最後の封じ師と人間嫌いの少女

鈴竹飛鳥

第1話 封じ師の男

 使い古しの錆びれた錫杖を担ぎ、土手道をゆったりと行く男が一人。笠で顔を隠し、重厚な木箱を背負って、褪せた着物に、裾をすぼめた袴。袖口からのぞく手には皮の手袋をはめ、わずかに覗く目元以外は布に覆われ、風変わりな出立ちである。


 男は町に入ると道の隅をするりと抜け、人気のない通りに出た。さっと周囲を確かめると、朱色がはげかかった鳥居をくぐり、狛犬の間をすり抜け、その先にある小さなお堂へと滑り込んだ。途中、烏がカァカァと鳴く声がした。男はお堂の戸を閉めるとすぐに、

「ごめんよ。今日は烏がよく鳴くもんだねぇ」

 そう言った。

「烏は何羽いたかい?」

 お堂の奥から低い声がそう返してきた。男は動じることなく、

「鳥居の上に三羽。狛犬の隣に二羽。お堂の上には白いのが一羽」

 そう言った。するとすぐに奥から石像のような何かが転がってきて、男の前でぴたりと止まった。それはまるで倒れた地蔵のようだった。横たわったまま、達磨の様な無愛想な顔を男に向けると言った。

「いらっしゃい、お客さん。奥にはいんなせい」

 そうして地蔵は奥へごろごろと転がって行った。先ほどの一連のかけあいは、中に入るための合言葉であった。地蔵は床の間の掛け軸の前まで転がるとぴたりと止まり、顎で合図をする。掛け軸の向こうへ行けということらしい。男が掛け軸をめくると、そこには四角い入り口があり、奥には部屋があるようだった。人一人がやっと潜れるくらいの横幅だが、これを潜ってしまうとお堂の外観からは信じられない程の広さの部屋に出た。


ごすんっ


 後から地蔵が入室した音である。地蔵はごろごろと男の前まで来るとやはり顔をしっかり上に向けて止まり、

「お客さん、済まないが、あっしを起こしちゃくれないかぃ?」

 そう言うので、男は地蔵を起こしてやった。地蔵は両手をニョッキと伸ばして背伸びをした。

「ふぅ! どうも。あっしの場合、歩くのより転がったほうが早いんですがねぇ、自力で起きられないってぇとこが不便なもんでして……。さて、お待たせしましたねぇ。お客さん、ご用はなんでしょ?」

 男は地蔵の前にあぐらをかいて座った。

「うん。文を届けて欲しいんだ。これを、黒葺山の白狐嬢へ、頼む。御代はこの玉でどうだ?」

 そう言うと、手紙と、燃えるような紅色の玉を差し出した。

「白狐嬢に! ほっほ! これはまた上玉を……。返事が来るかどうか、保証はありませんよ。相手にされないかもしれませんねぇ」

「承知の上さ」

 男は悪戯っぽく笑いながらそう言った。

「へいへい。では、この玉で承ります。おーい!」

 地蔵はパンパンと手を鳴らした。高い天井のどこからともなく烏が舞い降りてきた。

「こいつを、白狐嬢へ。頼む」

 文をくわえるとばさっと烏は羽ばたいて天井へと消えていった。羽ばたき様に漆黒の羽を一つ落としていった。地蔵はそれを拾い上げて男に手渡した。

「これをお持ち下せい。返事が来れば、あの烏がお届けに参りやしょう」

「あぁ。有難う。邪魔したな」

 男は羽を懐にしまうと、そう言って立ち去った。


 男はまたゆったりと道を行く。すこし右手で笠をずらしながら、渡り鳥達が上空を旋回するのを愉快に眺めつつ、賑わう市場へ差し掛かった。

「この辺に、妙な妖怪が出るっていう噂はないかい?」

 市場の売り子に男が尋ねた。

「妖怪? 聞かないねぇ」

 そうかい、と応えて男は柿を4つ買った。

(この辺には妖怪は出ないのか……)

 柿を一口ほお張り、道の脇に座り込んだ。街ゆく人々を観察しながら、男はもう一口ほおばる。若干渋みの残る硬い柿をゆっくりと味わう。

「おじちゃん、変な格好してるね。何してるの?」

 男が顔を上げると、少年がひょっこりとこちらを覗き込んでいた。少年は貧しいらしく、着物も古びており、履物も無く裸足だった。

「おぅ、ぼうず。柿、食べるか? 半分食べてしまったんだが」

 少年は喜んで柿を受け取り、皮ごとがつがつと食べ始めた。

「ぼうず。最近妖怪の噂、聞かないか?」

「ん? 妖怪? 会ったことないけど……」

「……そうか。(やっぱりこの辺には妖怪は出ないんだな)」

 男は立ち上がって歩き出した。

「おじさん、妖怪退治屋なの? ねぇ!」

 少年は男の後について、袖を引きながら言った。

「うん……まぁ、そんなもんだよ。ほら」

 男はさっき買った柿を3つ少年に渡してやった。

「これやるから、もうついてきちゃだめだぞ」

 少年は言うとおりについて来なくなった。男は村を出ると背中の木箱から巻物を一つ取り出して広げた。墨で描かれた地図のあちこちに人型の紙切れが糊づけしたように貼り付いている。人型の紙切れはフワフワと少しずつ移動していた。それらを指でなぞりながら、ある位置で手を止める。池の脇に貼り付いているそれを確かめると、

(緑淵の河童が近いな。よし)

 男は巻物をぱっと巻き戻して淡々と歩き出した。


 丸一日かけて歩き、男は緑淵という池にたどり着いた。名前の通り、この池の水は澄んだ緑色をしている。途中で仕入れたきゅうりを一本、池に放り投げる。


ざばっ


 深緑色の、すべすべした腕がニョッキと水面に現れ、先ほどのきゅうりをしっかりと掴んだ。雫が飛び散り、光を反射してキラキラ輝いた。きゅうりを掴んだその手には水かきが付いており、頭に皿、背には甲羅がある、蛙のような亀のような生物が水面に上半身を現した。

「よう、河童さん。久しぶりだね」

 男は笠を取り、陽気に話しかけた。八方に短い髪が跳ね上がった、くせっ毛の頭である。少年のようにキラキラした二重の瞳で河童に笑いかけた。

「あぁ、封じ師の……確か、常葉ときわ

「光栄だね。名前まで覚えていてくれるなんて」

 男はにっこりと応えた。

「おれぁ、物覚えがいいからな。で、例の情報かぃ?」

 きゅうりをサクサクとほおばりながら、河童は仰向けのまま常葉の近くまですいーっと泳いできた。

「うん。何かあるかい?」

 常葉はもう一本きゅうりを差し出しながら言った。

「うん。役に立つかどうかは分からないけど。近頃、西の都で人間を殺しまくってる坊さんがいるそうだよ。噂によると、妖刀に憑かれたんじゃないかって。どうだい?」

「うーん。そいつは物騒だね。だけどオレの欲しい情報じゃあないなぁ」

 河童はもらったきゅうりをシャリシャリと食べながら続けた。

「ある家の当主が、鬼に体を乗っ取られて、人の姿のまま女の血を飲み漁ってるって話は?」

「よくある話だね」

「それが、ちょっと違うんだ。鬼なら、人の血を吸い尽くして殺しちまうだろ? そいつは少しずつしか飲まないらしくてね。少しずつ色んな女の血を飲むんだってよ」

「へぇ。鬼にもいろいろあるんだねぇ」

 常葉が一向に興味を示さないので、河童は申しわけなさそうに陸に上がってきた。濡れた体から地面に雫を滴らせて、常葉の脇へしゃがみ込んで言った。

「あとは……変わった人間の話だよ」

「変わった人間?」

「うん。何でも、妖怪と婚約しようと、婿探ししてるらしい……。人間なのに、相手は妖怪限定だって言うから変わってるだろ? まぁ、人間と妖怪が一緒になるって話は昔から無い訳じゃないが……。お前さんには関係ないわなぁ……」

「いや……。面白い。詳しく聞かせてくれ」

 常葉は目を輝かせて河童に詰め寄った。予想外の反応に少し戸惑いながら河童は続けた。

「なんでも、その婿探ししてるっていう女は、まだ幼い子供らしいんだが……。妖怪たちに婿探しの話を触れ回ってるらしい。ほら、烏とか、鳩とか、文届けを使ってさ。おれも文面を見せてもらったんだが、婿には強大な力を授けるとか、多くの人間を喰わせてやるだとか、そんなこと書いてたな。より強くて恐ろしい妖怪を希望してるとか、そんなこともあったかな」

