【第四十八章】 密室の耳
沈黙の講堂。
外の世界とは隔絶されたように、時の流れが異様に遅い。
舞台上には譜面が一枚、膝の上に置かれていた。
いぶきはそれを見つめながら、指先で五線をなぞる。旋律はない。だが音だけは、脳内で鳴っている。
観客席の最前列、少し離れた場所に座っているのは、詩音だった。
彼女は音を立てぬように背筋を伸ばし、譜面台をまっすぐ見つめていた。
「……ここまでの話で、ひとつだけ、引っかかることがあるんです。」
いぶきの声が、反響もせずに床へ落ちた。
全員が舞台を見ている。だが、誰も発言しない。
「この譜面は、誰かの名前を浮かび上がらせる。けれど、それは偶然じゃない。音が選んでるわけでもない。“誰か”が、選んでるんです。」
真壁が腕を組み直す音だけが、場を揺らした。
「ルカさん、アヤメさん、そして俺。この三つの名前が浮かぶのは、“旋律が進む”からです。でも、旋律を進める人間がいるなら、それはもう演奏者じゃない。“書いた人”です。」
ミユが震えるように息を吸った。
さやかは何も言わず、膝に手を置いたまま、篠宮の顔を見ていた。
だが篠宮は、壁にもたれたまま動かない。足を組んだまま、少しだけ目を細めている。
高村詩音は、そこで初めて視線を動かした。
いぶきの言葉のどこかに反応したのか、あるいは単なる偶然か。
だが、彼女の指先がスカートの裾をそっと握る仕草を、ミユは見逃さなかった。
場がきしんだように感じた。誰も声を出さない。だが、それぞれの呼吸が、微かに乱れているのが分かる。
その中で、篠宮はようやく腕を組み直した。
それだけで、誰かが言葉を呑み込む音が聞こえた気がした。
「君は……そこまで分かるのか。」
静かな声だった。
「音を出さずに、“音を待っている人”を探してるんです。」
いぶきの答えに、わずかに篠宮の口元が動いた。
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