第2話
バスケが大好きだった。
小学生の頃に母から勧められて始めたスポーツで、バスケをしている時だけは本当に楽しくて幸せで、中学生の頃には県の優秀選手に選ばれるくらい努力して実力を積み上げた。
高校生になっても、大人になっても、大好きなバスケを続けられると夢見て部活に取り組んでいた。
しかし、その幸せな時間も束の間――。
私は中学生最後の試合で大きな怪我をしてしまった。
膝の前十字靭帯断裂。
スポーツではよくある怪我だ。
しかし、一度靭帯を断裂してしまえば、スポーツ復帰までにリハビリを含め半年以上時間がかかる。
何よりも、スポーツでの接触プレイに恐怖を抱くようになってしまって、高校でバスケ部に入ることは諦めた。
スポーツ推薦も貰っていたが、怪我をしたため推薦の話は白紙になった。
今は家の近くのバスケットリングのある公園で一人でバスケをしている。大好きなのに、チームスポーツなのに、独りでバスケをすることしかできなくなった。
そんなこともあったからか、私は捻くれてしまったのだと思う。
私の欲しかったものを全部持っている星那ちゃんが羨ましくて、憧れで、自分を無意識に彼女に重ねて。星那ちゃんのようになりたくて、勝手に彼女のリップクリームを自分の唇に塗り出して……。
「つきー、また集中してないでしょ」
「ご、ごめん……」
莉茉に釘を刺されたので授業に集中することにした。
しかし、前を向けば星那ちゃんが目に移り、授業にもっと集中できなくなる。
後ろ姿や仕草、何から何まで美しい。
今日も机からリップクリームを出して唇に塗っていた。
しかし、残念ながらそれを見ても何も感じなくなった。感じなくなったというより、自分の奇行を反省し、罪悪感に苛まれているが正しいかもしれない。
一週間前に西野さんに“リップなめなめ事件”を目撃されてから、星那ちゃんのリップクリームを自分の唇に重ねることはやめた。
中毒になって止めることができなかった行動は、西野さんとの出会いがきっかけですんなりとやめることが出来た。
西野さんのことを信じたいが、彼女が誰かに話してしまえば私の人生は簡単に終わってしまう。
私は今も崖っぷちに立たされており、命綱を握っているのは家族でも友達でもなく、最近知り合った西野さんだなんておもしろい話があるだろうか。
「ふふっ。ふふふ」
「月希、一人で笑ってるとか大丈夫?」
「莉茉、私が居なくなっても頑張ってね」
「どうしたの急に。なんか悪いことした人のセリフみたいだね」
莉茉は冗談で言っているのだろうけれど、彼女の言っていることは合っている。この事実が星那ちゃんとクラスメイトに知れ渡れば、私はこのクラスから迫害されるだろう。
それくらいの罪を私は犯してしまった。
開き直っている訳ではないが、恋は盲目とはこの事か、と今まで少女漫画などで納得できない部分が納得できる気がした。
「ふふっ」
「ほんとに大丈夫? なんかあったなら相談乗るけど?」
「大丈夫だよ。ありがとう」
私がそう答えると、心配そうな顔をした莉茉はカバンを持って教室を出てしまった。
今日は約束の日である。
西野さんから次言うことを聞かなければいけない日は今日と決められていた。
西野さんは部活がかなり忙しいようで、日付を指定されている。
私は全然予定がないのでいつでもいいのだけれど、こうやって日付を決められると変な緊張をしてしまう。
しばらくすると、教室からは誰も居なくなり、静けさが漂う。
この教室にいると西野さんとのキスが鮮明にフラッシュバックし、顔が火照る。
私も西野さんも何の躊躇いもなくキスをした。
しかも、学校で――。
授業中は考えないようにしていたが、この無音が私の心臓に悪い。
西野さんの唇は柔らかかった――。
この前の感想はそれだけでいいと思っている。
柔らかかったってなんだ。
つくづく、自分が変態以外の何者でもないのだと痛感してしまう。
冷静に考えて、星那ちゃんと並ぶくらいに注目されているクラスの一軍陽キャとキスをしたなんて話があっていいのだろうか。
