第二章 9 リズカード・オーウェン
そうしてリズカードがやってきたのは、トロポス区オーエン──配車サービス業者の車庫があり、かつノイスが自動運転車に乗り込んだ街区だった。彼はストラトを経由して、ぐるっと一周してきただけだったのだ。
リズカードがトロポスに踏み込むのは初となる。フルシークレットの立場を利用してゲートを徒歩で堂々と歩き超し、中でボット・タクシーを拾ってここ、オーエンまでやってきた。
七十階越えの超高層ビルが建ち並ぶこの地域は、トロポス区で最も地価が高い土地とされ、一番高額な場所になると一メートル四方で数億ネスタになるとかいう。そんなオフィス街に集結するのはほぼライゴーグループの中心企業で、道行く人々もローズレックやヘレナと似たようなスーツ姿で早足で歩き回っていた。耳を澄ますと、皆、早口で長々と喋っているのが聞こえる。ストラトとはまた違う落ち着きの無さがあった。
エンケットのふたりが言うには、配車サービス業者への調査は徹底的に行われたということで、当然、ノイスを乗せた車も調べたはずだった。そこで尻尾を掴めなかったということは、システム侵犯されたと被害者面する配車業者も協力者だったに違いない。オーエンという高級地に本拠を構えるライゴー御用達の業者を抱き込めるのは、また別のライゴー関係者しかいない。この件の実態は、オルガン対ミクシアンの構図ではなく、ライゴー対ライゴーの構図をしているのだと見当がつく。
ライゴー内の政争においてノイスの身柄を活用したいなら、ライゴーの膝元であるオーエンに留めている可能性は高いのではないか。それがオーエンを最初の探知地域に選んだ理由だった。
リズカードはなるべく見通しの良い大きな交差点まで行くと、麻袋からヴィス・スティックを取り出して、一息にフタを外した。それがスイッチとなり、内部で凍結状態にあったヴィス結晶が活性化、その放射作用で筒の素材である真鍮の腐食が一気に進み、ほろほろと崩れ落ちていく。掌に残ったは淡い光を放つ、小さなころころとしたヴィス結晶が数個。駄菓子のように小さな欠片だが、エレカから受け取るヴィス粒子とは比べものにならない魔力を秘めている。
リズカードは息を大きく吸うと、精神を集中させて、ぐっと結晶を握りしめた。
そして、今日のために開発した魔法を発動する。
「
次の瞬間、意識が吹っ飛びそうになった。急いで神経の束をたぐり寄せるように踏みとどまる。全方位へと感覚が放たれて、中心である自分が分散しそうになったのだ。
魔法波の速度はせいぜい大気中の音速を超える程度だが、電波は光速である。合わさって亜光速程度になった感覚の先端が、アスファルトや強化コンクリートに反射したり通過したり立ち消えたりして、その刺激がいっせいにリズカードの脳に殺到する。その感触は、十二歳の時、初めて出た戦争で吹き飛ばされた時のものを想記させた。
脳細胞が酷使され、猛烈な頭痛がする。以前のリズカードなら、倒れていたかも知れない。だが、未来にやってきてからは、この程度の痛みには毎日見舞われている。無限の情報、複雑な情勢、意味不明が止むことは決してない。それに比べれば、全然大丈夫だ。
──ノイス・ダルタイン=ライゴーを探せ。
リズカードは粉々に砕けた鏡のような世界で、リズカードは何百回とプロファイルをめくって確認したノイスらしき人物を探す。一六六センチ、七一キロ、中肉中背、鋭い目つきに高い鼻、薄い唇、髪は茶色──。
しかし、見つけられないうちに早くも魔力の衰えを感じ始めた。もう時間切れなのか。既に想定範囲の探知自体はできているものの、情報、いや、人間が多すぎだった。どれだけいるんだ。ひとつのビルだけで、かつてのクインティト全体くらいの人口はいるのではないか。
焦るリズカードだったが、ふと、極端に電波の感触が弱くなる場所があることに気がついた。粘度の高い液体に手を突っ込んだような、うまく入り込めないような感覚がある。
──電波暗室か。
知識として、電波を通さないような部屋の存在は知っていた。主な用途は実験や研究開発なのだが、盗聴などの情報の漏出を避ける目的でトップシークレットな会合の場として用いられたりする。秘密を隠すにはうってつけの場所なのだ。
そして、今のリズカードにとって、隠していることはそれ自体が情報になりえる。
──ここだ。
リズカードは決め打ちした。電波を遮断する素材でも魔法波なら素通りできる。精神を集中すると魔法の波動は壁を抜け、覆われた部屋の中をリズカードに伝えた。
広い部屋だった。高級な調度品で彩られたシックな空間で、キッチン、トイレ、シャワー室が完備されている。まるで高級ホテルのスイートのよう。そして、リズカードの知覚は、大きなベッドの隅に腰掛けるひとりの男にいきあたる。
ノイス・ダルタイン=ライゴーだった。
──良い部屋をあてがわれてるな。
場所は……ここからおよそ四キロほど離れたビルの地下階と特定する。
リズカードはひとまず安堵したが、これで終わりではないと気を締めた。ローズレックとの契約では、報酬の受け取りはノイスの身柄と交換と約束していた。ここからはノイスを助ける段取りを考えねばならない。
リズカードは残った魔力で軟禁場所へのルートを模索する。地上部分はオフィスビルになっており、正面の入り口から入ると目的地までエレベーターを三台も経由しなければならない。透明化して忍び込んでもその待ち時間でヴィス粒子が往復分、持つかどうか怪しい。
そこで、リズカードは地下のインフラ設備である「クインティトの大動脈」に目をつけた。ここなら点検口から地下階へダイレクトに入れそうだ──そう直感して脳裏に道筋を描いた瞬間、景色がヒュッと音を立てて収斂した。鏡のように煌めく知覚は消え去り、大きな交差点、自動運転車が舞踊のように行き交う光景だけが目の前に残る。
「……時間切れか」
ギリギリだった。相手がわざわざ電波暗室を用意してくれていなければ、危うく見逃していたかも知れない。ノイスが外部と連絡を取らないようにする策だとは思うが、逆手に取れたのは幸運だった。
ここまで来れば、エレカのくれたヴィス粒子でなんとでもなる。
リズカードは先の一瞬で構築したルートを辿って、ノイスのもとへと向かおうとして──ふと、足を止めた。
「……ん?」
何かが脳裏にこだましたような気がした。魔法波の残滓が、リズカードの記憶をくすぐるものに触れたのだ。
「これは……海、か」
オーエンを北西に抜ければ、トロポスの港トルーナがあり、その目と鼻の先にはルイモンド島がある。リズカードは既に物理的に辿り着けるほど、約束の場所へと近づいていたのだ。
「ネナ──だが、今はまだだ」
ルイモンド島はライゴーの手中にあり、今のリズカードには上陸するための手立てがない。
リズカードは海の方に背中を向けて、その場を去った。
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