第13話「潮風の中のアイデア会議」
シャツの袖をたくし上げながら、清水沙良は喫茶店の入り口でひとつ深呼吸をした。閉店後の店内は、昼間の賑わいが嘘のように静かで、カップやグラスを片付けた棚がどこか誇らしげに見える。
今日は、初めての「会議」に参加する日だった。
メニューに季節限定の商品を加える――そのためのアイデアを出し合う場に、優佳先輩の推薦で参加することになったのだ。光栄、だけど、不安。前の晩は緊張で眠れず、ベッドの中で何度も「うまく喋れますように」と願ってしまった。
「沙良ちゃん、来たね!」
奥の席では、春日双葉がすでにノートとペンを広げていて、こちらに笑顔で手を振っていた。相変わらず元気いっぱいなその様子に、沙良は少しだけ安心する。
すぐ隣には、小谷優佳がきちんと座っていた。白いブラウスにカーディガンを羽織り、まるで会議室にいるような凛とした佇まい。沙良は思わず背筋を伸ばす。
「それでは、始めましょうか」
優佳がそう言うと、三人の間に落ち着いた空気が流れた。
「今回のテーマは“夏の喫茶店”。暑い季節でも来ていただけるような、爽やかで印象に残るメニューを考えたいと思っています」
ノートに書かれたメモを読み上げる優佳の声は、いつもより少しだけ柔らかい。それでも沙良は、言葉が喉につかえて出てこなかった。
「かき氷系ってどうかな? 抹茶とか、イチゴミルクとか……見た目も映えるし」
「うん、それ、いいですね」と優佳がうなずく。
双葉の提案に会話が弾む。沙良は必死にノートを開き、小さな字でメモを取った。けれど、気がつけば、ずっと聞いているだけだった。
――言わなきゃ、何も伝わらない。そう分かっているのに、勇気が出ない。
ペンを握る指先に力が入り、ページの端がくしゃりと折れた。
そのときだった。
「あの……」
自分の声が、テーブルに落ちた。
双葉と優佳が同時にこちらを見る。視線がぶつかった瞬間、心臓の音が耳の奥で跳ねた。
「……その、海が見えるこのお店で……レモンの、冷たいタルトとか。潮風と一緒に、さっぱりしたものを食べられたら、いいなって……思いました」
一瞬の静寂。沙良は言った後、俯きかけた。
けれど、
「それ、めっちゃいいじゃん! レモンタルトって、酸っぱくて夏っぽいし、見た目もかわいいかも!」
双葉が目を輝かせて叫んだ。
優佳も、ふわりと微笑んで言った。
「うん……想像しただけで、潮の香りと一緒にレモンの香りがしてきそう。とても素敵なアイデアだと思うわ」
――伝わったんだ。
沙良の胸の奥に、温かいものがゆっくりと広がっていった。言葉が届いたという実感が、体の芯まで沁みていく。
会議が終わり、沙良が鞄にノートをしまっていると、優佳が静かに近づいてきた。
「今日の提案、きっとメニューに反映されるわ。沙良さんの“想い”が、ちゃんと形になると思う」
その言葉に、沙良は小さくうなずいた。
「……はい。ありがとうございます」
出口を出ると、夜の海風が頬を撫でた。さわやかで、でもどこかやさしい風だった。
潮の香りとレモンの香りが、ほんの少し混じったような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます