第2刃 ようこそヴァルハラ孤児院へ

魔導具の灯りがぼんやりと青白く点灯し、目覚ましの魔鐘が静かに鳴る。

俺はその音で目を覚ました。


ここは“魔界”。

目覚めたときには記憶もなく、気がつけば“迷いの森”と呼ばれる危険地帯の中を彷徨っていた。

だが、今はこうして「ヴァルハラ孤児院」のベッドの上で朝を迎えている。


あれから数日。

孤児院の子供たちや大人たち――彼らはみんな魔族や亜人と呼ばれる種族で、人間の俺は珍しがられたが、思いのほかすんなり受け入れてくれた。

彼らの温かさに、俺の不安は少しずつ解けていった。


「まさか、あの“迷いの森”から人間の子供が無傷で出てくるなんてね……しかも記憶喪失とは。君、本当に運が良いのか悪いのか……」


院長先生――穏やかで、どこか胡散臭い笑みを浮かべた中年の魔族――が肩をすくめて言った。


「ただ……気になってるんだ。俺、歩いてるとき“誰かに会いたい”って、そのことしか考えてなくて……。気がついたら森を抜けてた。あれって偶然だったのかな……」


「もしかしたら、それは君の“魔術的資質”かもしれないよ。人間でそれを持ってるのは珍しいが、可能性はある。リリィに教わってみるといい。」


「リリィって……あの無口な魔女っぽい子?」


「はは、まあ彼女の外見に惑わされちゃいけないよ。ああ見えて、この孤児院の魔術指導の中核を担っているんだ。とはいえ……ノックは忘れないように。彼女、そういうのには結構、うるさいからね?」


――魔術。

もしかしたら、俺がこの世界で何かを掴める手がかりになるかもしれない。

そう思って、俺はリリィの部屋の前に立った。



コンコン


「どうぞ……入っていいわよ」


ノックの音に応じる、少し抑えた少女の声。


部屋の扉を開けると、仄かな香の漂う空間に、魔導ランプの光が静かに灯っていた。

リリィは机に向かい、小さなカップから紅茶を飲んでいる。

その姿はまるで、百年を生きた老魔女のように落ち着いていた。


「……よう。ちょっと、お願いがあって来たんだけど」


「……ジャック。アナタの目的は分かってる」


「まさか、エスパー? いや、冗談だ。……ってことで、魔術の基礎から教えてくれないか?」


「……本棚にある本、勝手に読めば?」


「冷たいなぁ。俺、なんか怒らせたか? せめて教えるなら、もうちょっと優しくしてくれよ。俺のほうが年上なんだぜ?」


椅子に腰を下ろして軽口を叩くと、リリィは紅茶のカップを置き、わずかに表情を陰らせる。


「……人間で魔術の素質があるなんて、前例がない。アナタがどこまで本気か分からないのに、簡単に教えたくない」


そう言って、棚から分厚い魔術書を一冊手渡してきた。


「これは、基礎理論から術式、詠唱法までまとめたもの。もしアナタが“本物”なら、読んで理解できるはずよ」


「了解。……これが試験ってわけだな」


本を手に取り、炎の初級魔術の項を開く。

術式を頭の中で組み立て、詠唱をつぶやく。


「――インフェルノ・フレア……!」


次の瞬間、掌に小さな炎がぽっと灯った。


「うおっ、マジで出た……!? 熱くはない……不思議な感触……」


「ちょっ、集中乱さないで……!」


リリィが叫んだ瞬間、炎はふっと大きくなり、部屋の空気がわずかに震える。

しかし、どこか懐かしさのような感覚が俺の中に広がっていた。


「……消えろ!」


強く念じると、炎は煙とともに霧散した。


リリィは驚いた表情で俺を見つめていた。


「……嘘でしょ。人間で、こんな短時間で魔術が発動できるなんて……アナタ、いったい何者?」


「さあな。……俺にも分からない。でも、教えてくれるよな?」


リリィは少しだけ頬を膨らませて言った。


「……仕方ない。アナタの実力は……本物みたいね。約束通り、ちゃんと教える」



その日から数週間。

リリィの指導のもとで、俺は生活魔法、肉体強化、攻撃術、簡易治癒魔法まで学んだ。


その成長の速さに、リリィも口数こそ少ないが、明らかに驚いていた。


「……この速度で習得するなんて、常識では考えられない。アナタ、本当に人間?」


「まあ、リリィの教え方がいいんだろ。分かりやすいし、ノートも充実してる」


「……それ、私が書いた。教科書じゃない、自作ノート。……全部」


「マジかよ……すげぇな、天才じゃん」


思わずリリィの頭を軽く撫でた。

彼女は一瞬、驚いたように目を見開いたが、そのまま視線を逸らす。


「……ジャックは、不気味だと思わないの?」


「なんでだよ?」


「……こんな小さいのに、色んな魔術知ってて。……他の人たちは、変だって言う」


「変なんかじゃない。すごいよ、お前は。俺はそう思ってるし、尊敬してる」


その言葉に、リリィは顔をノートで隠して、ぼそりと呟いた。


「……そんなふうに言ってくれたの、ジャックが初めて。ありがとう」


どこか気まずくて、俺は話題を変える。


「よし、次の術式行こうぜ!」


そして心のどこかで、俺は密かに願っていた。

――このまま、リリィや孤児院のみんなと、穏やかに暮らしていけたら、と。


けれど、それはほんの一時の幻想だった。


この魔界に渦巻く運命が、俺たちをただ黙って見過ごすはずもなく――

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