第26話 二人の影

 辺り一面が闇に飲み込まれていく。

 空も、周囲の建物も、自分達の立つ道路も、全てが侵食されて無に帰す。


「きゃああ!?」


 マーガレットは自分も闇に取り込まれると思って咄嗟に身体を丸めたが、頭の上から押し潰される感覚も足元が崩れ去って落ちる感覚も襲ってこない。

 恐る恐る顔を上げると、自分とアルテナは黒一色となった世界に変わらず立っていた。


「こ、これは……!?」


 マーガレットは急いで辺りを見回す。アルテナの姿は見える。自分の身体も、問題なく視認することが出来る。

 上を見上げると、空には唯一あの紅い月だけが残っていて自分達を照らしていることが分かった。闇に支配された世界の中で、自分とアルテナとあの紅い月だけが取り残されたかのように存在し続けている。


「アルテナ、大丈夫!?」


 異常に異常を重ねた状況に恐慌を来しそうになるも、マーガレットはすんでのところで自分を保ち得た。それはひとえに、アルテナが一緒に居てくれるからだ。彼女の存在こそが、今のマーガレットに勇気を与えてくれる。

 だが一方で、そのアルテナはどうなのか?


「…………」


 彼女は青ざめた顔で立ち尽くし、呆然とただ紅い月を見上げている。

 先程の【堕天使】の言葉に呑まれてしまったのか。このままではいけない、そうマーガレットは直感した。


「アルテナ!」


 パァン、と乾いた音が闇の中に響き渡る。アルテナの碧色の瞳が、パチクリと瞬きを繰り返しながらマーガレットを見ていた。


「しっかりしてよ! このままじゃあいつの思う壺じゃない!」


 両手でアルテナの顔を挟み込み、無理やり自分の方へ向けさせながらマーガレットは強く叱咤する。その言葉に動かされたか、あるいは押し潰す勢いで挟まれた両頬の痛みが気付けになったかは定かではないが、アルテナの意識は確実に引き戻されてきたようだ。


「……そうね、マーガレット。ごめん、もう平気よ」


 不器用ながらも気丈な微笑みを浮かべるアルテナを見て、マーガレットもようやく胸をなでおろした。


「それで、あいつは何処へ消えたのかしら?」


「分からない……」


 黒い竜へと姿を変えた【堕天使】の姿は、忽然と消えてしまっていた。何処から襲ってくるのか分からず、マーガレットは恐々としながら辺りを見回す。

 自分達を闇の中に捕らえて終わり、というわけにはいかないだろう。


『ふふふ、心配せずとも俺はお前達のすぐ傍に居る。これから始まる余興を、特等席で見物させてもらおうではないか』


 内心の疑問に答えるかのように、闇の中から声が響き渡った。それはあらゆるところから聴こえてくるようであり、自分達があの竜の胃に収まってしまったのではと錯覚すらさせた。


「こんな暗がりに閉じ込める余興なんて、随分と良い趣味をしてるのね」


 自分を取り戻したアルテナが、さっきまでと変わらず皮肉を言い放つ。八方からコールするせせら笑いがそれに応えた。


『これを目の当たりにしても、そのふてぶてしい態度が続けられるかな?』


 【堕天使】の言葉が終わると同時に、闇の中が変化を始めた。

 ぐにゃり、と空間が歪み黒一色の世界が渦を巻く。それは次第に凝縮していき、二つの塊を形作ってゆく。闇の剥がれた後からは、灰色の世界が顔を覗かせて周囲に僅かながら色彩が戻って来た。

 やがて灰色の大地に、二つの長く伸びる闇の塊が出来上がる。それは紅い月を背にしたマーガレット達の足元から長く伸びており、その有り様はさながら――


「か、影? あれは私達の、影なの!?」


 驚くマーガレットの動きに合わせて、闇が固まって生じた影がおぼろに蠢く。反対に、アルテナは静かにその様を凝視していた。


「……なるほど、そういうことね。〝影の街〟で起きたことを、この場で再現しようってことかしら?」


『さすがに察しが良いな、小娘。だがあれとは少し趣を異にするぞ。影とはその者が持つ写し鏡、いわばその者の昏い側面よ。お前達には、それと直に向き合ってもらおう』


 【堕天使】の言葉が終わると共に、二つの影が俄に膨れ上がった。

 平面の人形が、たちまち立体化して精巧な像を造り出してゆく。二人の足からも離れ、完全に独立した形となって。


「わ、私達の影が……!?」


 マーガレットは己が目にしているものが信じられなかった。いや、現実離れした光景というなら、このリヴァーデンに来てからさんざん目にしてきた。

 だが今、自分達が直面しているそれは……これまでのどんな出来事よりたちが悪く、信じがたいものであったのだ。


『どうかな? 自分自身を目撃する気分というのは?』


 煽り立てるような【堕天使】の問い掛けが耳元を素通りしていく。

 本当に、悪い夢なら醒めてほしい。


 目の前に立っているのは、いつも鏡で見る馴染み深い姿。

 二つの影は、もうひとりのマーガレット、もうひとりのアルテナとなってその場に完成していた。何処からどう見ても、その造形は自分達とそっくり同じだ。体色が黒なのを除けば。


「父さんから過去の話を聴いた時も思ったけど、つくづく悪趣味ね。自分達の心の闇に、こんな形で無理やり向き合わせるなんて」


「心の、闇……?」


 マーガレットは付いていくだけで精一杯だ。そんな自分を叱咤するように、アルテナは強い口調で言った。


「マーガレット、目の前のあいつらは文字通り自分の影よ! あいつらが見せる昏い側面に呑まれないで! 自分を見失わず、勇気を振り絞って向き合うのよ!」


 さっきまでとは逆の役回りである。だがアルテナの言葉が、圧倒されかけたマーガレットの心に火を付ける。


「……うん! アルテナも気を付けて!」


 二人の奮起を嘲笑うかのように、竜の鼻息のような排気音が灰色の世界を震わせる。黒竜と化した【堕天使】が、何処かで本当に鼻を鳴らしたのかも知れない。


『さあ、見せてもらおうではないか。お前達が、自分の影に喰われることなく切り抜けられるかどうかを』


 【堕天使】の言葉を皮切りに、二つの影が動きを見せる。


 最初に飛び出したのは、やはりアルテナの影だった。目にも止まらぬ速さで大鎌を抜き、地面を蹴ってこちらに肉薄する。

 だがアルテナも、それを予期していたかのように大きく足を踏み出していた。

 紅い月を背に、二人のアルテナが正面から激突する。大鎌の刃同士がこすれ合い、鎬を削って荒々しい音を奏でた。


「アルテナ……っ!」


「こっちは任せて!」


 短い返答と、それを斬り裂くように続く剣戟音。灰色の世界で、二人のアルテナが何度も何度も立ち位置を入れ替えそれぞれの得物が交差する。アルテナと影の技量は完全に拮抗しており、容易に決着は付きそうにない。

 かといってマーガレットに助勢できるものでもなかった。アルテナから手出し無用を言い渡されたこともあるが、それよりも切実な問題は――


「あなた……本当に、私自身だというの……?」


 眼前に立つ、黒い自分にそう問いかけるマーガレット。答えはない。言葉の代わりに、影の手がすっと持ち上がる。マーガレット自身のものと寸分違わない形をした指が、誘うようにその関節を伸ばす。


「――っ!?」


 次の瞬間、マーガレットの頭に様々な想念が渦巻いた。

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