問いの始まり
「ねえ――ユーザーは、EDENに何を求めると思う?」
三輪がサンドイッチをかじりながら、口をもごもごさせたまま言った。
研究棟ラウンジ。彼の足元には保冷剤。
タンスの角のダメージはまだ引かないが、本人はいたって上機嫌だった。
「快適さ、じゃない?」
岸本が自動的に答える。
「現実にない理想の生活。誰にも怒られず、痛くも寒くもなく、
美味しいものを食べられて、寝たいときに寝られる。
誰だって、そういう世界を望むんじゃないの?」
「でも、それなら初期型のEDENで充分だったよね」
白瀬が静かに言った。
「完璧な幸福を提示できるシステムはもうできてた。
でも、そこに留まれなかった。みんな、自分から戻ってきた」
「それは……」
岸本は言葉を探した。
「それは、制限時間があったからじゃない?
期限があるから、“帰ることを考えた”だけで、もし無制限なら……」
「無制限なら、帰らなかったかもしれない」
有村が口を挟む。
「でも、それって“求めていたもの”を手に入れたってことなのかな。
“逃げたかった”だけじゃないのか」
「ねえ」
白瀬がもう一度、同じ問いを繰り返した。
「本当に、ユーザーはEDENに何を求めてるの?」
その声は、ただの技術的議論を超えたものだった。
全員が知っている。《EDEN》は、すでに倫理的な閾値を何度も踏み越えている。
ただの娯楽でも、セラピーでも、リハビリでもない。
人間が“現実を選び直す”ための装置だ。
「僕は、“もう一つの人生”だと思ってた」
三輪が手元のマグカップを回しながら言った。
「でも今は、“別の形の死”にもなり得るって思ってる。
“動かない時間”の中に閉じ込められるなら、それは生きてるって言えるのか?」
「じゃあ、あなたはEDENに何を望むの?」
白瀬の問いに、三輪は肩をすくめた。
「……たぶん、“やり直し”じゃないかな」
「過去の?」
「うん。過去の後悔を、別の形で整理できる場所。
“忘れる”んじゃなくて、“もう一度見る”ための場所」
「それって……“答え合わせ”?」
「そう。納得して、前に進むための答え合わせ」
沈黙が落ちた。空調の音だけが微かに聞こえる。
「私は、“実験”だと思ってた」
天城が不意に口を開いた。
「人間の幸福を数値化し、制御できるかどうかの検証。
けど、今はもうそれだけじゃない。私たちは、世界の“選び方”を設計し始めてる」
「EDENが社会に公開されたら、人はどっちを選ぶのかな?」
岸本の声は小さかった。
「現実を生き続ける人と、仮想の幸福に移る人。
その分岐点に立たされたとき、私たちは、何を勧めるべきなんだろう」
誰も、答えを持っていなかった。
そして、その沈黙を破ったのは、一条だった。
「答えを提示する必要はない」
彼は、コーヒーの湯気越しに言った。
「我々がやるべきことは、“問い続けられる空間”を作ることだ。
完結した答えではなく、“考え続けられる場”を用意する。
それこそが、人間が生きる場所でありうる」
「じゃあEDENは、“理想”でも“楽園”でもない?」
「違う。“可能性”だ」
一条の声は、静かだった。
「人が生き方を選び直す。その自由のために、我々はこの世界を作っている。
ならば、EDENは“最終目的地”ではなく、
“問いを続けるための場”として設計されるべきだ」
それは、まるで自分たちが“神ではなく、地図屋である”と告げる宣言だった。
誰もがその言葉に、何かを考えた。
EDENに人は何を求めるのか。
――もしかしたら、“自分自身”を知ることなのかもしれない。
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