第3話 没落貴族の真実

 ギルドの依頼ボードの前で、リーナと相談していた時だった。


「おや、これはこれは。最弱と狂犬のコンビじゃないか」


 皮肉めいた声に振り返ると、そこには金髪碧眼の青年が立っていた。


 上質な服を着ているが、よく見ると袖口がほつれ、靴も踵がすり減っている。何より、彼の周りの糸が複雑に絡み合っていた。


 プライドを表す紫の糸と、劣等感を表す灰色の糸が、激しくせめぎ合っている。


「アレクシス・フォン・ベルトラン」


 青年は大仰に一礼した。


「見ての通り、没落貴族の成れの果てさ。君たちの活躍は聞いているよ。ゴブリン退治、見事だったそうじゃないか」


 リーナが警戒心を露わにする。


「何の用? あんた、確か元Bランクの魔法使いでしょ。私たちみたいな底辺に何の用があるの」


「元Bランク、か」


 アレクシスの笑みが自嘲的になる。


「そう、"元"だ。今じゃ見ての通り、ソロでは稼げない三流魔法使いさ」


 彼のステータスが見えた。


 職業:魔法使い

 ランク:C

 魔力:82

 詠唱速度:12(平均の半分以下)


「詠唱が遅い……」


 俺がつぶやくと、アレクシスの表情が凍りついた。


「ご明察。致命的にね。どんなに強力な魔法を知っていても、詠唱に時間がかかりすぎて使い物にならない」


 でも、俺には見えていた。


 彼の内側で輝く、眩いばかりの白い糸。それは——


「本当は、すごい魔法の才能があるんじゃないか?」


 アレクシスが息を呑む。


「ただ、何かがそれを邪魔してる。トラウマ……いや、呪い?」


「……君は何者だ」


 初めて、アレクシスの余裕が消えた。


「共感者。他人の感情と、本質が見える」


「なるほど、噂は本当だったわけだ」


 アレクシスは苦笑した。


「実は、君たちに頼みがあって来たんだ。報酬は——これしかないが」


 彼が差し出したのは、銀貨五枚。


 Cランクの依頼にしては安すぎる。


「私の実家、ベルトラン家の屋敷に取り残された魔導書を取り戻したい。ただし——」


 彼の顔が曇る。


「屋敷は今、魔物の巣窟になっている。それも、ただの魔物じゃない。精神攻撃を得意とする幻影種だ」


 リーナが首を振った。


「無理よ。幻影種相手じゃ、物理攻撃は効かない。魔法使いが必要だけど——」


「僕じゃ詠唱が間に合わない」


 アレクシスが自嘲する。


「だから、君たちの力を借りたい。ハル君の能力なら、幻影を見破れるかもしれない」


 俺は、彼の糸をじっと見つめた。


 必死さを表す赤い糸の奥に、細い金色の糸がある。誰かを守りたいという——


「その魔導書、誰のために必要なんだ?」


 アレクシスの肩が震えた。


「……妹が、呪いにかかっている。解呪の方法が、その魔導書に記されているはずなんだ」


 やはり。


 リーナと目が合った。彼女も妹のために戦った。その気持ちは痛いほど分かるはずだ。


「分かった。引き受けよう」


「ハル?」


「でも、条件がある」


 俺はアレクシスを見据えた。


「終わったら、俺たちのパーティに入ってくれ」


「は?」


 アレクシスが目を丸くする。


「正気か? 僕は使えない魔法使いだぞ」


「詠唱が遅いだけだろう。それなら、守ればいい」


 俺は微笑んだ。


「リーナが前衛、君が後衛。俺がサポート。悪くない組み合わせだと思う」


 長い沈黙の後、アレクシスは苦笑した。


「君は変わっているな。いいだろう、約束しよう」


 ◆


 ベルトラン家の屋敷は、貴族街の外れにあった。


 かつては壮麗だったであろう建物も、今は蔦に覆われ、窓は割れ、不気味な雰囲気を漂わせている。


「三年前、父が投資に失敗してね」


 アレクシスが説明する。


「財産を失い、屋敷も差し押さえ。その時のショックで母は亡くなり、父は失踪。僕と妹だけが残された」


 彼の灰色の糸が濃くなる。


「妹を守るため、冒険者になった。最初は順調だったんだ。Bランクまで上り詰めて、このまま行けばAランクも——そう思っていた時に」


「呪い?」


「ああ。ある依頼で、古代遺跡に入った。そこで呪いのトラップに引っかかって、以来、詠唱速度が極端に遅くなった」


 俺には見えていた。


 彼の魔力の流れを阻害する、黒い糸のようなもの。確かに呪いだ。


「そして先月、妹も呪いにかかった。同じ系統の呪いだ。ただし、妹の場合は——」


 アレクシスの拳が震える。


「少しずつ、記憶を失っていく呪いだ。もう、僕のことも半分忘れている」


 リーナが息を呑む。


「それは……」


「ベルトラン家に代々伝わる魔導書なら、解呪の方法があるはずなんだ。頼む、協力してくれ」


 ◆


 屋敷に入った瞬間、空気が変わった。


 重く、じっとりとした何かが肌にまとわりつく。


「出たね」


 リーナが剣を抜く。


 俺にも見える。無数の黒い糸が、空中を漂っている。それらは——


「恐怖、絶望、後悔……負の感情が実体化している」


「幻影種の特徴だ」


 アレクシスが説明する。


「彼らは人の負の感情を餌にする。そして、その感情を増幅させて、精神を壊す」


 階段を上がると、急に景色が変わった。


 豪華な調度品が並ぶ、かつての栄華を誇る屋敷。


「これは……」


 アレクシスが息を呑む。


「昔の屋敷だ」


 そして、廊下の奥から、優しげな女性が現れた。


「アレク? どこに行っていたの。お父様が呼んでいるわよ」


