第6話 死別

 夕食後、ジャックと話をしたくて客間を訪れてみた。

 ゲホゲホとむせかえる音が耳朶を打つ。

「大丈夫?」

「うん。ちょっとショックだったからかな。身体の調子が悪いんだ」

 先ほどのアッシュ弟気味が亡くなったのがそんなにショックだったんだ。

 一番信頼している節もあったものね。

 王家となると後継者争いが絶えないものだけど、身体の弱いジャックは争いにもならなかった。

 だからこそ、ジャックとアッシュの距離感は近いものになった。

 近しいぶん、ショックも大きいのかもしれない。

 ううん。それだけじゃない。

 アッシュは本気でジャックを心配して、治そうと思って戦ったのだ。

 なにも感じない人などいるはずもない。

 喩えジャックが強がっていても。

 自分の病気で苦しんでいるというのに。

 わたしが代わってあげられるなら、代わるのに。

 眉をハの字にしていたのを隠すために、視線を下に向ける。

「今日は何をして遊ぶ?」

「そうだ。トランプでもどう?」

「ふふふ。僕に知略で勝とうなんて甘いね」

 自信満々に胸を張るジャック。

「むむ。甘いのはジャックだよ。トランプってけっきょくは運ゲーなんだよ」

「そんな身も蓋もない……」

「だってババ抜きで最初から全部なくなる可能性もあるでしょう?」

「それ、両方とも手札なくなるよね?」

 名案とばかりに言ってみたが、ジャックの方が一枚上手らしい。

 ゲホゲホとまたも咳き込むジャック。

「大丈夫?」

「うん、なんとか」

 最近になってさらに咳が激しくなっている。

 そのときの顔も辛そうになった。

 わたし、何かできれば良かったのだけど……。

 せめて病気の原因でも分かればいいのに。

 みんな病気の原因はわからないと言っている。

 持病だろ、とも。

 病気の悪化で咳き込むことが増えたのかな。

 それなら、わたしに何ができるというのだ。

 ただ見ているだけの存在。

 なんて浅ましい見下げ果てた女だ。

 適当なこと言って、寿命を縮めるようなことをして……。

 嗚呼。何をやっているのだろう。

 楽しめればそれでいいと思っていたのに。

「そうだ。リバーシでもしようか?」

 わたしは話を変えるようにそう提案する。

「うん。それなら」

 ジャックはにへらと笑う。

 そんな彼が可愛いと思えてしまった。

 男の子に可愛いなんて失礼だよね。

 思っているだけで口にはしないよ。

「じゃあ、黒で行くね」

「うん」

 ジャックとわたしは何度かリバーシをしていると、お昼ご飯の時間になった。

 今日のお昼はパスタらしい。

 いい香りがしてきた。

 お昼ご飯を食べ終えるとジャックは欠伸をし、再びベッドに戻る。

「なんだか、眠い……」

 目をこすり、ゆっくりと休むジャック。

「おやすみなさい」

 わたしはそう声をかけると彼は瞼を閉ざす。


 夕暮れになり、太陽が西に傾いて窓からハチミツ色の陽光が差し込む。

「ほら。夕食だよ。起きて」

 わたしはジャックをご飯に誘う。

 ……が。

「ジャック? ジャック!」

 わたしは彼の胸に耳を当てる。


▽▼▽


 小雨が降り注ぐ早朝。

 わたしは花束を棺桶に添える。

 彼がゆっくりと眠るためにはそれが必要だと思った。

 最後に綺麗な顔を見て安らかに眠ることを祈った。

 周りの大人達は次期政権の話ばかりで彼を悼むつもりはないらしい。

 ジャックにアッシュの死。

 王国の跡継ぎは全員いなくなった。

 でもそれが悲しいわけじゃない。

 本当に悲しいのは彼が死んだことを受け止めていない大人達だ。

 そういうわたしも未だに理解していない。

 彼が今にも起き上がりわたしのあとをついてくるんじゃないか、って期待している。

 彼の主治医はこの式には参列せず、行方をくらませた。

 後ろめたいことでもあったのだろうか。

 王都から来た別の医者がケアサポートを行うらしい。

 わたしの両親は王から追放され、一家離散になりかけている。

 というのも王様が慈悲をくれて猶予期間を設けてくれたのだ。

