第24話 特攻
マーガレットは走り回っている。
とにかく的を絞らせないように、この屋上の四方が広い石畳の床であることを最大限に利用して【堕天使】の放つ攻撃を躱していった。
「どうした!? 逃げ回っているだけか!?」
嘲笑を交えながら、【堕天使】が翳した手の平から黒い炎を放ってくる。それはマーガレットが駆け抜けた直後の石畳に当たり、勢いよく弾けて八方に黒い火花を飛ばした。
「熱っ! こ、このぉ……!」
咄嗟にロザリオを突き出し青いオーラで防御するが、それでも遮断できない熱波が肌を灼く。マーガレットは忌々しげに【堕天使】を睨みながらも、それ以上は何も出来ずにそのまま駆け続ける。
反撃しても無駄だと分かっているからだ。
悪魔の王としての実態を明かした【堕天使】は、文字通り自分なんか話にならない程に強い。今もこうやって、一息にマーガレットを仕留めようとはせずに遊んでいる。こんなドレスを着た女がいくら頑張って走ろうと、運良く二、三発の攻撃を躱すのが精一杯だ。まだ黒焦げになっていないのは、ひとえにあいつに当てる気が無いからに他ならない。少なくとも、今のところは。
もはや神の力を有するロザリオがあっても問題じゃない。その現実を、あいつはマーガレットに突きつけているのだ。
「そんなに余裕を見せていて良いの!? さっきそれで痛い目に遭ったくせに!」
「だからこそなんだよ、お嬢ちゃん。おイタが過ぎた子には、じわじわとゆっくり立場ってもんを教え込んで調子に乗ったことを反省させなきゃ気が収まらないんでな!」
マーガレットの挑発もまるで意に介さない。完全にペースを向こうに握られていた。
だが、これは逆にこっちが漬け込むチャンスだ。
【堕天使】がこっちを玩具だと見くびれば見くびるほど、マーガレットが生き延びていられる時間は増える。その間に、どうにかアルテナが来てくれれば……!
「アルテナ……!」
マーガレットは祈りを込めてロザリオを握りしめる。そんな自分の内心を見透かしたかのように、【堕天使】の耳障りな笑い声が響く。
「おお、祈れ祈れ。人間風情が最後に出来ることは、神への祈りだけだ。どれだけ縋ったところで助けちゃくれない、無慈悲な神だけどな!」
【堕天使】は、まるでピアノの鍵盤に指を這わせるように両手を持ち上げた。その動きに呼応して屋上の両端から一直線に引かれた黒い炎の壁が立ち上り、じわじわとマーガレット目掛けて輪を狭めていく。
「ほれほれ、早くどうにかしないと黒焦げだぞ!」
「くっ……! えいっ!」
相手の煽りに乗せられて、マーガレットが迫りくる黒い炎に向かってロザリオを翳す。
だがあの青いオーラが出ても、黒い炎が衰える様子はない。まったく速度を落とさず、火力も変わらないまま今も向かってきている。
「う、嘘……!?」
「はっはっは! どうやら借り物の神の力もそこまでのようだな?」
勝ち誇ったように、【堕天使】が目を据えて舌なめずりしている。
万事休す。やっぱり自分では、この恐ろしい悪魔の手から逃れることは出来ないのか……。
「……え?」
絶望に心を塗りつぶされながら呆然と【堕天使】を見つめるマーガレットの視界に、妙なものが映り込んだ。
紅い月を背にして立っている【堕天使】、その後ろに、一本の黒い線が見える。
それは空中でのたうつように曲がりながら軌道を変え、先端をこちらへと向けた。そして見る見る大きくなって、マーガレットと【堕天使】を結ぶ延長線上にその姿を現した。
「なっ……!? き、汽車……!?」
正体が分かってマーガレットは仰天した。間違いなくあれは、天空を駆ける蒸気機関車そのものだ。
「あん?」
マーガレットの様子に不審を覚えたか、それとも近づいてくる気配に気付いたのかは定かではないが、【堕天使】が訝しげな表情をして背後を振り返る。
その時には既に、天翔ける陸蒸気は【堕天使】の目と鼻の先にまで迫ってきていた。
「ばっ!? なんでこいつが――!?」
その台詞を、【堕天使】が最後まで言い切ることは出来なかった。
瞬間、凄まじい汽笛と衝撃音が爆ぜる。
陸蒸気はまったく速度を落とさないまま、驚愕に立ち竦む【堕天使】を轢き潰した。
「きゃあっ!?」
