第3話 タルトタタン

 学校から帰宅すると、あたしは真っ先に冷蔵庫を開けた。

「お腹空いた~」

 いつもどおりの言葉を発しつつ、あたしは庫内を覗き込む。

 高校までは自転車で片道5㎞。超がつく田舎の地元には、コンビニなんて便利なものはない。途中の道端には飲料水の自販機ぐらいはあるけれど、食べ物を売っているようなところは、いっさいないのだ。

 そんなわけで、学校から帰って来ると、あたしはたいていお腹ペコペコだった。

 母もそのあたりはわかっているので、いつも冷蔵庫の中には作り置きの煮物だとか、おにぎりだとかが入っている。

 そしてその日冷蔵庫の中にあったのは、リンゴだった。

 大きくて赤い美味しそうなリンゴが三個、袋に入って鎮座している。他に、あたしのおやつらしいものは見当たらなかったので、あたしはてっきり、これがそうだと思った。

「さすがに三個は多いよね。皮剥くのも面倒だし」

 呟いて、あたしは一つを取り出し、皮を剥いてかぶりついた。

 ところがこれが、けっこう美味しい。

 結局、三つのうち、二つを食べて満足し、あたしは自分の部屋へと向かった。


 部屋に入ったところで、スマホにメッセージが届いているのに気づいた。

 開いてみると、相手は母だ。

『今日のおやつは、冷凍のたこやきよ。チンして食べてね。あと、冷蔵庫のリンゴは、お菓子を作る用だから、食べたらだめよ』

 メッセージには、そうあって、あたしは読むなり青ざめた。

「え、嘘。あれって、あたしのおやつじゃないの?」

 あたしの母は、叔母が経営している喫茶店で働いている。そして時々、叔母から店で出すお菓子を頼まれて作っているのだ。メッセージの内容からして、あのリンゴはその材料だったということだろう。

「ど、ど、ど、どうしよう……」

 母は普段はとても優しくて温厚なのだが、仕事に関することとなると、怖い。

 メッセージの発信時刻は、あたしが帰宅するより前だから、どう考えても母に知れたら怒られる。

「どっかで新しいリンゴを調達してくる? でも……」

 一番近いスーパーまでは、自転車だと片道一時間はかかる。

 あたしがどうしようかと考え込んでいる時、玄関のチャイムが鳴った。

 誰だろう? 帰って来るにはまだ早い時間だから、母ではないはずだ。

 あたしが玄関に出てみると、お隣のおばさんが立っていた。

「こんにちわ。今日はお裾分けに来たの」

 言っておばさんは、手にしていたスーパーの袋をあたしに差し出す。

「お嫁さんの実家から、たくさんもらったんだけど、うちでは食べきれないのよ」

 おばさんの言葉に、あたしは渡された袋の中を覗き込んだ。そこには、偶然にも真っ赤なリンゴが二つ、入っていた。

「リンゴが二つ……!」

 あたしは思わず声を上げる。それへおばさんは、「美味しいリンゴだから、食べてね」と言い置いて、立ち去って行った。

 あたしは慌ててお礼を言って、おばさんを見送り、改めて袋の中を見る。

「リンゴだ……。それも、二つ」

 これってまさに、天の助けってやつだ! と小躍りしながらあたしは、それを台所に持って行った。

 冷蔵庫を開けて、一つだけ残ったリンゴの入っている袋に、もらったリンゴ二個を移し替える。色も大きさも、残っているのと同じような感じだし、きっと黙っていれば大丈夫。

 あたしは、ホッとして冷蔵庫のドアを閉めた。


 ところが。

 夕方帰宅した母は、冷蔵庫の中のリンゴを見るなり、怖い顔であたしをふり返った。

「メッセージ送ったのに、リンゴ、食べたわね」

「え? ううん、食べてないよ」

 あたしはとっさに、否定する。だが母は、怖い顔で冷蔵庫からリンゴの袋を取り出すと、中から一つを取って、あたしの前に突き出した。

「嘘おっしゃい。私がお菓子用に買ったのは三つとも紅玉なのに、これともう一つはジョナゴールドじゃないの」

「こ、こうぎょく? じょなごーるど?」

 言われてあたしは、目をシロクロさせる。動揺のあまり、それがリンゴの品種だってことさえ、すぐには思い出せなかった。

 そんなあたしにかまわず、母は更にあたしを問い詰める。

「この二つは、どうしたの? どこかで買って来たの? 正直におっしゃい」

「う……」

 考えてみれば、このまま黙っていても、母が隣のおばさんと顔を合わせれば、二個のリンゴがもらいものだというのは、すぐにバレてしまうだろう。

「……ごめんなさい」

 あたしは謝ると、事の顛末を母に話した。


 話を聞き終えると、母は小さく溜息をついた。

「メッセージを送るよりも、冷蔵庫にメモでも貼っておいた方が、よかったわね」

「……ごめん。これからは、もっと頻繁にメッセージ確認するようにする」

 呟く母にあたしは言って、顔を上げる。

「ところで、その……お菓子の方は、大丈夫……なの、かな」

「大丈夫じゃないけど、とりあえず一度、電話してみるわ」

 おずおずと尋ねるあたしに、母は言って叔母に電話をかけた。

 その結果、明日の朝、叔母が店の方にリンゴを含めたお菓子の材料を用意してくれることになり、母は早めに出勤して、お菓子を作ることになったようだ。

「ところで、なんのお菓子を作る予定だったの?」

 電話を切った母に、あたしは訊いた。

「タルトタタンよ。前にうちでも作ったことあったでしょ」

 母の言葉に、あたしは飴色のリンゴを敷き詰めたお菓子を思い出す。

(焦がして、かぶせて焼いて、ひっくり返す……たしか、そんなふうに言ってたっけ)

 昔母から聞いた作り方を思い出すと同時に、口の中に帰宅後に食べたリンゴの甘酸っぱい味がよみがえった。

「ねえ、材料あるなら、うちでも作ってよ、タルトタタン」

「いいけど、品種の違うものだとちょっと難しいのよね。味も変わるし」

 あたしの言葉に、母は眉をひそめて返す。

 お菓子作りの好きな母は、こだわりも強い。けど、あたしにとっては、美味しくてお腹にたまれば、なんでもいい。とはいえ、これを言うとまたきっと、母を怒らせてしまうだろう。

 なのであたしは言った。

「いいじゃん。せっかくリンゴが三つあるんだしさ。明日の練習がてら、ね?」

「はいはい。でも、だったらもし失敗しても、食べてよね。あと、本当は作った翌日が食べごろだから、今日食べるんなら、多少美味しくなくても文句言わないこと」

 母はあきらめたのか、本当に練習になると思ったのか、そこはわからないが、タルトタタンを作ってくれる気になったらしい。

 あたしは内心に、バンザイしながら、「うん、大丈夫だよ。ちゃんと食べるから」とうなずくのだった。

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