とある名優の大芝居と、汚れた顔の天使

板倉恭司

開幕

「お兄さんさぁ、そんなこと言われると困っちゃうのよ。俺らの稼業も、昨今はキツいしさ。不景気の波が押し寄せてきてるんだよ」


「だから、そんな額は払えないですぅ……勘弁してください」


 恐怖に歪んだ表情で、ペコペコ頭を下げているのは三宮英治サンノミヤ エイジだ。頭は禿げ上がっており、年齢は四十代から五十代だろうか。安物のスーツ姿に、黒のカバンを抱えている。


「あのさ、俺たちのバックにいるの銀星会なのよ。名前くらい聞いたことあんでしょ?」


 対するは、ワイシャツにベスト姿で銀縁メガネをかけた男である。格好だけなら、どこかのホテルマンかレストランスタッフと思うだろう。

 しかし、首から上の人相が決定的に異なっていた。髪は金髪で、目つきは悪い。常に人を睨みつけるような表情で、通りを闊歩しているタイプの人種である。

 店内には、あと三人いた。ひとりは若く派手な化粧をした女で、残るふたりはワイシャツにベストの若い男である。いずれも、三宮にジリジリと迫っていた。


 ここは、いわゆるぼったくりバーだ。

 まず客引きが通りで三宮を見つけて店に連れてきて、派手な化粧の女がおだてて飲ませ食わせ(当然、女も飲み食いする)、いざ会計となった時には……想定外の金額に愕然となる、というパターンだ。

 今回、この店から三宮に提示された金額は十万である。彼の飲んだ量を考えると、異常に高い額だ。それでも、昔のやり方に比べると安くはなっている。揉めるくらいなら、さっさと金払って終わらせようか……と、相手に思わせるのが狙いだ。

 その上、客引きや店員らは、来た客がどの程度まで払えるかをすぐに計算する。見た目や、女との話を総合し、このくらいなら問題なく払えるだろう……と弾き出した額が十万である。


 扉の前には金髪が立っており、ふたりの店員が後ろから近づいている。逃げることは無理だし、抵抗したところで勝ち目はない。中年サラリーマン相手なら、完璧な布陣であろう。

 しかし、彼らは何もわかっていなかった。三宮は、この店がぼったくりバーという情報を得て、わさわさ客引きに引っかかるまでウロウロしていたのだ。


「そ、そうですか……銀星会ですか」


 三宮が言った時だった。突然、どこからか声が聞こえてきた──


「コラ大阪府警じゃ! 開けんかい!」


 その瞬間、店員たちは顔を見合わせる。


「な、なんで大阪府警が来るんだ? 管轄違うだろうが?」


 ひとりが、掠れたような声を出した。しかし、外にいる人物は、なおも怒鳴り続けている。


「開けんかい言うとるじゃろが!」


「るせーな! だったら礼状みせろやコラァ!」


 金髪が怒鳴り、つかつかと扉の方に歩いていく。他のふたりも、後に続いた。

 勢いよくドアを開けたが、その瞬間に唖然となった。

 外には、誰もいないのだ。


「なんだこれ……」


 言った時だった。突然、銃声が轟く。非常に小さなものだが、弾丸は発射される。後頭部から入り、正確に脳を貫いた。

 銃声は、さらに二回続く。どちらの弾丸も、正確に脳を貫いていた。 

 撃ったのは三宮である。その手には、サイレンサー付の拳銃が握られていた。


「ちょっと、何……」


 女は、ガタガタ震えている。予想外の出来事を前に、パニックに陥り思考が停止しているのだ。

 だが、三宮の仕事はまだ続く。今度は、女に銃口を向けた。


「おい、店の金はどこにある?」


「う、売上金なら事務所にあります……でもレジに入っているのは、せいぜい十万くらいで……」


「残りは、どこにある?」


「金庫です。でも、暗証番号は店長しか知らないので……」


「店長って、今呼べる?」


「いえ、今あなたが殺しちゃいました──」


「そうか。そりゃ残念だ。教えてくれてありがとう」

 

