第7話 薬と毒と
「おはよう。リンちゃん」
わたしが瞼を開くとそこにはジャックがいた。
「ジャック!」
わたしはどうやらジャックのベッドの端で寝ていたらしい。
飛び起きてジャックの顔をむにゅむにゅともみくちゃにする。
「ちょっと。リンちゃん、止めてよ」
「ああ。ごめん。本当生きているのね……」
もしかして、ああ。そうか。
わたしが願ったんだ。この時に戻るって。
魔法を使ったんだ。ほぼ無意識で。
きっと時間遡行の能力をわたしは持っている。
ただ好きな時間に戻れるわけではないらしい。
先ほどの傷口が塞がるのも、よくよく考えたら、時間が巻き戻っていたのだ。
これなら過去を変えることもできるかもしれない。
時は必ず決まっている訳じゃないのだから。
レイヤーと呼ばれる平行世界があるのは有名な話だ。
重なり合う異なるレイヤーを行き来できるのが時間遡行の強みだ。
ならジャックもアッシュも救えるはず。
「伝令! アッシュ隊、帰還!!」
さーっと血の気が引いていく。
「ほぼ全滅とのこと」
報告があのときのことを思い出させる。
アッシュは死んだ。
ジャックだってこの先、すぐに死んでしまう。
その前になんとかしないと。
わたしはアッシュの遺品から剣を奪い取ると、ダンジョンに向かう。
「姫様!」
ネェちゃんの声が耳朶を打つ。
「やめないか」
親衛隊の一人ジルがわたしから剣を取り返す。
「キミは知っているのか? アッシュ様がどのような気持ちで戦地へ赴いたか」
ふるふると力なく首を横に振る。
分かるわけがない。
自ら過酷な道を選ぶなど、改めて考えてみればおかしな話だ。
「わかった。話そう。ダンジョンに赴いた王子様の話を」
真剣な顔をしたジルが綻ぶ。
「なあに。簡単な話さ。それは兄弟愛だ」
いわくアッシュは兄ジャックを助ける。
それだけの理由で戦った。
できるのは自分だけだと豪語し。
自分の身の丈に合った生き方をするのが苦手な方だったとも聞いた。
だが剣の腕前や魔法は強力だったと。
それでもダンジョンには適わず、死んでしまった。
だからお前も死ぬな、と。
でも、
「でもこのままじゃ、ジャックまで死んでしまう!」
「そうならないよう、俺たちがいるのですよ」
ジルは包帯を巻かれた顔でこちらに言う。
その瞳は自信で満ちあふれていた。
「わたしも連れていきなさい」
わたしは我知らず、そんなことを叫んでいた。
力強く首を横に振るジル。
「なりません。ジャックはあなたに大層懐いております。……どうか彼をお守りください」
「しかし――!」
「わかりました。そこまで仰るなら、俺も再び軍を連れてダンジョンに向かいます。ジャック様のことは任せました」
「ジル! わたしを連れていきなさい」
「何度言われても、応えることはできません」
ジルという男なかなかのくせ者だ。
このわたしの命を聞き入れないとは。
「わたしは時間遡行の魔法が使えるのです!」
切り札とばかりに言う。
「なんと。なら未来から来たあなたはジャックを守ってあげてください」
ケラケラとからかうように笑うジル。
守る。
何から守ればいいんだ。
分からない。
「ジルの分からずや!」
そう叫びわたしは自室に逃げる。
彼は何を言っても無駄だ。
そう分かると次にどうしていいのか悩む。
そもそも自分の能力をハッキリと分かっていないし、コントロールもできていない。
こんなんじゃ、また鼻で笑われる。
でも時間もあまりない。時間遡行できるわたしが言うべきではないかもしれないけど。
どうにかしてジャックだけでも助けないと。
そもそも未来なんて変えられるのかな。
ダメよ。弱気になっちゃ。
刻を変えられないのなら、何のためにこの能力はあるのよ。
くじけちゃダメ。
ふるふると小さく首を振ると、わたしはジャックのいる部屋に向かう。
「ジャック~」
ゲホゲホ。
