第2話 婿探しの少女
チリン チリン チリン
鐘の音が三回。確かに三回あった。一回ならば食事。二回ならば飲み物。三回ならば……
「菓子をお持ちしました」
奉公人の女がそそくさと襖を開け、奥の間へ入ってきた。御簾の前に恐る恐る手にしていた菓子桶を供えると、顔も上げずに襖の向こうへと急いだ。
「おい」
少女の声を聞き、奉公人は思わずひぃっと声を上げる。
「外の様子はどうだ?」
御簾の向こうからの問いかけに奉公人は、
「はい! 外は、曇っております」
そう答えるなり、急いで部屋から出るとぴしゃんと襖を閉めた。
「……ちっとも参考にならない。役立たず」
御簾がゆっくりと揺れると、細い白い手が菓子桶を御簾の内へ引き寄せた。ぱりっとせんべいをかじる音が広い部屋に響く。
(何を食べてもおいしくない。何をしてもつまらない)
はあっと深いため息が一つ。その時、
ばささっ
部屋の小窓から一羽の烏が舞い降りた。
「君かぁ。どう? 婿候補は集まりそう?」
烏は首を横に少し傾けた。それを見て、
「だめか。……小物妖怪しか現れない。大物妖怪達は見向きもしないし……」
そう言うと食べかけのせんべいを砕いて烏に差し出した。烏は手からその欠片をつついて食べた。
「唯一の話相手が君だけとはね……」
少女はふっと笑ったかと思うと、急に険しい顔をして言った。
「婿集めの告知もかねて、一暴れしようか。私の力がどれほどのものかを知れば大妖怪達も動くはず……。まずはこの村を……」
その時、
「困ります! おやめ下さい! 勝手な行動はお嬢様を刺激なさいます! お引取りを! あなた! ちょっと……ちょっとぉ! だれかこの人を止めて!」
外から先ほどの奉公人が騒ぐ声が聞こえてきた。
「あぁ! その先はいけませんってば! 私が叱られるのですよ! おやめください! だれかぁっ! だれ――」
急に静かになった。少女は御簾を抜けて、そっと戸を開こうと襖に手をかけた、その瞬間、
がらっ
勢い良く襖が開いた。そこには見知らぬ男が立っていた。癖っ毛の跳ね上がった髪に、全身を覆うように布をまとった異様な姿の何者かが急に目前に現れたので、少女はきゃあ! と高い声を上げてしまった。近くで対面したせいか、えらく大男に感じられた。
「おっと! 申し訳ない。脅かすつもりではなかったのです。私は常葉。あなたが
常葉は顔を覆っていた布をするりと外すとニコリと少女に笑いかけた。
「なんだ……お前……」
「ですから、私は常葉と申すものです。保見さん」
「気安く呼ぶな。馴れ馴れしい」
そう言って保見は常葉から離れ、部屋の奥へ引き返した。
「やはり保見さんでしたか。お会いしとうございました」
常葉はかしこまって、床に正座し両手をそろえ行儀よく深々と礼をした。常葉が顔を上げると、保見は御簾の向こうに引きさがってしまっていた。
「せっかくお目にかかれたのに、御簾にお隠れになってしまうのですね」
先ほどから常葉は平然を装っていたが、身体中をつたう冷や汗を止めることができないでいた。まず、この少女と襖を開けて対面したとき、驚いた彼女は無意識のうちに常葉に霊圧を飛ばしてきた。その強さが並ではなかった。封じ師として十分に修行してきた常葉が一瞬自由を失った程である。そして、若い。思っていたよりもはるかに幼かった。見たところ五、六歳である。それなのにこの霊圧である。そして、異様に長く伸びた髪。御簾の向こうへ歩いていくときにずるずると引きずっていたが、常葉の背丈よりも長い。
「ふん。お前、何しにここへ来た?」
嘲け笑うかのように御簾の向こうから保見は言った。その態度は驚くほどに落ち着いている。余裕に満ちているのだ。常葉は底知れぬ恐怖に似た緊張で張り詰めていた。
「は! 私は、保見さんの婿に立候補しに参りました」
常葉は頭を深く下げたまま、保見からの返答を待った。すると、くすくすっという笑い声が最初は小さくかすかに、そしてだんだん大きくなっていき、ついに保見は大笑いしだした。
常葉は畳に頭を擦り付けたまま、保見がどう出るか息を呑んで待った。保見は笑いを飲み込むと、ばっと御簾を開いて頭を下げたままの常葉の脇にしゃがみ込みながら言った。
「お前、私がばら撒いた文を読んだな。でも可笑しいなぁ。文にはちゃんと、妖怪の婿、と書いたはずなのに……お前、妖怪か?」
「……人間です」
「でしょ? 私、人間って大嫌い」
「……そのようですね」
常葉のその言葉に保見は顔を曇らせた。
「お前、私を馬鹿にしに来たのか? 気に入らない!」
次の瞬間、常葉の体は上からの圧力によって、畳に吸いつけられるかのように崩れ落ちた。巨人に踏み潰されでもしているかのように両手、両足、顔という全身がみしっと畳に押し付けられる。圧迫されて声も出せない。
(しまった! まずい!)
