第16話 「無限空間」の理論と実践
亜空間生成理論の確立:次元論と相対性理論の融合
宿屋の一室は、今や私の錬金術研究所と化していた。マリアの黙認を得て、部屋のテーブルは広げられ、壁には図式が書かれた羊皮紙が何枚も貼られている。床には精霊たちがそれぞれの役割を果たすための祭壇が簡易的に設けられ、中央には私が求める「何でも入る袋」の試作モデルが置かれている。
私の手元にあるのは、使い古されたノートと、前世から持ってきたペンだ。そこに、私はこの世界の錬金術と、私が培ってきた現代物理学の知識を融合させた、新たな理論を書き殴っていく。目指すは、究極の収納──亜空間生成だ。
精霊魔術と現代物理学の融合
これまでの精霊たちとの契約で、私は彼らがそれぞれ異なる特性を持つことを理解した。フウは空間を操る風、ドットは物質を生成する大地、エンはエネルギーを司る炎、そしてミズは純粋な浄化と精製を行う水。彼らの力は、現代物理学でいう「場」や「エネルギー」に置き換えられるのではないかと、私は直感していた。
特に、フウの空間操作能力は、私の亜空間生成理論の核心をなすものだ。だが、フウの能力だけでは不十分だ。彼は空間を「歪める」ことはできても、「創造する」ことはできない。そこで、私は、私が前世で学んだ次元論と相対性理論の概念を、精霊魔術に応用することを試みた。
次元論の応用:高次元ポケットの創造
現代物理学における次元論は、我々が認識できる三次元空間(と時間を含めた四次元時空)の他に、目に見えない高次元が存在するという考え方だ。例えば、ひも理論のような、余剰次元の存在を提唱する理論もある。もし、精霊魔術が、その高次元に干渉できるのだとしたら?
私のノートには、まず、この仮説から書き始められた。
ノートの記述:
【亜空間生成理論:基礎概念】
1. 精霊魔力の性質と次元干渉
• フウ(風の精霊)の能力再定義:
o 既存空間の歪曲(例: 瞬間移動、風の壁)。これは、局所的な時空の「曲率」を操作している可能性を示唆。
o しかし、新規空間の「創造」は不可能。これは、三次元空間内でのエネルギー操作に限定されているためか、あるいは高次元への干渉能力が不十分なためと推測。
• 高次元の存在仮説と精霊魔術:
o この世界に精霊が存在するという事実自体が、我々の認識する四次元時空を超えた「余剰次元」が存在する可能性を示唆。精霊(特にフウ)は、その余剰次元と物質世界との接点、あるいは媒介者なのではないか?
o 亜空間とは、我々の認識する三次元空間とは異なる、高次元空間に「折りたたまれた」空間、あるいは独立したポケット次元と定義する。
2. 亜空間生成における次元論の応用
• 次元の「折り畳み」と「展開」:
o 高次元が存在するならば、その次元において、三次元空間を「折り畳む」ことが可能である。ちょうど、一枚の紙を折り畳んで別の場所と繋げるように。
o フウの空間歪曲能力を、高次元における「空間の折り畳み」のトリガーとして利用する。
• エネルギー源としてのエン(火の精霊)と物質の定義:
o 亜空間を創造するには、莫大なエネルギーが必要となる。アインシュタインのE=mc2が示唆するように、エネルギーと質量は等価であり、空間そのものもエネルギーの一形態である。
o エンの無限の熱エネルギーは、亜空間生成に必要な初期エネルギーを供給する。
• 亜空間内の「質量」をどのように保持するか?これは、相対性理論の概念で後述。
次に、私は相対性理論の概念を亜空間生成に応用することを考えた。一般相対性理論は、質量とエネルギーが時空を歪ませることを示す。ブラックホールのように、極端な質量が時空を極限まで歪ませる現象は、まさしく空間の操作だ。
私の求める「何でも入る袋」は、ただ空間を広げるだけでなく、その中に物体を「格納」し、安全に「保持」する必要がある。つまり、亜空間内の時間や重力の安定性も考慮しなければならない。
3. 相対性理論の概念と亜空間内の安定性
• 時空の歪曲と重力:
o 一般相対性理論では、質量とエネルギーが時空を歪ませ、それが重力として観測される。
o 亜空間は、その内部に存在する質量によって、独自の時空構造を持つはず。外部の空間との重力的な干渉を最小限に抑える必要がある。
• 亜空間内の「時間」の操作:
o 理論上、時空の歪みは時間の流れにも影響を与える(重力時間の遅れ)。
o 亜空間内部の時間を、外部の時間と同期させる、あるいは任意の速度で進行させるための術式の検討。これにより、食料の鮮度保持などが可能になる。
• 質量(物質)の保持とドット(地の精霊)の役割:
o 亜空間内に物体を安定して保持するためには、亜空間そのものの「構造安定性」が不可欠。
o ドットの「地を固める」能力、すなわち物質の結合を強め、安定させる能力は、亜空間の壁面や内部構造の「剛性」を高めることに応用できる。
o エーテル繊維(空間定着鉱石との複合素材)は、亜空間の境界を物理的に「固定」するための素材として機能する。これは、高次元と三次元の接点を安定させるための「アンカー」となる。
4. 亜空間生成のための錬金術式:精霊たちの連携
• 基本原理:
o フウ: 高次元への干渉と、三次元空間の微細な「裂け目」の生成。これが亜空間への入り口となる。