 直後、三宮はトリガーを引く。女は、続きのセリフを言うこともなく即死した。


 三宮は、冷静に動き続けた。まずレジを壊して現金をかき集め、ついで店員らのポケットを探る。さらに更衣室と思しき場所も調べると、最後に防犯カメラのデータを削除する

 さらに入口のところに行くと、仕掛けておいた小型の音響装置を外した。先ほど聞こえていた大阪府警の声は、これである、

 その後は、何事もなかったかのように店を出ていく。

 人混みの中に入った三宮は、目立たぬように歩き裏路地へと入る。

 それきり、三宮英治は消えてしまったのだ──




 直後、通りには別の男が現れていた。こちらは二十代だろうか。あらゆる点で、三宮とは真逆である。軽薄そうな雰囲気で、動きや態度の全てが、世の中なんかチョロい……と思っているようなタイプだ。

 若者は電車に乗り込むと、スマホをいじる……ふりをしながら、辺りを見回す。

 誰にもつけられていないことを確認し、若者は電車を降りた。そのまま、自身の住処へと戻っていく。


 何とも不思議な場所であった。

 まず地形からしてグニャグニャで、真っ直ぐ歩くことも難しい。アスファルトで舗装された道路も歪んでおり、大型トラックなどは通行が困難であろう。

 建物も、全く統一感がなかった。古びた団地のようなものがあるかと思えば、古びた木造の寺、さらには廃材を集め素人作業で組み上げた小屋まである。

 現代日本とは思えぬ、カオスな町並みであった──


 若い軽薄そうな男は、小高い丘にポツンと立っているバラックへと向かっていた。

 立ち止まると、念のため再度まわりを見る。誰もいないことを確かめると、男はバラックへと入っていった。

 バラックの扉を閉めると、男は無言のまま鍵を回し、ゆっくりと腰を下ろした。

 薄暗い部屋の壁には、大きめの鏡がかけられている。その下の棚には、丁寧に袋詰めされたゴム製の仮面がずらりと並んでいた。全部で二十種類ほどあり、老若男女すべて揃っている。

 先ほど使った「三宮英治」の仮面も、そのひとつだ。そう、朝倉は仮面のひとつひとつに、全く異なる名前と人格さらに特徴を与えているのだ。


 ゆっくりと、顔に手を当てる。貼りついた皮膚が、指にねばつくような抵抗を返す。慎重に、慎重に……口元から剥がし、頬を伝い、額を引き上げる。ベリッ、という音が部屋の静寂に小さく響く。


 ゴム製の仮面が剥がれ、床へと落ちていく。

 次の瞬間、男は目を伏せたまま立ち上がり、壁の方を向く。




 素顔の自分を、鏡に映してはいけない。


 それは、朝倉風太郎アサクラ フウタロウの掟だった。

 火傷の痕、潰れた輪郭、皮膚のただれ、ゆがんだ顎。自分の顔が醜いということは、既にわかっている。だが、それを直視することには耐えられない。見た瞬間、様々な思いが頭を掠める。こんな顔になってしまったという現実を、未だに受け入れられずにいる。

 かつての自分のファンが、こんな顔を見たら……。


 朝倉は深く息を吐き、鏡に背を向けたまま、棚から別の仮面をひとつ取り出した。今度は、無表情な中年男の顔。口角の上がり具合が絶妙で、嘲笑にも余裕にも見える表情だ。


 仮面を手に、そっと鏡のカバーを開ける。

 もう一度「誰か」を被り直し、表情の調整を始めてみた。目尻の皺の寄り方、眉間の動き、首の角度まで……それを確かめるのに、鏡は必要不可欠だった。

 もっとも、このマスクはただ傷を隠すためだけではない。顔が変わった瞬間、朝倉は完璧に三宮になりきっていた。

 この計画において、自身の演技力のみが頼りだ。




 だが、素顔の自分だけは……決して、鏡の中に映してはならない。自分の顔が、一瞬にして化け物のようなものへと変わる……それは、大変なショックだ。それで精神を病み、外出できなくなる者も珍しくない。

 たとえ偶然でも、たとえ一瞬でも、それだけは避けなければならなかった。


 この鏡が壊れれば、どれだけ楽になるだろうか。そんな考えが、一瞬ではあるが脳裏をよぎる。だが、朝倉はすぐにかぶりを振った。

 鏡がなければ、仮面の自分を仕上げることもできない。

 仮面の自分がなければ、自分から全てを奪ったアイツらへの復讐は不可能だ──



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