私のスローライフ計画は仕事の面でも、そしてどうやら、私の知らない個人的な面でも、完全に想定外のフェーズに突入してしまったようだった。
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