第2話 赤い糸の少女

 リーナの瞳が揺れた。


「優しすぎる……?」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の周りの赤い糸が一瞬だけ静まった。まるで、心の奥底に触れられたことに驚いているかのように。


「何を知ったような口を」


 次の瞬間、リーナの表情が怒りに歪んだ。赤い糸が再び暴れ始める。


「私のことを何も知らないくせに! ステータスも見たでしょ? 私は狂戦士。戦闘中は理性を失って、敵も味方も見境なく攻撃する欠陥品よ!」


 周囲の冒険者たちが、さらに距離を取る。


 俺は、彼女の赤い糸をじっと見つめた。その奥に、小さく震える青い糸。それは——


「妹……だね」


 リーナの動きが止まった。


「君の中にある優しさ。それは、誰かを守りたいという気持ちから来てる。多分、妹か、それに近い存在」


「……どうして」


 声が震えている。


「それが、分かるの」


 俺は、正直に答えた。


「俺の職業は共感者。他人の感情が、糸として見える。君の赤い糸の奥には、守りたい人への青い糸がある。でも、その糸が細くなってる。時間がない……そうだろう?」


 リーナの膝が崩れ落ちた。


「妹が……妹が、魔物に」


 涙が、床に落ちる。


「ゴブリンの群れに村が襲われて、妹だけ連れ去られた。もう三日……ゴブリンに捕まって三日生きてる人間なんて……でも、でも私には妹しか」


 赤い糸が、悲しみの色に変わっていく。


 俺は、しゃがんで彼女と目線を合わせた。


「まだ間に合う」


「え?」


「青い糸が完全に切れてない。それは、妹さんがまだ生きてる証拠だ」


 嘘じゃない。実際、彼女と誰かを繋ぐ青い糸は、細いながらもまだ存在している。


「一緒に行こう。俺は戦えないけど、君の暴走を止めることはできるかもしれない」


「……できるわけない」


 リーナが首を振る。


「私の暴走を止められる人なんて、Aランク以上の冒険者でも無理だった。あなたみたいな戦闘力1の——」


「試してみないと分からない」


 俺は立ち上がり、手を差し伸べた。


「俺にできることは、君の感情を理解することだけだ。でも、理解されることで、人は変われることもある」


 長い沈黙。


 やがて、リーナは震える手で、俺の手を取った。


「……後悔しても知らないから」


 ◆


 ゴブリンの巣は、街から半日ほど歩いた森の洞窟にあった。


 入り口には見張りのゴブリンが二匹。緑色の肌に、原始的な武器。ファンタジーの定番モンスターだが、実際に見ると生理的な嫌悪感がある。


「作戦は?」


 リーナが小声で聞く。


「作戦も何も、私が突っ込んで全部倒すしか」


「待って」


 俺は、ゴブリンたちを観察した。


 彼らの周りにも、細い糸が見える。主に黒い糸——仲間への不信感と、赤い糸——原始的な欲望。


 そして、一本の太い灰色の糸が、洞窟の奥へと伸びている。


「恐怖……いや、服従かな。洞窟の奥に、こいつらが恐れている何かがいる」


「ゴブリンリーダーね。通常のゴブリンより数倍強い」


 リーナの表情が険しくなる。


「私一人でも倒せるけど、暴走したら——」


「大丈夫」


 俺は、彼女の肩に手を置いた。


 瞬間、より鮮明に彼女の感情が流れ込んでくる。恐怖、怒り、そして何より——妹を失うかもしれない絶望。


「リーナ、君の暴走の原因は分かった」


「は?」


「君は優しすぎるんだ。妹を守りたい気持ちが強すぎて、それが戦闘中に『守るための破壊衝動』に変わる。力をコントロールできないんじゃない。力を使う理由が強すぎるんだ」


