第20話 評価の観点

 現在の学習指導要領では、三つの観点で評価をつけることになっています。

 一つは「知識・技能」、一つは「思考・判断・表現」、一つは「主体的に学習に取り組む態度」です。それぞれの観点を百点満点で評価し、これらを合計して三で割り、最終的な百点満点の評価をつけなさい、ということです。

 一つ目の「知識・技能」と二つ目の「思考・判断・表現」は、テストやワーク、プリントなどではかる事ができます。しかし難物は三つ目の「主体的に学習に取り組む態度」なのです。例えば四十人の学級の「公共」を五クラス受け持っていたとしましょう。百人の生徒一人一人の学ぶ姿勢を数値化するにはどうすればよいのか。学び直しの学校の場合、遅刻や欠席が多い生徒もいますから、「出席数」を評価の対象にする事ができますが、進学校で遅刻や欠席をする生徒がほとんどいない場合、「出席数」を数値化すると満点になる生徒が多くなりすぎます。結局、数値化する場合、例えば授業中に寝ている生徒をチェックして減点する、とか、私語の多い生徒をチェックして減点するとか、板書のノートを提出させて、どれだけ自分なりに工夫してノートを作成しているかを評価する、とか。アクティヴ・ラーニングをたびたび実施してグループワークで積極的に発言している生徒をチェックする、という方法もあります。しかし、それらの数値化したものから生徒たちの主体性を正確に読み取ることが果たしてできているのかは、疑問が残ります。

 テストの得点の高い生徒はそれだけ授業に集中し、試験勉強もがんばったとみて、それを主体的な学びの数値化に入れることも可能ですが、生徒によっては授業にはあまり出ていなくても高得点をとる場合もありますから、テストの得点を主体的な学びの評価に組みこむのを躊躇する場合もあります。

 正直、進学校の場合は大学受験という目標に向けてどの生徒も主体的に学んでいると思うので、この観点を成績に組みこむ意味をあまり感じませんでした。逆に、学び直しの学校ではテストの点数が低くてもワークやノート、プリントの提出で評価をあげることは必要になってきます。ただ、板書を写すことが主体的かというと疑問ですし、グループワークであまり発言できなくても、プリント課題ではほかの生徒よりもしっかりとした考えを書く事ができる生徒もいます。

 教師の授業をどれだけ生徒が理解して身につけてくれているかを数値化したものが評価です。確かに学ぶ姿勢があるかどうかは大切ですし、ちゃんと授業を受けていない生徒の評価が下がるのはいたしかたないとは思いますが、それを数値化しなさいというのは無茶ではないかと思います。

 生徒にとって、評価は大切です。自分の進路にも関わってきます。主体的に学習に取り組む生徒は、自然と知識や技能を身につけ、思考し、判断し、表現する力も見についてきます。わざわざ観点を三つに分けて、足して三で割る意味があるのか、ぼくは常に疑問を持ちながら、評価を出しています。その評価が適正なものかは、正直わかりません。テストと提出物の評価で成績を出すというこれまでの方法がなぜいけないのか。文部科学省の官僚たちが机上で出した方針に嫌でも従わなくてはならないというトップダウン式の方法を続けている限り、ぼくは学校が好きになれそうにありません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る