 不敬ではあるが、家族を隣国へ逃がすだけの時間はくれるらしい。

 今はわたしのことを気遣って父が参列を許している。

 国葬に移ると、いよいよわたしにはどうもできなくなった。

 お別れの式を終えると、両親は痛ましい顔で馬車を走らせる。

 どうやらもう時間がないらしい。

 わたしたちは離散する前になんとか隣国のカナスディアに逃げることに成功した。

 わたしたちの住んでいたシイラ国は王が床に伏せたことで、王立政権が堕落し、やがて無政府状態まで落ちた。

 シイラ国内部では各地で暴動が発生し、主権を手にする野望を持った連中が日々争う争乱の時代の幕を開いた。

 たった二人の死でここまで政府が瓦解するとは誰も予想はしていなかった。

 田舎で剣術を磨いてきたわたしたち男爵家は対岸の火事のように見守ることしかできなかった。

 父はあの日以来、老けてしまった。

 白髪交じりの髪とヒゲを揺らし街外れの採掘場でツルハシを振るう。

 母は町工場で裁縫を行っている。

 安賃金でわたしたちを守っている。

 だからわたしは家事をやらなければいけなかった。

 そんな年月を重ねて一年が経った。

 わたしはいつも通り家事をしていた。皿洗いだ。

「いたっ」

 欠けたお皿の端で指を切った。

 だが、すぐに傷口は治っていく。

 飛び出したはずの血が指に戻っていく。

「これは……?」

 何が起きているのかも理解できずに疑問を浮かべる。

 だがすぐに家事に戻る。

 今は気にしている余裕もない。

 あと一年もすればわたしだって働ける。

 その前にどこかの子爵家と婚姻をするかもしれない。

 うちの経歴を知っている人は少なくない。

 一応、男爵家としての家督を守ってきた自負はある。

 没落貴族と言われようが、その実績は本物。

 それを快く思わない人も多いが、有能とみる一部の貴族にはお眼鏡に適っている。

 つまり今でもその力を欲している人がいるということだ。

 そしてそれはわたしを妻に迎えることで成り立つらしい。

 あれからも毎日のようにやらかしているわたしだが、そんなおてんばなところも好きという危篤な方が現れるやもしれない。

 いやないか。

 苦笑を浮かべてわたしは布団を取り込む。

 毎日の家事に飽きたわたしは小遣い片手に街に繰り出す。

 だが、道行く人々がわたしを見てひそひそ話をしている。

 何も変わっていないのに、そう言われるのはとても不愉快だった。

 けっきょく甘味を買って自宅で楽しむことにした。

 甘く煮た豆と芋から作った寒天を味わうとゆっくりと瞼を閉じる。

「ごめんね。ジャック……」

 彼のことを忘れたことはない。

 本当に大事な友達だったから、今は後悔している。

 なんでもっと彼を楽しませることができなかったのだろう。

 なんで彼を助けることができなかったのだろう。

 後悔という名の鈍痛が思考を鈍らせる。

 それから一ヶ月。

 父が喜び勇んで帰ってきた。

「アーマード家とのお見合いが決まったぞ」

 そんなに大きくのない貴族だが、わたしを妻に迎えることで力をつけようとしているらしい。

「最近、リンカーベルも大人しくなってきたしな。見た目だけなら優れているからな。彼の第二夫人にはなれるだろう」

 彼、とはジン=アーマードという男らしい。

 顔は不細工で潰れたあんパンのような顔をしている。

 40歳を超えるおじさんで今までその顔と性格で付き合う人々を精神的に病ませているらしい。

 父は純粋なので、そんな話を聞きはしなかった。

 あと一週間でそんな男とお見合いをする。

 考えただけでも気持ち悪さを覚える。

 脂ぎった臭いおっさんなど、わたしの好みではない。

 だが、わたしには断るだけの勇気がなかった。

 わたし、結婚させられるのだろうか。

 そんなの嫌だな……。

 苦いものを覚えてわたしはベッドに身を預ける。


 ゆっくりと瞼を閉じる。

 ジャックと一緒に遊びたい――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る