常葉の全身を大量の汗が流れ落ちていく。どうしようもなく苦しい。
「どう? 苦しい? お前、ちょっと霊力があるみたいだけど、それだけじゃ、私に勝てないんだから」
意地悪く笑いながら、保見は這い蹲る常葉の顔を覗き込んだ。常葉の体は全て上からの圧力に服従していたが、保見を視界にとらえると、瞳だけは必死に逆らって保見を見つめようとした。それでも負けそうになる視界をがくがくと揺らしながら、何かを訴えるかのように保見を見つめようとした。その様子を見て保見はどきっとした。
(なんだ……? こいつ……)
ぱっと圧力が解かれ、常葉は全身の感覚を取り戻した。今まで息が詰まったように呼吸ができなかった為、息切れを起こし、全身の筋肉は強張って痙攣した。
「もう帰ったら? 死にそうだもの」
保見は足元でぴくぴくしている常葉を見下しながら、面白がるようにそう言った。
「な……なぜっ!」
まだ息も整わないのに、常葉は尋ねずにはいられなかった。
「なぜっ……妖怪をっ……婿にっ! ……なぜっ!……人をっ……憎むっ」
常葉は震える両腕で必死に上体を起こそうともがきながら訴えた。
「いったいっ……何を考えている……!」
保見はしゃがみこんで、常葉と目線を合わせながら言った。
「皆が言ったの。私は人間じゃないって。私のこの力を、皆怖がって、ここに閉じ込めたの。親ですら、私を愛してくれないの。私は普通じゃないから、変な目で見られるの。皆が、私を惨めにした。私は悪くない……この世界が、この人間界が悪いのよ……だから、私、思いついちゃったの。ぜーんぶ壊してやるのよ。妖怪さんと力を合わせて」
「そんなことしちゃいけない!」
「お前に何ができる? 弱いくせに――」
ガシッ
常葉は勢いよく身を起こすと、保見の両肩を両手でしっかりとつかんだ。保見は突然の行為に目を丸くした。
「一緒に来い。保見。お前は人間だ。お前の力はきっと役に立つ。お前を必要とする者が必ずいる。お前を受け入れてくれる者が、絶対いる。……来い!」
しばらく、息が止まったかのように固まっていた保見の口が一瞬わずかに動いた。しかし、言おうとした言葉を保見はぐっと飲み込んでしまった。代わりに吐き捨てた。
「……馬鹿……ほんっとうに馬鹿!」
肩にかけられた常葉の手を払いのけると、保見の異様に長い髪がさわさわと蠢き始めた。常葉はばっと身構える。
「私は本気。人間を殺し、妖怪と生きる世界をつくり、私はそこで幸せに暮らすの! 誰にも馬鹿にされず、遠ざけられず、私は、私は……」
保見の瞳から雫がきらりと弾け飛んだ。
「私は……笑うんだ!」
部屋中に大風が起こる。大蛇が暴れまわるかのように激しい風圧が家具や戸を容赦なくかき回した。壁にあった掛け軸はちぎれ舞い、花瓶や壷は一瞬で粉々に散った。常葉は錫杖を畳に深く刺し、そこにしがみついて何とか耐えた。ぶわっと屋根が吹き飛び、不気味に淀んだ空が覆いかぶさる。
「婿探しの文だけでは大妖怪達は動いてくれない……。私の力がどれだけすごいか……実際に見せてあげなきゃいけないの!」
保見の髪が一気に天へ垂直に逆立った。
「まずはお前から……殺すっ!」
次の瞬間、屋敷全体が軋みをあげると、柱が粉々に砕け、とがった木片が常葉目がけて勢いよく飛びかかってきた。常葉は畳に刺さった錫杖を梃子のようにして畳を跳ね上げ、背をその畳に張り付けて身構えた。この状態でいれば、背中は畳で守られる。しかし木片は四方から迫っていた。左右と前方、そして上方からの木片をどうにかしなければならなかった。常葉は素早く懐から札を取り出し、手にした錫杖に貼り付け、まっすぐ構えた。たちまち常葉の前方へ風が起こり、前方の木片を蹴散らした。続いて左右、そして上へと錫杖の角度を変えて木片を散り散りにすると、ズドズドズドっと常葉の背中で畳に大量の木片が突き刺さる音がした。柱がなくなった屋敷はがらがらと崩れ始め、埃が舞う中、保見と常葉はにらみ合った。