咳をしていた彼は吸引器を口に当てていた。
コクコクと頷いて見せるジャック。
「大丈夫?」
「うん。少しよくなった」
ニヘラと笑うジャック。
「どうしたの? リンちゃん」
「遊びに来たの!」
どうしたらいいのか、分からないのだから、少しでも素敵な思い出を残そう。
それくらいしかできなくても。せめてそれだけでも。
トランプをしながらうわごとのように尋ねる。
「ジャックはなんで病気になったんだろうね?」
「え」
ん。デリカシーがなかったかな。
「あ、いや、なんでもない……」
苦笑を浮かべるジャック。
「いいよ。きっと運なんだろうね。子どもの頃、流行病にかかって、それからというもの体調が優れないんだ。今の主治医になるまで、すぐに治るって言われていたのだけど……」
「そっか。大変だったんだね」
その大変さをわたしは知らない。
きっと彼にも分からないことが多いのだろう。
わたしなんてまだまだ何も知らない。
彼の痛みも、苦しみも。
医学の知識があるわけでもないし。
「ジャックはすごいなー」
「え。なんで?」
「だって強いもの」
そう。
自分の不幸を呪うわけでもなく、他人に八つ当たりをするわけでもない。
ただ自分の運命を受け入れて、周囲を励ましている。
そんなの彼にしかできない。
なのにわたしは……。
「ただ寝ているだけだよ」
ゲホゲホとまた咳き込む。
吸入器で薬を吸うジャック。
「……その薬がもっとあれば回復するのよね?」
「ええっと。そうなのかな?」
「ちょっと貸して」
わたしはジャックの持っていた吸入器を手にする。
これがなくなったから以前の世界でジャックは死んだんじゃないか。
そう考え、わたしはその薬の複製を考えた。
「えと。でもこれないと……」
「うん。少しもらうだけ」
薬を小瓶にわけて自室に向かう。
ジャックの死まであと一週間。
どうにかしないと。
まずは薬の勉強をしないと。
今までサボってきたつけがこんなところで出るなんて。
わたし、本当にやらかしているわね。
座学がこんなに大事だとは考えていなかった。
直感で生きてきたから、そのつけが回ってきたのだろう。
冷静に分析しつつも、薬の勉強にいそしむ。
そうしてから一日経った。
コンコンと控えめなノックの音がする。
「リンカーベル様」
「ん。ネェちゃんなの?」
わたしは本に栞を挟み、ドアの方に声をかける。
「はい。少し、お時間よろしいでしょうか?」
「うん。いいよ」
ネェちゃんが入ってくると、一礼する。
「それで?」
「いえ、ジャック様のお部屋にお邪魔していないので、お身体の方でも悪いのかと」
「悪いのは頭だったのよ」
「……笑えない冗談ですね」
ネェちゃんは苦い顔で応じる。
「冗談ではないよ。お薬の勉強しているのだけど、分からないことだらけなの」
「それは、ジャック様のためですか?」
「分からない。でもわたしは変えたい」
よく分からないと言った顔でネェちゃんは小首を傾げる。
「それで、何がわからないのですか?」
「うん。病気なら悪いところがあって、そこに作用すると思うのだけど……」
この薬、どこに作用しているのかまったく分からない。
むしろ……。
「まあ、薬は毒と一緒ですからね」
「え。どういうこと?」
「薬と毒の違いは量です。身体のどこかに作用するという意味ではどちらも同じものです」
ネェちゃんはそう言い、薬学書を手にする。
「まずはこれを読むことをオススメします」
手にした分厚い本を渡してくる。
わたしは本の薄さで選んでいたからダメだったのかな?
受け取ると、一ページ目から開く。
「私、お邪魔ですね。では」
ネェちゃんはそう言うと部屋を出ていく。
わたし、勉強頑張るよ。
待っていて、ジャック。
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