女子校でよかったとつくづく思う。男子がいたら刺されそうだ。いや、西野さんはクールな雰囲気なのに、顔がかわいくてスポーツ万能なので女の子からも人気がある。どの道、いつか誰かに刺されそうだ。
「はぁぁぁ」
「そんなため息つかなくてもいいじゃん」
急な声に心臓が飛び跳ねる。
それに合わせて体も跳ねるから、机に太腿が激突して教室にボンっという音が響き渡った。
「暴れすぎじゃない?」
「すみません」
恥ずかしくなって、西野さんから顔を背ける。今日も彼女の命令に従う時間となったわけだ。
「あの、今日は何をすれば……」
「そんなに早く命令してほしいの?」
「いやっ、違くてっ」
焦ってテンパって変な話し方になると、西野さんはくすりと笑い声を漏らしていた。楽しそうに笑う西野さんの方を見ると、あまりの美に吸い込まれそうになる。
サラサラと揺れる長い黒髪は、どんな手入れをしたらそんなに艶が出るのだろうと思うくらい光沢している。ぱっちりと開く目の目尻は下に少し垂れ下がっていて、あどけなさが漂う。すっと伸びる鼻筋と桜色に輝く唇。
触れただけで打首の刑が確定してしまうと思わされるほど美しい。
そんなことを考えながら彼女を見ていると大爆笑されてしまった。
「そんなあほそうな顔で見ないでよっ」
西野さんはお腹を抑えながら笑っている。
私は今どんな顔をしていたのだろう。
きっと、彼女が大爆笑するくらいには酷い顔をしていたのだろう。
「じゃあ、今日は――」
その言葉に急に動いているのかわからなかった心臓がドクドクと動き始める。
この間はキスを要求された。
今度はどんなすごいお願いをされるのだろう……。
ヒヤヒヤと冷たい汗が滲んでいき、息を潜めるように彼女の要求を待つ。
すると、すっと私の前にスマホが差し出された。眉間に力が入り、そのまま西野さんを見ると彼女は嬉しそうに笑っていた。
「月希ちゃん、歌舞伎の人みたいになってるよ」
「えっ」
焦って自分の眉間を触ると、確かに力が入って皺が寄っていた。
心を落ち着かせるために咳払いをして、彼女に話しかけた。
「あの、どういうことでしょうか?」
「今日は連絡先交換して」
「えっ……それだけ?」
あまりにも拍子抜けというか、命令でなくても言われれば全然するのに、と思うようなお願いだ。
「やっぱり、月希ちゃんってむっつりすけべだよね。なに考えてたの?」
私よりも少し背の高い少女はいつの間にか私との距離を詰めていて、体のあちこちが触れるくらいの距離になっている。
西野さんは私に寄りかかるように体を預けてきて、片手は肩に添えられ、そして、もう片方の手は私の顔に伸びてくる。
そのまま、彼女の白い指が私の唇を撫でた。
胸の辺りに爆音が広がり、肩に添えられている手から心臓の音が伝わってしまうのではないかと心配になる。
「それとも、キスが良かった?」
「ち、違います!」
「月希ちゃんは変態だね」
確かに今の行動は西野さんに何かされるのを心待ちにしていた変態に見えるだろう。放課後に隠れて好きな人のリップを舐めていたのだから間違えてはいないが。
「あっ、連絡先どうぞ」
私は彼女の肩をグッと押して、スマホを前に差し出した。
今日の命令は彼女と連絡先を交換すること。
それだけで良かったと安堵する。
西野さんは嬉しそうに私のスマホを取って、連絡先を登録していた。
「やっぱり、むっつりスケベさんだなぁ」
「えっ!? なんでですか!?」
「これでいつでも呼び出せるようになったね」
西野さんはスマホを顔の辺りに添えて微笑んでいる。小悪魔が人間に化けたとしたらこんな感じなんだろうな……と感心してしまった。
「じゃあ、お願いある時は連絡するから、ちゃんと見ててね。むっ
西野さんは柔らかく手を振って教室を出て行ってしまった。
なんか上手い具合にネーミングされてしまったけれど、唯一自分の中でかわいいと思える名前(月希)とむっつりスケベを結びつけられては、私の良いところがなくなってしまう。
悪いイメージを払拭する機会もなく、その日は呆然とした私が教室に残された。
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