o エン: 裂け目の生成と維持に必要な莫大な初期エネルギーの供給。加えて、亜空間内の時空を安定させるための「熱的平衡」の維持。
o ドット: 亜空間の「壁」となる物質の安定化と、内部に格納された質量が外部に漏れ出さないための「重力的な歪みの制御」。
o ミズ(水の精霊): 亜空間内の「純粋な空間」の維持と、不要な魔力的な残留物を浄化する役割。これにより、亜空間の長期的な安定性と、格納された物質への悪影響を防ぐ。ミズの浄化能力は、錬金術における「不純物の除去」と等価であり、空間そのものをクリーンに保つために不可欠。
• 具体的な術式案(草案):
o (1) 空間の「起点」の選定とエネルギー注入:
特定の触媒(エーテル繊維と空間定着鉱石の複合体)に、エンの魔力を高密度に注入。これは、亜空間の「核」となる。
この核を起点とし、フウの魔力を集中させ、ごく小さな「次元の裂け目」を生成する。この裂け目は、我々の三次元空間と、高次元空間との微細な接点。
o (2) 亜空間の「展開」と「構造安定化」:
裂け目を通じて、フウの空間操作能力を拡張し、高次元において三次元空間を「折り畳み」、ポケット次元を「展開」する。
展開された亜空間の境界(壁面)に対し、ドットの魔力を流し込み、エーテル繊維と空間定着鉱石を結合させ、物理的な剛性と魔力的な安定性を持たせる。これにより、亜空間が外部の時空と過度に干渉することを防ぐ。
o (3) 亜空間内の「平衡」と「浄化」:
エンの魔力で亜空間内のエネルギーを一定に保ち、時空の歪みを制御。これにより、内部の時間経過を外部と同期させる。
ミズの魔力で、亜空間内部に生成される可能性のある魔力的な不純物や残留物を常に浄化し、空間の純粋性を保つ。これにより、格納された物質が劣化したり、予期せぬ変質を起こしたりすることを防ぐ。
o (4) 接続と遮断:
三次元空間から亜空間への接続と遮断は、フウの微細な空間操作能力と、契約者の魔力によって行う。これにより、必要な時にのみ亜空間の扉を開閉できる。
5. 倫理的考察とリスク管理:
• 時空の歪みによる影響: 亜空間の生成・維持が、周囲の三次元空間に予期せぬ歪みや影響を及ぼす可能性は?(相対性理論における重力波、特異点形成の概念から示唆されるリスク)→エンとミズの魔力で空間の平衡を維持し、外部への影響を最小限に抑える術式の開発が急務。
• 精霊の魔力枯渇と暴走: 精霊たちへの過度な負担は、魔力枯渇や暴走に繋がる。各精霊の魔力消費量をリアルタイムで監視し、必要に応じて休止させるシステム(魔力チャージ機能)の構築。
• 亜空間の安定性喪失: 契約解除や術者の死亡時、亜空間がどうなるか?内部の物質は?(亜空間の崩壊、高次元への散逸、特異点化のリスク)→このリスクを考慮した「緊急時閉鎖プロトコル」が必要。自爆装置のようなもの。
私は、ノートに書き殴られた数式と錬金術式をじっと見つめた。そこには、純粋な物理学の概念と、この世界の精霊魔術が、まるで融合する液体のようにお互いを溶け合わせ、新たな理論へと昇華していく過程が記録されている。
「Rμν−21Rgμν=c48πGTμν……このアインシュタインの場の方程式は、この世界の魔力にも適用できるはず。質量エネルギーが時空を歪ませるように、精霊の魔力もまた、時空に影響を与える」
私は、頭の中で、現代物理学の知識と精霊魔術を重ね合わせる。エンの強大な魔力は、Tμν(エネルギー・運動量テンソル)に相当するのではないか?フウの空間操作は、gμν(計量テンソル)の微細な操作に他ならない。
「そして、最も重要なのは、ドットとミズの役割。ドットは、亜空間の『壁』に質量を与えることで、その時空の歪みを安定させる。ミズは、その空間内のエントロピーを低く保ち、純粋な状態を維持する。つまり、外部からの干渉や内部での劣化を防ぐ『ノイズキャンセリング』のような役割を果たす」
私の心は、純粋な知的好奇心と、創造への情熱で満たされていた。あの裏切りで枯れ果てたはずの感情は、今、この「未知」を解き明かし、「不可能」を可能にするという目標によって、再び燃え上がっている。
「誰にも理解できない?フン。理解させる必要などないわ。私が作れば、それでいい。私の価値は、私が生み出すものが決める」
ノートの余白に、私はさらに新たなアイデアを書き込んでいく。 「亜空間内部の重力環境を自在に操作する術式」「亜空間内の時間経過を外部から独立させる方法」「亜空間同士を連結させる可能性」──私の野望は、とどまるところを知らない。
あの日の屈辱と、世界への不信感は、私をより冷徹な合理主義者へと変貌させた。だが、同時に、それは私に、誰にも邪魔されない、私だけの「創造」の道を与えてくれた。
私の手元には、この世界の誰も到達できないであろう、革新的な理論が、今、まさに形になろうとしていた。 この亜空間生成理論が完成すれば、「何でも入る袋」は、単なる便利な道具にとどまらない。それは、この世界の物流、経済、そして戦争すらも変革する、絶対的な「力」となるだろう。
私は、ノートを閉じ、満足げに微笑んだ。 あとは、この理論を、現実の錬金術で証明するだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます