第2話 ガトーショコラ
学校帰り、ベンチに座り込んだぼくは、何度目かの溜息をついた。
明日は、2月14日。バレンタインデーだ。
この日は女性たちは、こぞって男性にチョコレートを渡す。
本命チョコはもちろん、義理チョコとか、最近では友チョコなんてものもあって、たぶん日本中で一番チョコレートが消費される日じゃないかと思う。
そしてこの日、好きな女性のいる男性は、その人からチョコを渡されるのを期待する……らしい。いや、特別好きな相手がいなくても、みんな女性からチョコを渡されるのを、ひそかに楽しみにしているものらしい。
けど、ぼくは……。
ぼくにとって2月14日は、一年で一番イヤな日というか、困る日だ。
なぜならぼくは、チョコレートがめちゃくちゃ苦手なのだ。
どれぐらい苦手かというと、ほんのひとかけら口に入っただけでも、吐き出してしまうぐらいなのだ。
そんなぼくに、去年の暮れ、カノジョができた。
相手は同じ高校に通う、同じ2年生の女の子。
料理が上手で、特にお菓子作りは大好きで大得意なんだそうだ。
その彼女が、今年のバレンタインはぼくのために腕をふるうと、すごく張り切っている。
一応、チョコレートが苦手だってことは伝えたんだけど……。
「それはあなたが、美味しいチョコを食べたことがないからじゃない? わたしが一番得意なお菓子は、ガトーショコラなの。パティシエをやってる叔父さんにも、褒められたことがあるぐらいよ。だからきっとあなたも、わたしの作ったガトーショコラを食べれば、チョコが大好きになると思うわ」
彼女はそう言って、ガトーショコラを作る気満々だった。
(そんなにうまくいくかなあ……)
また溜息をついて、ぼくは胸に呟く。
家に帰ると、寮ぐらしの弟が顔を出していた。
弟は、ぼくとは別の高校に通っていて、家からは遠いので普段は学校の寮でくらしているのだ。
「しょぼくれた顔して、どうしたんだ?」
弟はぼくの顔を見るなり、笑って訊いた。
そこでぼくが事情を話すと、弟は少し考えてから言った。
「なら、明日は俺がそのガトーショコラを食ってやろうか?」
「え、でも……」
驚くぼくに、弟は言う。
「俺の学校、明日と明後日は創立記念日で休みなんだ。だから帰って来たんだけど……兄貴のカノジョ、放課後にうちへ呼べよ。ガトーショコラを、うちに持って来てもらうんだ。そしたら、俺が兄貴のフリして食べるからさ」
「そうだな……」
ぼくは、弟の提案について考える。
ぼくと弟は双子だ。中学は同じ学校だったので、よく先生やクラスメートたちに間違えられたものだ。親も、父親は小さいころは区別がつかなかったというぐらい、よく似ている。
彼女がぼくと弟の区別がつかないだろうと考えるのは、少しばかりイヤだったが、かといってせっかく作ってくれたチョコを食べられなくて、彼女をがっかりさせるのはもっとイヤだった。
「わかった。じゃあ、明日彼女にはうちに来てもらうから、頼むな」
「ああ、任せとけ」
うなずくぼくに、弟は笑って請け負ってくれた。
翌日の放課後。
帰宅して家で待つぼくのもとに、彼女が手作りのガトーショコラを持ってやって来た。
彼女を家に上げ、リビングに案内する。
彼女がテーブルの上に、持参のガトーショコラの箱を置き、ぼくに蓋を開けるよう言った。ぼくは、ハートのついたリボンをほどき、包装紙を解いて、蓋を開ける。
中には、ケーキ屋さんで見るホールケーキの四分の一ぐらいの大きさの、丸いチョコレートケーキが入っていた。上には半分に切ったイチゴと、緑色の葉っぱが乗っている。
ケーキ全体をおおう茶色いチョコレートを見ただけで、ぼくは胃の中から何かがせり上がって来るのを感じた。けど、それをぐっとこらえて言う。
「こんなの作れるなんて、すごいな」
「そう言ってもらえて、うれしいわ。今日のは、いつもより生地がしっとりした感じにできたのよ。きっと、美味しいと思うわ」
うれしそうに返す彼女にうなずいて、ぼくは飲み物を持って来ると、リビングを出た。
キッチンで弟と入れ替わる。
ぼくの入れたコーヒーの乗った盆を手に、弟がリビングへと向かう。ぼくは、そのあとをそっと追って行った。
ぼくは、薄く開けたドアの隙間から、彼女と弟の様子を覗き見る。
彼女は何も気づかず、コーヒーを手に取って飲み、弟にガトーショコラを勧めた。
弟がそれを手に取り、無造作に一口食べた。
「どう? 美味しい?」
彼女が期待に満ちた問いを放つ。
だが。
「マズッ!」
弟の口から飛び出したのは、強烈な一言だった。
「え?」
彼女の目が、大きく見開かれる。きっと、そんなことを言われるなんて、思ってもいなかったんだろう。だが、弟は頓着しなかった。
「あんた、こんなマズイもの、よく他人に食べさせようって思ったな」
「ま、まずいって……そんな……いったい、どこが……」
涙目になりながら問う彼女に、弟は更に追い打ちをかける。
「ぜんぶだよ、ぜんぶ。なんか、口の中が甘ったるくて、たまらないぜ」
それらのやりとりを、ぼくは半ば呆然と見ていた。
そして、ようやく思い出した。弟が味オンチで、特に甘いものは「甘ったるい」としか感じられないこと。そして、家族以外には口が悪くて、空気も読めないことを。
(し、しまった~!)
ぼくは、焦ってドアを開けた。
「ち、違うんだ! ぼくは、そんなこと思ってない!」
声を上げたぼくの方を、彼女が見た。一瞬、目が真ん丸になって、それからぼくと弟を見比べる。
「え……? どういうこと?」
「ぼくたち、双子なんだ。そっちはぼくの弟で……」
ぼくは、しどろもどろに事情を説明する。
途端、彼女は顔を真っ赤にして立ち上がった。そのまま、ものも言わずに部屋を出て行く。しばらくして、玄関のドアが乱暴に開閉される音がした。
翌日、ぼくは彼女からいっさい口を利いてもらえなかった。
そして放課後、ぼくは一発の平手と共に、彼女から別れを宣言された。
「苦手だからって、食べもせずにあんな手段に出るような卑怯者とは、これ以上つきあえないから」
彼女は、そう言って、さっそうと立ち去って行った。
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