戦場

学生だから授業もあるし、場所も遠かったので、


週一月曜10時頃から午後5時までボランティアをすることに。


午後6時過ぎまでいたこともあります。


ボランティアなので無償です。一円も貰えません。


内容は、買い物、料理、掃除、布団カバーかけ、シェルターにいる子供の世話、洗濯物の取り込み、その他諸々。本当に雑用です。でも肉体労働でした。


最初に案内されたところは、でかい調理場。


そこには寮母さんがいました。


月曜から水曜が佐藤さん(仮)。木曜から日曜が佐々木さん(仮)の交代制です。


DVシェルターはDV及びそれに準ずることをされた女性の避難所です。


つまり10人から20人くらいはいます。


シェルターは原則2週間滞在が基本ですが、行き場がなく3か月から2年いる人もいました。


日本人の数は少なく、フィリピン、タイ、中国出身のかたが多かったです。他の国の人もいました。身寄りのない、高齢の日本人女性も保護されていました。


学生である私は当時、なにもできませんでした。料理も作れない人間でした。


とりあえず調理場へ入っていくと。


「ああ、今から戦場だから」と言われ、まずは9合の米研ぎをすることに。流石にお米は研げますが、9合って初めてで大変です。


研いでも研いでも水が綺麗になりません。あと冬場はあかぎれできます、ほんとに。


佐藤さんと私で、10人から20人分の昼食作りです。2時間はかかります。


人数は週一ボランティアでしたので、行くたびに微妙に変わっています。シェルターから出た方々の幸せを祈るばかりです。


研いだあとは、料理開始なんですが……じゃがいもの皮むき、玉ねぎの皮むきごぼうの皮むき諸々。


ごぼう、ピーラー使わず包丁の裏で剥きます。量が本当に半端ない。


料理を作れない、というかなにもできなかったので、魚の焼き方からなにから教わりながらやりました。


母は料理を教えてくれたことがなく、私の今の料理はこの時の寮母さんが土台になっています。本格的にいろいろ作れるようになったのは二十代前半からです。


鬱で家にいたので、両親が働いている代わりに家事手伝いとして作ってました。でも家ではやりたくてやっていわけではないので本当にしんどかった。


そして、その前の学生の段階ではなにもできないので、怒られはしなかったけど呆れられてました。


段ボールをまとめて結ぶことさえろくにできず「あらあ、あらあ」と連発されてました(汗)。


佐々木さん担当の日は、ボランティアは食材を渡され「これで何か作って」と何品か作らされたそうです。


よかった、佐々木さんじゃなくて。当時作れたものといえば永谷園のチャーハンと、切った野菜にエバラ黄金のたれをぶっかけるくらいだったので。


後者は施設でも作ったことがあります。好評でした。


そして何品も作るので……本当に戦場でした。


たまにタイ人のかたも作ってくれました。タイカレー。本場のかたが作るタイカレーは美味しいけど辛い。ココナッツミルク使うんですよね。


辛すぎて涙出ました。でも癖になる。家で作ってみたけど不評でした。


中国のかたも、四川料理を作ってくれました。


昼食は、みんなで一斉に、一緒に食堂でとります。


みんな日本語堪能で、国際色豊かでした。


終始和やかなんですが、傷ついているかたがたですので、どこかピりついた空気もありました。


スタッフにタイ語が話せる日本人が何人かいました。当時は本当にタイ、フィリピン出身のかたが多く……。タイ語、私も家で学んだのですが結局難しくて挫折。挨拶くらいしか言えません。


今はどうなっているのでしょうか。


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