【第二十九章】 閉ざされた扉
放課後の陽射しは斜めに差し込み、外壁に長い影を落としていた。数時間前まで賑やかな展示会場だったその場所は、いまや立入禁止の黄色テープに囲まれ、まるで何かを拒絶するような沈黙に包まれている。
有馬いぶきは、ひとりその場に立ち、閉じられた扉を見つめていた。目を細めて、何かを確かめるように。
「このドア、鍵は開いてたんですよね?」
傍らにいた美術部員が頷いた。
「ええ、確かに施錠はされていませんでした。でもどうしても、開かなかったんです。まるで内側から押さえつけられてるみたいに」
いぶきは、その言葉を繰り返すように呟いた。
「……内側から、か」
事件直後、自分と篠宮が体当たりして扉をこじ開けたとき、中から“ガタン”という音がしたのを思い出す。それは、何かが倒れる音だった。ちょうど扉の前に置かれていた、あの木製のフレーム――美術部の展示に使われるイーゼルの転倒音。
イーゼルとは、絵画やポスターを立てかけるための三脚状の器具だ。展示室ではよく使われ、折りたたみ式で持ち運びも簡単。その分、設置時の安定性には多少の注意が必要だが、高さがあるため、倒れ方によっては思いのほか大きな衝撃や重みが生じることもある。
なぜあれがドアの真後ろにあったのか――そして、なぜ倒れたのか。
いぶきは膝をつき、扉の下部、床とのわずかな隙間を見つめた。数ミリの空間。そのすぐ奥、木の床にかすかな擦り痕がある。円弧を描くように。
そこに残っていたのは、透明な、極細の糸の一部だった。普通の目では見逃すだろう。だがいぶきは、それが何であるか直感的に理解していた。
テグス――釣り糸。
装飾にも使えるその素材は、軽く、丈夫で、そして“見えない”。だからこそ、罠としては申し分ない。
扉の内側にイーゼルを立てかけ、その上端にテグスを結びつける。そして、糸のもう一方をドアの下から外に通しておけば――。
「外から、倒せる」
いぶきはそう呟いた。静かに。しかしその声には、核心に触れた者だけが持つ確信が宿っていた。
イーゼルは軽そうに見えるが、高さは一メートルを超えるものもあり、適度な重量もある。
展示台の正面に立てかけられた状態で、上部がドアノブにかかっていれば、それだけで“内側から押さえられている”ような状態になる。
内開きの構造なら、たったそれだけで開かなくなるには十分だった。
犯人は、イーゼルをあらかじめドアの内側に立てかけ、その上部をドアノブにわずかに掛けるように設置していた。
それだけで、ドアは“内側から押さえられた”状態になる。内開きの構造なら、それで十分だった。
そして、ドアの隙間から通されたテグスを外から引けば、イーゼルは後方に倒れ、つっかえが外れて、ドアは開いた。
まるで誰かが中にいたかのような、完璧な“密室”が、こうして作られていたのだ。
そのあと、糸を切れば、外部に証拠は残らない。
犯人は、目立つことなく、密室を“作る”ことに成功していた。
しかも、たった一本の糸で。
いぶきは立ち上がると、視線をゆっくりと講堂の方角へ移した。あのとき感じた異常な“音”といい、あまりにも整いすぎている。これは偶然ではない。計画され、仕込まれ、意図されたものだ。
だがまだ、その意図のすべては見えてこない。真相は、音と沈黙の狭間に潜んでいる――。
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