第4話 噂の芽


 それから数日間、白河紬と話すことはなかった。


 教室ではいつも通りだった。彼女は笑って、友達に囲まれて、先生にも気さくに返事をしていた。まるで、あの日のことなんてなかったかのように。

 でも、俺は違った。

 彼女と話したこと、映画に誘われたこと、そして自分がそれを断らなかったこと――すべてが、じわじわと俺の中で熱を持っていた。


 「お前さ、最近ちょっと落ち着きないよな」


 友人の桜井颯太が、唐突に言ってきた。


 「は?別に普通だけど」


 「そう?じゃあ……白河となんかあったとか、ない?」


 思わず、指先が止まった。机の上の消しゴムが小さく転がる音だけが、やけに耳に残った。


 「……なんで?」


 「いや、ちょっと前にさ、白河が“土曜日って予定ある?”ってクラスの女子に聞かれて、“もう決まってる”って言ってたらしくて。相手って、誰だと思う?」


 ――最悪だ。


 心臓がひとつ跳ねた気がした。別に、隠したいことをしたわけじゃない。でも、こうして噂の“芽”が生まれていくんだと、実感した瞬間だった。


 「俺じゃないよ」


 即答だった。そう答えるしかなかった。


 「ふーん……まあ、白河が誰と遊ぶとか、あんま気にしても意味ないか」


 颯太はそう言って、深追いはしなかった。でも、俺の中には妙なざらつきだけが残った。


 金曜日の夜。

 眠れなかった。正確には、布団に入っても目を閉じたまま、同じことばかりをぐるぐる考えていた。


 ――映画に行く。ただそれだけのこと。

 でも、そう思い込もうとするほど、違う何かが胸を圧迫する。


 気を使わせてるだけなんじゃないか。

 “うっかり”なんて、本当はただの社交辞令で、誰でもよかったんじゃないか。


 なのに。


 あの時、白河紬の目を見て、俺は――断れなかった。

 あの目を、信じてみたいと思った。それが、事実だった。

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