第18話 熱血教師の私生活

 学園ドラマが一時テレビで量産されていた時代がありました。主人公は学校の先生で、中学生や高校生の問題に体当たりし、解決していくというものが多かったと記憶しています。

 現職の教師として違和感はありました。頼りない教頭、いばり散らすことしかしない教師、生徒に対して母性を発揮する養護教諭……。ステロタイプな教師たちは、主人公を際立たせるための役割しか持たされていません。生徒に厳しい教師と見えても、実は裏では何かしら葛藤があったかもしれませんが、そんなものはほとんど描かれません。

 なにより、問題を起こす生徒たちには体当たりでぶつかる主人公は、特に目立たないその他大勢の生徒に対しては体当たりどころかふだんから話を聞いたりということもしません。おとなしいように見えて、実は大きな悩みを抱えているかもしれない生徒もいるでしょう。それが表に出てこないだけなのかもしれません。

 学園ドラマに対する違和感は、ぼくにとってはそういうところでした。美人で生徒の憧れのマドンナ先生なんて、そうそういるものでもありませんしねえ。

 なによりも、主人公の私生活があまり描かれていないものが多いのが、気になるところではあります。家族がある教師には、仕事以外に大切なものがあるはずです。そこが描かれていないのが気になったりもしました。主人公の熱血教師はたいてい独身で、私生活を感じさせるのはマドンナ先生との恋愛関係、なんてものもあったりしました。自分の子育てと生徒の問題とどちらに重点を置かなくてはならないのか、なんて当時のドラマのテーマとしては視界に入らなかったのでしょう。

 文部官僚が教師の働き方に鈍感だったのは、そういうドラマの影響もあるかもしれないなどと勝手に思ったりします。

 ヤンキー先生などと呼ばれてもてはやされ、国会議員になった人もいましたが、彼などはドラマの主人公みたいな自分というものが大好きで、生徒が好きだったかどうか怪しいものです。本人を直接存じ上げないので、憶測にしかすぎませんが。

 学校の主役は生徒です。熱血教師が主役であるドラマにぼくが違和感を覚えるのは、その点なのかもしれません。彼らのようなやり方ではきっといじめや不登校などは根本的な解決は見ないのではないかと思います。なぜなら、いじめられている生徒や不登校の生徒は、学園ドラマではモブの一人でしかないおとなしく目立たない生徒だったりするのですから。

 ぼくは以前にも書いたように書評や創作を若い頃からしており、SF関係のファン活動も続けていたし、同世代の作家の方たちとの交流もありました。また、芸能関係の話を聞く会にも参加していました。プロ野球のタイガースの大ファンで、公式戦はすべてテレビで見ていましたし、テレビのないときはラジオ、ネット配信が始まったら配信で必ず見るようにしています。さらには大相撲のファンでもあり、BS放送で幕下以下の力士の取組も、また、十両以上の幕内の取組もすべて録画して毎日必ず見ています。

 つまり、教師の仕事と同等に勤務時間が終わった後のプライベートな時間を大切にしています。これらは教師になる前からずっと続けていることで、時と場合によっては教師の仕事よりも大切だったりします。

 だから、ぼくはドラマのような熱血教師にはなる気もなかったし、プライベートな時間と教師の仕事をしている時間をきっちりと切り替えることにしています。

 学園ドラマにはそんな教師は出てきません。おそらく出てきても、主人公と対比して、サラリーマン教師の典型として描かれることになるのでしょう。

 しかし、ぼくは学校という組織や容器は好きではないので、そういう風に描かれたとしても、おそらく気にもしていないと思います。それよりも、そういったプライベートな時間で得たものを、教師の仕事に活用することもあります。教師としてしか生きられない「熱血教師」にはなりたいとは思わないのです。

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