第3話 灰色の午後

現場は、環七通りから少し入った集合住宅の一角だった。

灰色の空の下、午後の光は色彩を奪ったように淡く、建物も人影も輪郭だけでできているようだった。

 

「こちらです」

案内に立った地域課の制服警官が、階段の先を指さす。

「二階、通路の奥。通報者はすぐ近くの住人です」

 佐藤は周りを見渡しながら

「しっかし、年期の入ったアパートだな。こんなとこに住んでるやついるのか?」

「しつれいですよ」

東雲も佐藤と同意見だったが、制服警官の手前、そう答えるしかなかった。


東雲と佐藤が通路を進むと、壁に微かな擦過痕が走っていた。

その先に、透明な規制テープが張られている。

 

床には、血のような暗い染みがあった。

そして、その中央――まるで誰かがその場で脱ぎ捨てられたような形で、

服と、それに包まれるように、皮膚のようなものが残されていた。

 

「……また、これか」

佐藤が低くつぶやく。

 

通報者は40代の女性。現場のすぐ隣の部屋に住んでいる。

「最初、猫かと思ったんです。変な形で何かがぐったりしてて……でも服を着ていて、怖くなって。すぐ通報しました」

 

佐藤がメモを取る横で、東雲は床に膝をつけ、現場をじっと観察した。

表面は乾ききっていたが、血がにじんだような痕も、周囲に点在している。

皮膚のような物質は、一見して人間のものと判別できるほどの形状を保っていた。

だが中身は、どこにもなかった。

 

「身元は?」

「部屋番号からすると、住人は“笠井知広”という男性のはずです。

 契約情報は管理会社に確認中。ただ、顔をはっきり覚えている住人がいなくて……」

 

「どういうことだ?」

「いえ、“名前は聞いたことがある”“何度か見かけた気もする”という証言ばかりで。

 誰も、“はっきりとした姿”を説明できないんです」

 

佐藤は腕を組みながら、視線を広げた。

通路の先には、公園が見えていた。滑り台の赤だけが、淡い午後の景色に浮かんでいた。

 

「こうも続くと、偶然とは思えねえな」

「偶然ならいいんですが」

東雲はぼそりと返した。

その声は、何かを見てきた者のように、どこか沈んでいた。

 

「この通報者には、“何か”が見えていたんでしょうかね」

「本人に聞いても、“気づいたらそれがあった”としか答えない」

「そして、誰も見ていなかった」

 

記録も証言も曖昧で、ただそこに“誰かがいた痕跡”だけが残る。

名も、顔も、時間さえも曖昧で、それでも確かに“死”を感じさせる何かが、そこにはあった。

 

鑑識班が到着し、手際よく採取作業を始める。

「この“皮膚片”、一応は人の表皮構造に近いみたいですが、断定には時間がかかりそうです」

 

佐藤は背中をのばし、ため息をついた。

「俺たちの仕事って、なんだったかね」

「“何かが起きた”ということを確かめることです。

 でも今回のこれは、“起きたかどうかさえ証明できない”。

 ……それが、一番厄介です」

 

遠く、犬の鳴き声がした。

東雲はゆっくりと、空を仰いだ。

雲が低く、風がどこにも吹いていない午後だった。

 

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