 リーナの目が見開かれる。


「だから、約束する。妹さんは必ず助ける。君は、自分を信じて戦ってくれ。暴走しそうになったら、俺が止める」


「……どうやって」


「こうやって」


 俺は、彼女の手を握った。


 物理的な接触で、感情の糸がより強く繋がる。俺の落ち着きを、彼女に流し込む。


「……嘘」


 リーナが息を呑む。


「心が……静かになってる」


「これが共感者の力。戦えないけど、君を支えることはできる。さあ、行こう」


 ◆


 戦闘が始まった瞬間、リーナは別人になった。


 赤い髪が逆立ち、瞳が血の色に染まる。手にした剣が、見張りのゴブリンを一瞬で両断した。


「グギャアアア!」


 ゴブリンの叫び声が森に響く。


 洞窟から、続々とゴブリンが湧いて出てくる。十匹、二十匹、三十匹——


「ハハハハハ! 殺す! 全部殺す!」


 リーナが狂ったように笑いながら、ゴブリンの群れに突っ込んでいく。


 これが狂戦士。


 圧倒的な破壊力。だが——


「リーナ! 左!」


 俺は叫んだ。


 彼女の左側から、ゴブリンが不意打ちを仕掛けようとしている。通常なら避けられるはずの攻撃も、暴走状態では——


 だが、リーナは滑らかに身をかわし、カウンターを決めた。


「え?」


 彼女自身が驚いている。


 俺には分かった。今、彼女と俺の間に太い金色の糸が生まれている。信頼の糸だ。


 その糸を通じて、俺の冷静な判断が彼女に伝わっている。完全に理性を失っているわけじゃない。ギリギリのところで、制御が効いている。


「その調子だ! 右から三匹!」


「分かった!」


 初めて、リーナが戦闘中に返事をした。


 ◆


 洞窟の最深部。


 そこには、予想以上の光景が広がっていた。


 巨大なゴブリンリーダーの前に、檻が並んでいる。中には——


「生きてる……」


 十数人の女性と子供たち。その中に、リーナとよく似た赤い髪の少女がいた。


「ミーナ!」


 リーナが駆け寄ろうとする。


 だが——


「グルルルル……」


 ゴブリンリーダーが立ち上がった。


 身長三メートル。筋肉の塊のような体。手には巨大な棍棒。


 そして、その周りの糸を見て、俺は愕然とした。


 紫色の糸。


 それは——知性を表す色だ。


「リーナ、気をつけろ! こいつ、ただのゴブリンリーダーじゃない!」


 遅かった。


 ゴブリンリーダーが、檻を盾にして立ち回る。リーナは全力で攻撃できない。下手に攻撃すれば、人質が——


「クックック……」


 ゴブリンリーダーが、人間の言葉を話した。


「ニンゲン……ヨワイ……ダカラ……タノシイ」


 最悪だ。


 知性を持ったゴブリン。人間の弱点を理解している。


 リーナの動きが止まる。赤い糸が激しく乱れ始めた。怒りと、妹を傷つけるかもしれない恐怖で——


「ああああああ!」


 完全な暴走が始まった。


 今度は、俺の声も届かない。


 リーナが無差別に剣を振り回す。壁が削れ、地面が抉れる。このままでは——


 俺は、覚悟を決めた。


 リーナの背後から駆け寄り、後ろから抱きしめた。


「リーナ! 俺だ! 落ち着いて!」


「離せ! 殺す! 全部殺す!」


 暴れるリーナ。


 俺の頬を剣がかすめる。血が流れる。それでも離さない。


 そして——全身全霊を込めて、俺の感情を彼女に流し込んだ。


 信頼。理解。そして——


 共感。


「リーナ、君の痛みは分かる。妹を守れないかもしれない恐怖、自分の力をコントロールできない苦しみ、全部分かる」


 リーナの動きが、少しずつ緩やかになる。


「でも、君は一人じゃない。俺がいる。一緒に、知恵を使って戦おう。力だけが全てじゃない」


 完全に、動きが止まった。


 リーナが振り返る。瞳に正気が戻っている。


「……あなた」


 頬に、涙が伝っている。


「私、止まれた……初めて、自分の意志で」


 俺は微笑んだ。


「ああ。君は、もう暴走なんかしない。さあ、妹さんを助けよう。今度は、二人で」


 ◆


 作戦は単純だった。


 俺がゴブリンリーダーの感情を読み、リーナに的確な指示を出す。


 紫の糸——知性があるなら、恐怖もあるはずだ。


「リーナ、奴の右膝に古い傷がある。そこが弱点だ」


「分かった!」


 的確に急所を狙うリーナ。


 ゴブリンリーダーが初めて恐怖の表情を見せる。


 そして——


「今だ! 奴が一番恐れているのは、死ぬことじゃない。仲間に見捨てられることだ!」


 俺は、洞窟の入り口を指差した。


 ゴブリンリーダーが振り返る。


 仲間のゴブリンたちは、とっくに逃げ出していた。


「ア……アア……」


 絶望に染まるゴブリンリーダー。


 その隙を、リーナは逃さなかった。


 ◆


 戦いが終わり、檻から人々を解放した。


 リーナは妹をきつく抱きしめている。


「ミーナ……ミーナ……」


「お姉ちゃん、苦しいよ」


 妹が笑っている。無事だった。


 他の人々も、感謝しながら洞窟を出ていく。


 そして、俺たちだけになった時——


「ありがとう」


 リーナが、まっすぐ俺を見た。


「あなたがいなかったら、私はきっと、妹も、みんなも傷つけてた」


「俺は何もしてない。君が強かっただけだ」


「違う」


 リーナは首を横に振る。


「あなたは、私の心を理解してくれた。初めて……初めて、怖くなかった」


 彼女の周りの糸が、美しく輝いている。


 赤い糸は情熱に、青い糸は信頼に変わっていた。


「ねえ、お願いがある」


「何?」


「私と、パーティを組んで」


 即答だった。


「もちろん」


 ◆


 ギルドに戻ると、大騒ぎになった。


 まさか、戦闘力1の共感者と制御不能の狂戦士のコンビが、ゴブリンの巣を壊滅させるとは誰も思わなかったらしい。


「信じられない……リーナが暴走しなかった?」


「しかも、人質全員無事だと?」


 受付嬢も、目を丸くしている。


「あの、ミスター・ユウキ。先ほどは失礼なことを……」


「いいよ」


 俺は軽く手を振った。


「それより、報酬の話を」


 ビジネスライクに話を進める。


 内心では、まだ信じられない気持ちでいっぱいだった。


 この世界でも、俺は必要とされた。


 いや、違う。


 リーナが、俺を必要としてくれた。


「なあ、ハル」


 帰り道、リーナが言った。いつの間にか、名前で呼ばれている。


「これからも、よろしく。私、あなたとなら、どこまでも強くなれる気がする」


 夕日に照らされた彼女の笑顔は、とても美しかった。


 俺の周りにも、新しい糸が見える。


 金色の、太い糸。


 それは間違いなく、仲間との絆の糸だった。

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