第16話 プリン
「とろける笑顔に、ハートの瞳は輝いて、かわいいかわいい『プリティ・プリン』」
我ながら、砂吐きそうなキャッチフレーズだぜ。
まあでも、こいつを始めたおかげで毎日が楽しいし、生活にもゆとりができた。
少なくとも、毎日始発で出勤して終電で帰宅してたあのころよりは、ずっといろいろラクだ。
俺は、いわゆるVチューバ―ってやつをやっている。
一応、性別・年齢不詳ってことにしてるが、ガワは中学生ぐらいの可愛い女の子で、名前は「プリティ・プリン」。プリンが大好きって設定だ。
あ、ちなみにプリンが好きなのは、本当の話だ。
ネットの黎明期には、いろんなメーカーやコンビニのプリンを食べあさり、そのレビューをブログに綴って甘味好きたちの喝采を浴びたりしていた。
実は俺にVチューバーをやればどうかと勧めてくれたのは、そのころに知り合った同じプリン好き仲間の一人だった。
彼女はハンドルネームを「ププ」といい、PCはもちろんのこと周辺機器やソフトのことなどにめちゃくちゃ詳しい人で、しかもネット上に友人・知人も多い。
で、俺はププにあれこれとお膳立てしてもらって、Vとしてのスタートを切った。
今俺が、チャンネル登録者数二百万人のVになれているのも、彼女の力が大きいと俺は思っている。
いろいろ考えてくれたのも彼女だし、スタート後の宣伝や集客なんかも、彼女が自分の友人・知人に声をかけて協力を募ってくれたおかげだった。
そんなこんなで順調だったんだが――なんと、突然機材の一つが壊れてしまった。
いや、正確なところはわからない。なんせ俺は、PCだけでなくその周辺の機材のこととかも、イマイチわかっていないからだ。
使い方とかはププにレクチャーしてもらって、一応理解はしているが、突然不具合とか起こるともうダメだ。
自分でいじると、たいていロクなことにならないから、そういう時はププに音声チャットで連絡を取る。それで彼女の言うとおりに電源を入れ直したり、コマンドを入れたりすると、たいていは治る……というわけだ。
この時も、たぶんそういう問題だろうと思って、俺はププに連絡を入れた。
だが。しばらくやりとりしたあと、彼女は言った。
『それたぶん、プログラムじゃなく物理的な問題だ。今から治しに行くから、家の場所教えて』
「わかった」
俺はすぐにうなずいた。ネット上だけの知人に、自宅を教えることにためらいがないわけではなかった。けど、ププが言うことはいつも正しいのだ。それに、ネット生活の長い人間が自宅を教えろと言うには、それ相応の理由がある。ましてや相手はププだ。ためらう理由はなかった。
そうはいっても、お互い東京都内の比較的近い場所に住んでいるらしいというのは、長いつきあいで察してはいたけれども。
チャットが切れてしばらくして、玄関のチャイムが鳴った。
ププが来たんだろうと、ドアを開けた俺は、一瞬その場に固まってしまった。
そこにいたのは、どう見ても中学生だろうという女の子だったのだ。しかも、可愛い。
「あ、あの……?」
「はじめましてと言うのも変だが、私がププだ。そっちは、プリティ・プリンことプリンで合ってるな?」
戸惑う俺に、女の子は聞き覚えのある声と口調で言った。
間違いない。目の前にいるのは、ププだ。
だが、嘘だろ? ププって、中学生だったのか?
返事もできずに固まっている俺に、ププは小さく吐息をついて口を開いた。
「中学生女子のように見えるかもしれないが、私は成人女性だ。なんなら、マイナカードを確認するか?」
その口調は辟易した風だったが、一方では相対する相手のこうした反応に慣れているようにも見えた。そもそも、マイナカードを持ち歩いている時点で、常にあちこちでこうした反応をされているといった事情が透けて見えた。
「いや、いいよ。……俺にそんな話し方をするのは、ププしかいないと思うし」
俺が答えると、彼女は小さく肩をすくめる。
「理解してくれて感謝する。さて、では上がらせてもらってもいいかな。さっそく、機器の修理に移りたい」
「ああ。頼む」
俺はうなずき、彼女を中へと案内した。
修理は一時間と少しで終わった。
俺には何がどうなっていたのか、さっぱりわからなかったが、彼女は背負っていたリュックからいくつか工具やら部品やらを取り出し、機材をバラしてあれこれやっていた。
そして「よし」と彼女が一つうなずいて、PCにつないで起動したところ、もと通りに動くようになっていたというわけだ。
「さすがププだ。すごいな」
「たいしたことはない。だが、次に動かなくなったら、メーカーに修理に出すか買換えだな」
そんなやりとりをして、彼女が帰る支度を始めた時だ。
彼女はスマホを取り出して画面を見やり、眉をしかめた。
「なんだ? 電車が止まってるみたいだぞ」
「え?」
俺も慌ててスマホを手にする。
ニュースアプリなどの情報では、雨と落雷でこの周辺の電車が止まっているとのことだった。
窓から外を見ると、いつの間にか雨が降り出していた。それも、けっこうな土砂降りだ。
ププが言うには、自宅までは歩いても三十分少々で着くそうだ。案外近い所に住んでいたようだが、さすがにこの雨の中を歩くのは大変だろう。それに夜道だ。
「悪いが、泊めてもらってもいいか?」
ププが言い出し、俺は彼女を泊めることにした。
といっても、客用の布団なんてものは持ってないから、彼女にはリビングのソファで寝てもらうしかない。それでもいいかと訊いたら、かまわないと言う。
それでとりあえず、掛布団がわりのタオルケットだけ用意して、彼女に渡した。
交代で風呂を使って、俺は自分の寝室へ、彼女はリビングへとそれぞれ寝に向かう。
自分のベッドに入って、俺はなんだか妙な気分だった。
考えてみれば、社会人になってからは女性を部屋に泊めるなんてことは、ずっとなかった。そもそもVがうまく行き始めて仕事を辞めるまで、ここはただ寝に帰るだけの場所だったから。
ププとは長いつきあいだけど……なんだか、新しいことが始まりそうな、奇妙な予感がしていた。
(朝起きたら、ププが料理作ってくれたりして)
まるでアニメかマンガのような想像をしながら、俺は眠りに就いた。
……まあ、現実はそんなに甘くはなかったけどな。
翌朝起きると、ププは冷蔵庫から俺の買い置きのプリンを取り出して食べながら「すまんな。腹が減って何かないかと、冷蔵庫を開けたらこれがあったんで、つい……な」と、悪びれた様子もなく言って来た。
プリンが目の毒で、その魅力に抗えないのは俺も同様だったから、怒る気にもなれず……そして朝食を作るため、俺は台所に立った。
背後では、どう見ても中学生女子にしか見えない女が、プリンを平らげ満足げな吐息をつくのが聞こえたのだった。
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