「その手紙、もらえないか?」

 常葉は身を乗り出して河童に言った。頼む、と両手を合わせて頭を下げた。

「えっと……。たぶん仲間が持ってる。待ってな」

 河童は沼底へジャブンと飛び込んだ。


 常葉は河童が持ってきたずぶ濡れの手紙を広げて読むと、

「ここへ行きたい。沼底から、ここへ最短の水場まで連れてってくれないか? 急ぎたいんだ。この娘が婿を決めてしまう前に……頼む!」

 常葉は河童に土下座して頼み込んだ。

「まぁ、いいよ。お前さんには色々と良くしてもらってるし。またきゅうりが食べたいな」

 常葉は、今度来るときは大量のきゅうりを持ってくると約束し、河童に礼を言った。

「しかしお前さん、水中は平気なのかい?」

「うん。水中でも息ができる術があるんだ。平気さ」

 常葉は河童の背にしがみついて沼へ入った。

「甲羅に乗るといい。昔、よく人間の子供を乗せて遊んだもんだよ。いくよ」


ちゃぷん


 二人は水中に沈んでいった。河童の甲羅にまたがり、常葉は両手を重ね合わせ念じると、その両手の内側から何かを吸い込むような動作をした。河童が常葉を振り返ると、常葉は笑顔で大丈夫だ、ということを伝えた。河童はにこっとすると、右手で進行方向をちょいちょいっと指した。常葉がうなずくと、河童は速度をぐんとあげて泳ぎだした。深く深く潜り、どんどん周りは暗くなっていく。


 河童達の得意な術の一つに、水場から水場へと瞬時に移動できるという便利なものがある。水場の最下部まで潜り、再び浮上すると別の水場に出るというものだ。水場同士が離れていたとしても、一瞬で移動ができてしまう不思議なこの術は、河童にしかできない。


 しばらくすると、河童は上へ上へと泳ぎ始めた。水中へ注ぎ込む光がゆらゆらと二人をくすぐる。虹色のあぶくが光に導かれるかのようにぽこぽこと上昇していった。とても美しい光景だった。光がだんだん強く感じられるようになり、常葉は眩しさに目を細める。


ざばんっ!


 二人は水面へ出た。

「さあ、常葉さん、着いたよ」

 常葉は水中へもぐったときの動作と同じように両手を重ね合わせてからぱんぱんっと手を叩いた。それから4、5回むせたように咳をすると深呼吸して呼吸を整えた。

「有難う。とても助かったよ」

 そう言って陸に上がった。さすがのくせっ毛も、水に濡れてぺちゃんこになっている。

「ずぶ濡れだけど、平気か?」

 河童は水中から顔だけ出して言った。

「うん、大丈夫だ。有難う。じゃあ、また」

 常葉が右手を挙げて挨拶すると、河童は、

「あのよぅ……。あんたはいつも妖怪とか妖怪退治屋の噂があったら教えてくれって言うけど、一体何をしようとしてるんだ? 封じ師だって言うけど、何やってるのか詳しく聞こうとするといつも話題をそらすだろ? 目的が分からないとなると、集められる情報も的外れになっちまうし。聞いときたいんだ。そしたらオレ、もっと役に立てると思う」

 そう言った。

 常葉は濡れた着物を脱ぎ終わると、にっこりと河童に向き合った。

「有難うな。でも、詳しくは教えられないんだ。ごめんよ。噂話ってのは、本当についでみたいなものでいいのさ。わざわざオレの為に情報を集めてくれって言ってる訳じゃなくて、たまにオレが来た時、その時の噂を少し教えてくれさえすれば満足なんだ。河童さんの気持ち、すごく嬉しいんだけどよ」

「そうか……。お前さん、訳ありってことだな。分かった。深くは聞かない。気をつけて」

「あぁ、有難う」

 河童はちゃぷっと水中にゆっくり消えていった。波紋が小さな池にしんしんと広がり、水面に吸い込まれていった。

「さて……」

 常葉は脱いだ着物を絞りながら、婿探しの手紙を読み返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る