姫墻を砕き、石畳を抉り、嵐のような勢いのまま、陸蒸気はマーガレットの方にまで向かってくる。あまりの迫力に逃げることすら頭から飛び、ただ立ち尽くすしかないマーガレット。
だが死を覚悟した瞬間、陸蒸気の中からひとつの影が飛び出してくるのが見えた。
「マーガレット!」
「え――!?」
そのまま、影が覆いかぶさってくる。強い力で押し倒されたマーガレットは、その直後に自分の足の裏を何かが物凄い勢いで通過していくのを感じた。
もくもくと瓦礫と土煙が立ち上り、辺りの視界が曖昧になる。マーガレットは影に覆いかぶさられたまま、ただ呆然とその場に倒れ伏していた。
やがてそれらも収まり、次第に静寂が返ってくる。
「う……! げほっ、げほっ……! な、何なのよ一体……!」
まだ生きていることが分かり、マーガレットは込み上げてくる感情をそのまま言葉に出す。
するとそれに応えるように、上に被さっていた影がむくりと身を起こした。
「マーガレット! 良かった、間に合った!」
「え!? ア、アルテナ!?」
自分を押し倒したものの正体に気付いて、それまでの苛立ちが全て吹き飛んだ。
安堵の表情で自分を見下ろしているのは、間違いなく待ち望んでいた相手そのものだった。
「さあ立って、早く此処から降りましょう」
「う、うん。でもアルテナ、どうやって此処に……?」
差し伸べられた手を掴んで立ち上がると、アルテナは後ろを指さした。
そこにあるのは、屋上から天空に突き出すような形で停止した蒸気機関車と、その後ろに連なるいくつもの車輌、そしてそれらが作った歪な石畳の掘削道だけだ。
「まさか……!?」
「そのまさかよ、あれに乗って飛んできたの」
あまりにも無茶苦茶な返答に、マーガレットは軽くめまいを覚える。アルテナ……。大胆だということは分かっていたけど、まさかここまでのものだとは……。
「詳しい話は後にしましょう。早くこの時計塔から降りないと」
「え? 此処って時計塔だったの?」
「そうよ、その屋上。【堕天使】はあなたを随分と気に入っていたようね。ともあれ、間に合って良かったわ。奴が復活する前に、行きましょう」
マーガレットは、先程まで【堕天使】が居た場所に恐る恐る目を向けた。
……誰も居ない。蒸気機関車で轢き潰された場所には、砕けて抉れた石畳の道が続いているだけだ。
「【堕天使】は何処に……?」
「おおかた、陸蒸気の前面にくっついてるんじゃないの? あの程度でやられるなんてことはない筈だけど、しばらく沈黙していてくれることを願うばかりね」
アルテナは四方に目を凝らして屋上から出る道を探している。さっきマーガレットが見た限りではそのようなものは見当たらなかったが、果たしてあるのだろうか。
……いや、あるに決まっている。そう信じて、マーガレットも探すことにした。
すると、抉れた石畳の一部に穴が空いている箇所があるのが分かった。【堕天使】が立っていた辺りから少し手前に進んだところだ。
「アルテナ、見て!」
マーガレットの指差す先をアルテナが追い、彼女も目を見開いた。
「調べてみましょう!」
マーガレットとアルテナは急いで穴の付近に移動し、慎重に中を覗いてみる。
すると、薄暗い闇の中に下へと続く階段がぼうっと浮かび上がってくるのが見えた。
手を伸ばそうとしたマーガレットを制し、アルテナが穴の一部に手をかける。
何度か触る位置を変えながら彼女が力を込めた時、石畳がボロボロと崩れて穴が広がった。
「これで階段に足が届くわね」
「やった! アルテナさすが!」
「これくらい当然よ。それよりもマーガレット、あなたから先に――」
言いかけて、アルテナの表情が変わった。彼女の険しい眼差しを追って、マーガレットも反射的に振り返る。
「よくも……貴様ら……!」
屋上から突き出したオブジェと化していた蒸気機関車に次々とヒビが入り、周辺の空気が歪む。マーガレットですら肌で感じる、圧倒的な超常の力と威圧感がそこから漂っていた。
「マーガレット、急いで!」
アルテナの声にはっと我に返り、マーガレットは慌てて穴へと身を投じる。
「俺を……舐めるなァァァ!!」
【堕天使】の怒りに満ちた叫びが、鼓膜と背中を震わせた。
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