第12話「一歩ずつ、二人の距離」

 木漏れ日が店内のテーブルをやさしく照らし、穏やかな午後の空気が流れていた。

 ここ数日で、沙良は少しずつではあるが、接客の動作に慣れてきていた。声はまだ小さいけれど、伝えたいことをちゃんと口に出せるようになってきた。双葉はその変化に気づくたび、さりげなく小さく拍手して見せる。


「お冷のおかわり……いかが、ですか……?」


 少し震える声。それでも、年配の常連客が「ありがとうねぇ」と笑顔を向けてくれると、沙良の頬もわずかにほころんだ。


 カウンターの中でその様子を見ていた優佳は、静かにグラスを拭きながら、微笑んでいた。以前はどこか自分にしか意識が向いていなかった沙良の視線が、少しずつ“お客さん”という他者へ向けられている。それが嬉しくもあり、どこか誇らしくも感じられた。


 閉店後。夕暮れが始まり、店の看板を仕舞い終えると、いつものように三人で後片付けをしていた。


「……今日の、あのおばあさん。前より、ちょっとだけ話せたかも……です」


 そうぽつりと口にした沙良に、双葉がすぐ「すごいよー! 本当にがんばってる!」と明るく声を弾ませた。


 沙良は照れくさそうに、手元の布巾でカウンターを拭きながらうつむいた。


「……まだ、緊張します。でも……お話しできると、ちょっと……うれしい」


 それを聞いて、優佳はふと手を止め、カウンター越しに静かに沙良を見つめる。


「その“うれしい”って気持ちを、大切にしてね」


「……はい」


 沙良の頬が少し紅潮し、けれどもその声には不思議と迷いがなかった。


「それとね、沙良さん」


「……はい?」


 優佳は少しだけ言葉を探すように視線を落としてから、再び沙良を見つめた。


「来週、メニューの見直し会議があるの。季節限定のスイーツや飲み物を検討するんだけど……もし、よかったら、参加してみない?」


 唐突な誘いに、沙良は驚いたように目を丸くする。


「……わ、わたしが……ですか?」


「ええ。無理にとは言わないけれど、少しずつ――お店のこと、もっと知っていってほしいから」


 沙良は言葉に詰まりながらも、必死に考えるように指先を組んだ。


 ……きっと、優佳先輩は試しているんじゃなくて、信じてくれている。

 そう思ったら、不思議と胸の奥に、ぽっと小さな光が灯るような気がした。


「……行ってみたいです。怖いけど……やってみたい」


 優佳の表情がやわらかくほどける。


「ありがとう。楽しみにしてるわね」


 その日の帰り道、沙良は潮の香りが混じる風を感じながら、小さく息を吐いた。


「……ちゃんと、前に進めてる……かな」


 問いかけに答えるように、ふいに風が彼女のスカートの裾を優しく揺らした。


 小さな歩幅でも、一歩ずつ。

 その足取りは、確かに昨日よりもしっかりとしていた。


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