第2話:一見の客

 夜10時頃になって、一見いちげんの客に指名された。看板も出ていない店だから、普段は自然と常連ばかりを接客することになる。一見さんに付くのは久々かもしれない。

黒い服を着たその客は、脱いだ黒いコートを男性スタッフには預けず、椅子の背もたれに引っ掛けながらエナを迎えた。

「どーも。指名嬉しい」

 10代の若いキャストを取り揃えているというこの店の特徴を充分に理解している女の子は、キャピキャピとしたイメージで売り込むことが多い。しかし、エナは早い段階でそういう態度を取るのを止めた。自分の性格と合わなくて、どうにもチグハグな感じになってしまうから。それに、周囲の子と同じことをしていたって客はつかめない。『少しクールで大人っぽいのに、親密になったら意外と隙を出す』、そういうキャラクターを構築し、ほかのキャストとの差別化を図っている。


 ご新規客にオーダーの希望を聞いたら「水割りでいい」とそっけなく言われたから、テーブルのハウスボトルを手に取る。お酒を作りながら考えた。さて、この一見さんをどう攻略しようか。

「初めてのお客さん? よくこのお店が分かったね。この街に詳しいの?」

「ああ、まあ」

 反応はあまり良くない。それでも、指名をもらえたくらいだからほかの子よりも気に入る点があったのだろう。ネガティブに考える必要はないはずだ。

「手、触っていい? あたし、男の人の大きい手って好きなんだよね。強くてかっこいい感じがするから」

 許可をもらう前に手を取って、しっかりとスキンシップしながらお酒を渡した。彼が焼酎を一口飲んでグラスを置いたから、また手を取って触ってみる。

 女の子の体をベタベタと触る客ばかりの店だ。手を触ったくらいで怒られるはずはない。血管の浮いたごつい手は、少しだけ乾いてガサガサしている。戦う男の手、という感じがした。エナは自分の細い指で、客の指をゆっくりと撫でた。

「あ、傷跡」

 手の甲に、少し引きれたような跡を見つけた。嫌がられるかもしれないと思いながら、包み込むように軽く触る。拒否されなかったから安心した。

「手は、傷だらけだ」

 彼はそう言って、少しだけ袖をまくった。手首の外側にも同じような傷跡があった。ガタイのいい男が傷だらけのこんな手を見せてきたら、一般女子高生は引いてしまうだろう。でも、エナはその程度でひるむほど気が弱くはない。

「ヤンチャしてるんだ?」

「そう」

「喧嘩したら痛いじゃん」

「もう慣れた」

「痛さに慣れることなんてないよ」

 手首側の傷跡にもそっと触れた。触るだけで傷を治せるような魔法を使えたらおもしろいだろうな、と思う。でも、エナが撫でたってその傷跡は傷跡のまま、頑としてそこにある。


「ごめん、名前を聞いてないや。なんて呼んだらいい?」

 手の甲や指先をスルスルと撫で続けながら、彼の耳元に口を寄せる。

「……ケイ」

 逡巡しゅんじゅんの後、返事がきた。本名と偽名のどちらを答えるべきか迷ったのかもしれない。さて、ケイというのは本名だろうか、偽名だろうか。もちろん、エナにとってそんなことはどうでもいい。

「ケイね。オーケー。あたしのことはジュリって呼んでね」

「ジュリというのは、店での名前?」

 ケイが興味を示した。

「そうだよ」

「本当の名前は?」

「そんなのは聞かない約束じゃん。暗黙のルールってやつ? でも、すごく仲良くなった人には教えるかもしれないな。客じゃなくて友達とか、特別な人だったら、本名で呼び合うのが当たり前だもん」

「なるほどな」

 どうやら納得したらしい。意外と素直な人だ。

「だから、仲良くなってくれたら嬉しいけどね。今夜あたしと過ごして、気に入ったらまたきっと来てよ」

 ケイの顔を覗き込むようにして、上目遣いにニコッと笑ってみた。さて、この一見客は常連になってくれるだろうか。


 この店を訪れる客はおおむね2パターンに大別できる。若い女の子ととにかく話をしたい客。そして、若い女の子をひたすら触りたい客。

 しかし、ケイはそのどちらでもないような気がする。お触り目的の客は、手を触ってやればそれがトリガーになって女の子をベタベタと触り始めることが多い。だけど、ケイの反応はあまりにも薄かった。

 しかも無口ときた。会話を楽しみに来たわけでもないということか。

 寡黙かもくな客に付いたときに、とりあえず自分語りを始める女の子は多い。出身地のこと。家族のこと。育った環境のこと。好みや趣味のこと。最近の出来事や、自分の仕事のこと。そういう自分語りをして反応を見つつ、客との共通項を探し当てるのが接客のセオリーだ。例えば同郷だったり、趣味が一致したりすれば、そこから容易に話を広げられる。

 だけど、エナが客の前で自分の話をすることはほとんどない。もちろん、ほかのキャストとの差別化という意味合いもある。しかし、それよりも大きい理由は、人に語れるような人生ではないという諦観ていかんに似た思いがあるからだ。


 だからエナは、無口な客と会話するときに、相手から徹底的に話を引き出すようにする。

「ケイは歌舞伎町、歩き慣れてるって感じがする。このあたりに住んでるか、このあたりで仕事してるって感じ。ハズレかな?」

「んー……」

 返答に迷っている。生傷も絶えないらしいし、やはり後ろめたい素性を持っているだろうか。腕を引き寄せるようにして、耳元に口を寄せた。

「ああ、別に答えなくてもいいよ。そういう感じがしただけ。夜に生きる男って感じじゃん? なんか、そう思ったの。そういうの、かっこいいなー」

「……」

 返事はなかった。どうにも会話が続かないタイプだ。若い女の子と話したいわけでもない、触りたいわけでもない。耳元に口を近づけたってなびかない。ならばケイは一体何を期待してこの店に来たのだろうか。


「ジュリは」

 急に名前を呼ばれた。

「ん、何?」

「この街を歩き慣れているのか?」

 妙なことを聞くなぁ、と思った。とはいえ、元は自分が振った話題だ。

「多少はね。夜に生きる女って感じがした? これでも、そんなにスレてない印象で売ってるんだけど」

「そうか」

 そうか、とはどういう返事なのだろうか。とりあえず話し続けてみることにする。

「なんか、慣れてきたら意外と落ち着くんだよね、この街」

「落ち着いて過ごせるような場所か? 治安は国内最低レベルだ」

「危ないところには近寄らないもん。揉め事には近づかない。声をかけられてもついていかない」

 そんなことは言われなくても分かっている。普段から、かなり気をつけているのだ。

「それから……あたしいつも、トー横の周囲とかは素通りするの。できるだけ早足で。だってあの辺り、本当に危ないんだもん。エンコーとかパパ活とかクスリとか、あたしそういうのに巻き込まれてる暇、ないから」

 トー横と呼ばれる広場周辺には最近、エナと同世代の若者が集まるようになった。あの界隈が犯罪の温床になっているとメディアはおもしろおかしく取り上げる。話題になるからさらに人が集まる。さらに治安レベルが落ちる。あの広場には負のスパイラルが渦巻いている……。


「君子危うきに近寄らずって言うでしょ。あたしはね、この店でしっかり働いて、ちゃんと稼ぎたいだけなの。仕事熱心で真面目でしょ? ねえ、だからあたしの分のドリンクオーダーしてもいい? 1杯入れてもらえるだけでもすっごく嬉しいんだけど」

「ちゃっかりしている」

「褒めてもらえて光栄」

 ケイは首をすくめると、メニューブックを取ってくれた。

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