【第五十二章】 血が語る音階

 「推理は結構。けれど、“どう殺したか”を証明しなければ、ただの空想だよ」

 篠宮の声が、古びた講堂に静かに落ちた。指摘というより、宣告に近い響きだった。

 その場にいた誰もが、返す言葉を見失っていた。いぶきでさえ、思考を一瞬止めた。

 譜面の血痕、チャイムのズレ、Bluetoothの痕跡……。すべての線が交差する一点が、まだ見えていない。

 そのとき、いぶきの脳裏に蘇ったのは、初動の鑑識報告だった。

 《死因は心室細動による突然死》

 突然死……。

 「……まさか」

 いぶきは、オルガンのペダルに視線を落とした。

「その日、ルカさんは“ペダルの不具合”を直しに来たはずです。ならば、彼女はまずここに触れる」

 いぶきは膝をつき、オルガンの下に潜った。

スウェルペダルの裏側――そこに、“殺意”が仕掛けられていた。

 指先で慎重に内部をなぞると、触れる感触があった。

 「……やっぱり」

 彼は息をひそめる。

 そこには、小さな電極と、昇圧回路の痕跡、そして……小型のタイマー付き通電装置の残骸。

 強力な接着剤とネジ止めで、ペダル内部にがっちりと固定されたままだった。

 「……これだ」

 いぶきは照明で中を照らし、確認し、全員の視線を誘導する。

 「これが……ルカさんを殺した装置の“中枢”です」

 いぶきは基板の一部を指差した。

「……基板には、RTCが組み込まれています」


 いぶきの声は、落ち着いていた。だが、その目は鋭く一点を見据えている。


「つまりこれは、“決められた時刻に作動する”タイプの装置ってことです」


 誰も口を挟まない。その沈黙を肯定と受け取ったように、いぶきはゆっくりと指先を動かした。基板の表面をなぞりながら、その構造をひとつずつ確認していく。


「……ここ。通電制御用のスイッチがある。リレーか、FETか……構成からして、明らかに“電流を流すこと”が目的だ」


 言い終えると、金属の端子のわずかに焦げたような痕を指さす。

 小さな火花でも飛んだかのように、わずかに焼けた痕が、そこにあった。


 誰かが息を飲む気配がした。


「これは、“ある時刻に電流を流す”よう設計された装置です。外部の指令も、起動操作も要らない。自律して、時間だけを信じて動く仕掛け」


 静かに、静かに、いぶきは言葉を重ねていく。


「ルカさんは、“ペダルの感触がおかしかった”と話していた。――おそらく、それを確かめるために、実際に踏んで試したのでしょう」


 彼は黙って基板を指さす。


「ペダルを踏んでいた時間。足裏が金属部に触れていたその一瞬――ここから、電流が流れた。皮膚伝導には十分な電圧。心臓に、直接作用するくらいの」


 短い沈黙のあと、真壁がぽつりと呟いた。


「……意図的に仕組まれた、“電気ショック”ってことか」


 講堂が静まり返った。

 いぶきは立ち上がり、篠宮を見つめる。

 「タイマー式の装置なら、あらかじめセットしておけば――誰もいなくても、零時に“殺すことができる”」


 「チャイムを、本来の零時よりわずかに遅らせていたのは……アリバイ工作のため、というだけじゃない」

 いぶきは言葉を区切るように言った。

「“まだ零時じゃない”――そう思わせて、ルカさんを講堂に引き留めておく。そのための仕掛けでもあったはずです」

 いぶきは続ける。

「あなたは……“ペダルの不具合を一緒に確認しよう”と、ルカさんに持ちかけた」


 いぶきの声は、低く静かに響いた。


「呼び出したのは、深夜。零時直前の、旧講堂」


 彼は一度、言葉を切ると、ゆっくりと相手を見た。


「けれど、あなた自身は……姿を現さなかった」


 硬い沈黙が、部屋を包む。


「それでも、ルカさんは、一人で作業を始めた。……そして、そのペダルには――“ちょうど零時”に電流が流れるよう、タイマーが仕込まれていた」


 いぶきは、机に置かれた基板を指先で軽く押す。


「もし、彼女がそれよりも前に講堂を出ていたら……装置は、空振りしていたはずです。だから、あなたは……“チャイムを遅らせた”」


 目の奥に、確信が灯る。


「ほんのわずかでいい。“零時はまだ来ていない”――そう思わせるには、それだけで十分だった」


 いぶきは椅子に寄りかかり、深く息をついた。


「彼女は、信じてとどまった。そして、ペダルに足をのせたまま……」


 静かに、言葉を結ぶ。


「……それが、あなたの計算だったんです。篠宮さん」

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