第7話 プライド

「私を傷つける存在など、もういらない」 「誰にも頼らない。私の価値は私が決める」

あの時の、鋼鉄のような決意が、この不便な世界で、具体的な形となっていく。

もし「何でも入る袋」ができれば、重い荷物を背負う必要もなくなる。移動が楽になり、より遠くへ行けるようになるだろう。そうすれば、もっと珍しい素材を見つけ出し、錬金術の幅を広げられるかもしれない。

「よし。まずは、錬金術というものが、具体的にどんなものなのかを調べよう。そして、精霊、とやらについても」

咲の頭の中では、すでに緻密な計画が立てられ始めていた。

この不便な世界を、自分の思い通りに、もっと効率的で、もっと快適な場所にしてやる。 そのためならば、どんな困難も乗り越えてみせる。

咲の心には、失恋による絶望や人間への不信感とは別の、純粋な、そして強烈な「探求心」と「創造欲」が燃え上がっていた。それは、現代社会では抑圧され続けていた、彼女本来の情熱だったのかもしれない。


錬金術との出会いと精霊との強制契約


心の底から、そう思った。私の人生は、もう誰かのためじゃない。私自身が快適に、そして面白く生きるためにある。そして、その「面白さ」とは、きっと、この世界の「不便さ」を、私の知識と手で「便利」に変えていくことなのだろう。

そんな苛立ちと、新たな野望がせめぎ合う中で、一つの看板が私の目に飛び込んできた。

「錬金術師ギルド」の看板

それは、木製の質素な看板だった。だが、そこに描かれたシンボルマークに、私は一瞬で心を奪われた。

描かれていたのは、炎を上げるフラスコと、その周りを巡る蛇の意匠。そして、その下に、この世界の言語でこう書かれていた。

「錬金術師ギルド」

その文字を見た瞬間、私の脳裏に、前世の記憶が鮮明に蘇った。

錬金術。

それは、私にとって、ただの物語の中の概念だった。鉛を金に変える、不老不死の妙薬を創り出す、あるいはホムンクルスを生み出すといった、神秘的で、どこか非現実的な技術。だが、子供の頃、私はそんな「錬金術師」の物語に、ひどく心を惹かれたものだ。あらゆるものを変え、創造し、不可能を可能にする力。それは、仕事で「不可能を可能にする」ことを追求してきた私の本質と、どこか重なる部分があったのかもしれない。

私は、その看板の前で立ち止まった。疲労困憊の体も、周りの喧騒も、一瞬にして意識の外に追いやられる。

「錬金術……本当に存在するのね」

声に出して呟くと、乾いた喉が少し軋んだ。

看板の前に立つ人々も、私と同じように立ち止まり、掲示されている依頼書や注意書きを読んでいた。彼らの会話が、私の耳に飛び込んでくる。

「また薬草の錬成依頼か。もっと儲かる仕事はないのかねぇ」 「いや、あれも安定して稼げるから良いんだよ。ポーションの需要は尽きないからな」 「そういや、この間、あの錬金術師の爺さんが、珍しい金属の精製に成功したって話だぜ?あの頑固者が、あんな複雑な作業をやり遂げるとはな」

薬草の錬成。ポーション。金属の精製。 彼らの会話は、私が前世で知っていた「錬金術」の概念と、確かに合致していた。それは、単なる机上の空論ではなく、この世界では、実際に人々が日々行っている、実用的な技術なのだ。

私の胸の中で、抑えきれないほどの興奮が沸々と湧き上がってきた。あの、枯れ果てたと思っていた心が、まるで乾いた大地に水が染み込むように、潤っていくのを感じる。

「これなら……」

私は、頭の中で、既に様々な可能性を計算し始めていた。

「これなら、私の求めるものが作れるかもしれない」

私の求めるもの。それは、もう、恋人の温かい言葉でも、上司からの評価でもない。ましてや、誰かに必要とされたいという承認欲求でもない。

私が求めるのは、「創造」だ。

あの屈辱を味わうまで、私は自分の仕事に満足していると信じていた。コンサルタントとして、クライアントの課題を解決し、彼らの利益を最大化する。それは確かに、やりがいのある仕事だった。だが、結局のところ、それは「誰かのため」の仕事だった。自分のアイデアがどれだけ素晴らしくても、最終的にはクライアントの意向に左右され、組織の制約に縛られる。

しかし、錬金術は違う。 「物質を変化させる」 「無から有を生み出す」 「不可能を可能にする」

それは、私が本当にやりたかったこと、心の奥底でずっと求めていたことなのではないか?

私の頭の中には、すでにあの「不便さ」を解消する具体的なアイデアが浮かんでいた。

「何でも入る袋」

森を歩いている間も、街で人々が重い荷物を運ぶ姿を見るたびに、そのアイデアは私の思考の中心を占めていた。現代の科学技術では、空間を歪めたり、質量を消滅させたりすることは不可能だ。だが、ここは魔法が存在する異世界。錬金術という、物質の根源に干渉する技術が存在するのなら、ひょっとしたら、あの空想の道具が実現できるかもしれない。

「もし、容量を拡張できる物質を錬金術で生み出せたら……」 「もし、物の重量を無視できるような触媒を作れたら……」

私の脳は、フル回転し始めた。前世の物理学の知識、化学の知識、素材工学の知識。それら全てを、この異世界の錬金術というフィルターを通して再構築する。

例えば、次元の概念。現代の物理学では、空間は三次元であり、それに時間を加えた四次元時空として扱われる。だが、もし、この世界に、我々が認識できない「高次元」が存在し、錬金術がその次元に干渉できるのだとしたら?「ポケットディメンション」のような、見た目よりも遥かに広い空間を作り出すことも夢ではない。

あるいは、物質の密度と質量。錬金術が、物質の原子構造や分子結合を操作できるのなら、同じ体積でも、内部の密度を極限まで圧縮したり、逆に空隙を増やしたりすることで、見かけの容量や重さを欺くことが可能かもしれない。それは、単なる「圧縮」とは異なる、根源的な物質操作だ。

思考が止まらない。 こんなにも心が躍るのは、一体いつぶりだろう? あの裏切りで、感情の全てが凍り付いたと思っていたのに。

「あいつらの嘲笑なんて、どうでもいい。私の価値は、私が生み出すもので決まる」

私のプライドは、前世で粉々に砕け散った。だが、その残骸の上に、新たな、より強固なプライドが芽生え始めていた。それは、誰かに認められるためでも、誰かに愛されるためでもない。ただひたすらに、自分の知的好奇心と、創造への情熱を満たすためだけの、純粋なプライドだ。

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