「母さん……」


 アレクシスが一歩踏み出す。


 ダメだ。


「アレクシス! それは幻影だ!」


 俺は叫んだ。


 女性の周りには、黒い糸しかない。本物の人間なら、必ず何かしらの感情の糸があるはずだ。


「分かっている……分かっているんだ」


 アレクシスの声が震える。


「でも……」


 母親の幻影が微笑む。


「さあ、アレク。ママのところにいらっしゃい」


 アレクシスが、ふらふらと歩き出す。


 リーナが止めようとするが——


「きゃあ!」


 別の幻影が現れた。血まみれの少女。リーナの妹の姿だ。


「お姉ちゃん、どうして助けてくれなかったの?」


「ミーナ! 違う、これは——」


 二人とも、幻影に心を掴まれている。


 俺は必死に考えた。


 共感者の力で、何かできないか。


 そうだ。


 俺は二人の肩を掴み、全力で自分の感情を流し込んだ。


 だが、今回は冷静さじゃない。


 俺自身の負の感情だ。


 就活に失敗し続けた絶望。友人に裏切られた怒り。恋人に捨てられた悲しみ。


 死のうとした、あの夜の感情。


「なっ——」


 アレクシスとリーナが、我に返る。


「これは……ハルの?」


「ああ。俺だって、負の感情はたくさんある。でも——」


 俺は微笑んだ。


「それでも、今は前を向いている。過去は変えられない。でも、未来は変えられる」


 幻影が揺らぎ始める。


 負の感情を乗り越えた者には、幻影の効果が薄れるのだ。


「そうか……」


 アレクシスが立ち上がる。


「君も、苦しんでいたんだな」


「みんな、何かを抱えてる。だから、支え合うんだ」


 リーナも剣を構え直す。


「そうね。一人じゃ弱くても、三人なら」


 幻影が、悲鳴を上げて消えていく。


 ◆


 屋敷の最上階、かつての書斎。


 そこに、目的の魔導書があった。


 だが——


「まさか、こんなところで会うとはな」


 魔導書の前に、一人の男が立っていた。


 黒いローブに身を包み、顔は仮面で隠されている。


「その声は……クロウ!」


 アレクシスが驚愕する。


「知り合い?」


「僕に呪いをかけた魔術師だ! なぜここに」


 クロウと呼ばれた男が笑う。


「決まっているだろう。この魔導書を狙っていたのさ。ベルトラン家の秘術——それがあれば、より強力な呪いが」


 男の周りの糸を見て、俺は息を呑んだ。


 真っ黒な糸が、渦を巻いている。だが、その中心に——


「待て。お前、本当は——」


「黙れ!」


 クロウが杖を振るう。


 黒い魔法陣が展開され、呪いの波動が放たれる。


 アレクシスが詠唱を始めるが——遅い。間に合わない。


 リーナが前に出るが、物理攻撃が効かない相手だ。


 俺は、一か八かの賭けに出た。


 クロウに向かって走り、その手を掴んだ。


「なっ——」


 直接触れることで、より深く感情を読み取れる。


 そして、見えた。


 黒い糸の中心にある、小さな光。


「お前も、誰かを救いたいんだな」


 クロウの動きが止まる。


「妻か……いや、娘? 病気で、普通の治療法では救えない。だから、禁じられた呪術に手を出した」


「黙れ……黙れ!」


 だが、仮面の下から涙が流れていた。


「分かるよ。大切な人のためなら、何でもしたくなる。でも——」


 俺は振り返った。


「アレクシスも、妹のために戦ってる。みんな、同じなんだ」


 長い沈黙。


 やがて、クロウは杖を下ろした。


「……負けだ」


 仮面を外す。


 疲れ切った中年男性の顔があった。


「君の言う通りだ。娘を救いたい一心で、道を誤った」


 アレクシスが前に出る。


「クロウ……いや、あなたの本名は?」


「グレイ。グレイ・ナイトフォール」


「グレイさん」


 アレクシスが手を差し伸べる。


「妹の呪いを解いてくれたら、僕も協力する。一緒に、あなたの娘さんを救う方法を探そう」


 グレイが目を見開く。


「僕を呪った相手に、なぜ」


「ハルが教えてくれた。みんな、何かを抱えている。なら、協力すればいい」


 グレイの目から、さらに涙が溢れる。


「……すまなかった」


 ◆


 結局、グレイの協力で、アレクシスと妹の呪いは解かれた。


 そして、魔導書には確かに、グレイの娘を救う可能性のある術式も記されていた。


「これから研究が必要だが、希望は見えた」


 グレイが深々と頭を下げる。


「本当に、ありがとう」


 彼は去っていった。いつか、また会うことになるだろう。


 ギルドへの帰り道。


「さて、と」


 アレクシスが立ち止まる。


「約束だったね。僕も、君たちのパーティに入れてもらえるかい?」


「もちろん!」


 リーナが笑顔で答える。


「詠唱が遅くても、作戦でカバーすればいい」


「それに」


 俺も付け加える。


「呪いが解けて、少しは詠唱速度も戻るんじゃないか?」


「はは、そうだといいんだが」


 アレクシスが苦笑する。


 でも、その顔は晴れやかだった。


 三人で歩く帰り道。


 俺たちを繋ぐ金色の糸が、夕日に照らされて美しく輝いていた。


 パーティ名は、まだ決まっていない。


 でも、それでいい。


 これから、ゆっくり決めればいいのだから。

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