「風の術を使ったのか……おもしろい……」
保見が右手を振りかぶる。
「待て! もう少し話を聞いてくれ!」
「必要ない!」
「ほみっ!」
そう叫ぶが早いか、常葉は気が付くと、はるか上空に吹き飛ばされていた。どうしたことだろうか。全ての動きがゆっくり感じる。自らの意志にかまうことなく四肢は跳ねだされ、やがて重さを取り戻し真っ逆さまに地上へ落ちていく。目には曇り空がはっきりと映る。空が遠くなっていく。あぁ、落ちているのか。常葉はそう気付いたが、どういう訳か落ち着いていた。
(こんなところで霊力を消耗しなければならないとは……。迂闊すぎた)
常葉は墜落しながら両手を広げ、何か唱え終えるとふうっと息を吐いた。そして、
どごっ……
常葉の体は激しく地面に叩きつけられ、二、三回跳ね返るとうつ伏せに転がった。辺りは恐ろしいほどに静まり返っている。常葉は全く動かない。保見は常葉の方へゆっくりと近づいていった。
(あっけない。死んだか?)
あの高さから落ちたのだ。生きているはずがない。私が殺したのだ、保見はそう思った。
「―― 一緒に来い――」
常葉の言葉がふぅっと蘇ってきた。風が常葉の髪をさわさわと揺らしている。
「お前がいけないんだ、お前が……。私はやっぱり……」
常葉の脇で保見は立ちつくす。倒れた常葉にそっと目をやると、奇妙なことに気づいた。常葉は地面に強く体を打ち付けたはずなのに、その体は血を流すどころか傷一つ付いていない。保見はまさかと思い、うつ伏せの常葉を仰向けに転がし、胸に手を当ててみた。とくとくと心臓の鼓動を感じる。常葉はまだ生きていた。
(何か術をかけたな……)
保見は右手を高く上げた。これでとどめだ、そう思った。
「―― 一緒に来い――」
再びあの言葉が頭を過ぎる。私に行き場所なんてない。私は妖怪と共に生きようと決めたではないか。今更何を迷っているのだ。私の邪魔をする者は悪。悪は全て……
「殺す!」
保見は掲げた右手を一気に振り下ろした。
バチン!
保見の右手は、常葉の体に届く前に、巨大な力によって弾き返された。
「何? なぜとどめを刺せない!?」
保見はそれならばと右手を高く天にかざした。曇り空がさらに暗く黒に淀み、ごろごろと低い音が大気を振動させる。保見が再び右手を振りおろすのと同時に、ぴしゃんっと一筋の雷が黒雲から常葉目掛けてのびた。しかし次の瞬間、常葉に直撃する寸前でバチバチと放散してしまった。
「またかっ!?」
常葉は自らに対する攻撃を無効にする特殊な術をかけたていたのだった。意識は失っても術は継続して常葉を守っていた。ちっと舌打ちをすると、保見はカッとなった。
「それなら跡形も残らないように、村ごと吹き飛ばしてやる!」
ものすごい地鳴りと共に、建物も人も、一瞬浮き上ると蒸発するかのごとく霧のように溶けてしまった。そのすさまじさは、近隣の町村はもちろん、はるか遠くに住む人々にまで巨大地震となって伝播した。そしてこのことは人間だけでなく、妖怪達にとってもただ事ではなかった。
妖怪たちは少女を目指し始める。親も知り合いも、住処も、全て自ら滅ぼした、強大な霊力をもつ少女を求め、我先にと争いながら。
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