【第十四章】 密室の旋律

 午後の講義が終わると、いぶきは音楽棟の廊下をゆっくり歩いていた。

 高い天井に、かすかに反響するスケール練習の音。何気ない日常の音が、逆にあの日の静寂を思い出させる。

「いぶき!」

 呼び止めた声は、軽やかで、どこか焦った響きを含んでいた。

 振り返ると、志鶴ミユが譜面を抱えて駆け寄ってきた。

「また、なにかあったのか?」

「ううん、そうじゃないけど……ちょっと、いいかな?」

 彼女はそう言って、いぶきを音楽棟のベンチに誘った。譜面を胸に抱えたまま、落ち着かない手つきで髪を耳にかける。

「ねえ、ルカのこと……あの“旧講堂の事件”、密室だったって話、知ってる?」

「……密室?」

 いぶきは、ふいを突かれたように訊き返した。

「――さやか先輩が言ってたんだけど」

 ミユは一度周囲に視線を巡らせ、いぶきにだけ聞こえる声で続けた。

「警察の人と、ちょっと話してたらしいの。“新聞部の取材”って建前でね」

 いぶきは無言で頷いた。ミユの声が、さらに低くなる。

「で、聞き出したって。被害者が亡くなったのは、おそらく零時から零時半。その時間、講堂に出入りする渡り廊下の電磁シャッターは――閉まってた」

「シャッターが閉まった時間も、わかってるのか?」

「うん。ちょうど零時。扉が閉まるチャイムがなるんだよ。シャッターはチャイムと連動して閉まる。次にシャッターが開くのは朝六時のチャイムと同時」

「……じゃあ、つまり」

「中にいた人は出られない。外にいた人は入れない。なのに――演奏の痕跡と、血のついた譜面だけが残ってた。……ねえ、いぶき。舞台ってさ、幕が下りるとき、何が残ると思う?」

「……役者の気配、だけが」

「そう。まさにそんな感じだったって」

 いぶきは無言で頷いた。

 舞台。それはまさに、旧講堂が与えられた役割だった。

 だが、その“幕”を上げたのは誰だったのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る