第4話 標本と笑う女

警視庁・本庁舎。

地下にある鑑識課・生物解析室。

金属の扉が、軋むような音を立てて開いた。

 

「よく来たわね、東雲くん。あと……あら、佐藤さんまで? 珍しい組み合わせ」

白衣姿の女が、冷却保管庫の前で手を振った。

黒縁メガネの奥で、細い目が爬虫類のように笑っている。

 

白神美琴――鑑識課・生物系技官。

標本と死体と奇形をこよなく愛し、検体と話すのが日課という、変わり者だ。

だが、異常事件に関しては他の追随を許さない精度と執着で知られている。

 

「……で? 何がわかった?」

佐藤が早速切り出すと、白神は両手を広げて大げさに肩をすくめた。

 

「“わかった”というより、“わからない”ことがたくさん増えた、って感じね」

「皮膚だけだったって聞いてる」

「そう、皮膚だけ。人体の表層、つまり外殻はほぼ完璧に残っていたわ。

 でも、内部構造――筋肉、骨、臓器、血液……そのすべてが、きれいさっぱり“無”なの」

 

白神は冷蔵ユニットのスライド棚を引き出した。

中には、真空パックされた皮膚片がいくつか収められている。

 

「これ、ね。すごいのよ。裂けた跡も、切断もない。

 むしろ“内側から気化した”みたいに、跡が残ってないの。

 皮膚の内側は、うっすら焦げたような組織崩壊があるんだけど――何に曝されたのかは不明」

 

佐藤が渋い顔で腕を組んだ。

「毒か?」

「違う。化学的な成分反応も検出ゼロ。放射線量も正常。

 そして何より、“死因”がない。内臓が存在してないから、死ぬことすらできてない。

 記録上は、“死体ではあるが、人間とは断定できない状態”よ」

 

東雲は一歩近づき、ガラス越しに皮膚片を見つめた。

人間の皮膚にしては、妙に乾いており、光を反射しない。

 

「二件目も同じだった?」

「ええ、ほとんどコピーかと思うくらいに類似。

 ……でもね、あっちはほんの少しだけ“指紋の凹凸”が潰れてたの。

 まるで、誰かがその人間だった記録を、指先から消しにかかってるような……そんな印象」

 

佐藤が首を傾げた。

「記録を消す、ってのは感傷的すぎないか?」

「そうかしら? 私には逆に、とても“意志的”に見えるのよ。

 これは偶然でも事故でもない。“誰か”が、“何か”のためにやってる」

 

東雲は黙っていた。

だがその耳には、あの夜、名もなき声がささやいた記憶が蘇っていた。

 

誰かが、存在を奪われる。

誰かが、記録からも、記憶からも消えていく。

 

それは、死ではない。

存在そのものの蒸発。

そして、その痕跡として皮膚だけが残されている。

 

「まだ調べてみるけど……これ、私の中では“死体”じゃなくて、“痕跡”なのよね」

白神は楽しげに言った。

その口元には、どこか甘やかな残酷さが漂っていた。

 

「……変わった女だな」

佐藤がぼそりと呟くと、白神は振り返りもせず手を振った。

「ありがと。そういうの、褒め言葉だと思ってる」

 

東雲の視線は、標本棚のガラス越し、皮膚片の皺へと注がれていた。

指先の皮膚が、今にも動き出しそうな錯覚を抱かせる。

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