第16話 汚濁の河
アルテナの言う“先輩”と合流するべく、リヴァーデンの中央区を目指す。
新たに打ち立てた目標を胸中で反芻して、マーガレットはメインストリートの様子を伺った。
「やっぱり、大勢のサーヴス達が居るね……」
「なに? ひょっとしてどっかに消えてくれてたりしないかな~、とか甘い希望を抱いてた?」
「ち、違うわよ!」
悪い笑みを浮かべてからかってくるアルテナに、マーガレットは慌てて首を振った。
「大声を出さないで。ロザリオがあっても気付かれるわよ」
貴女が茶化すからじゃないか、とマーガレットは言いたかったが、本当にサーヴスを呼び寄せても困るので慌てて口を結んだ。
「こっちよ。なるだけ端に沿って進みましょう」
無事に中央区に向かうにはアルテナの先導に任せるしかないが、それでも疑問に思うことはある。
「さっきみたいに、裏路地を通って行かないの?」
「出来ればそうしてるわ。けど、裏は入り組んでる上に中央区へは繋がっていないのよ。だから、どうしてもこのメインストリートを進まないといけないの」
「……気付かれずに行けそう?」
「サーヴスの数は多いけど、道を埋め尽くすほどじゃないわ。奴らの居ない箇所を縫うように進めば、抜けられるはず」
アルテナの言葉には自信が込められていた。彼女がそう言うなら、マーガレットとしては信じるしかない。
サーヴス達が我が物顔で闊歩しているメインストリートを、ロザリオの力で姿を消したアルテナとマーガレットが静々と進む。
何度か危うく近くの個体と接触しそうになったものの、幸運なことに二人はまったく感づかれることなく敵の密集地帯を抜け出せた。
「……良い調子ね。サーヴス共の数も、段々と少なくなってきたわ」
「あとどれくらいで着くの?」
「もうすぐよ。以前の調査でこの先に大橋が架かってることを確かめたの。そこを越えたら、先輩の指定した中央区に入るわ」
アルテナが言った通り、程なくして道を隔てる大きな川と、向こう側とこちらを繋ぐ大きな橋が見えてきた。
「あれね。サーヴスの姿は……よし、見えないわ」
「こんな街にも、川って流れてるんだ……」
ふと興味をそそられて、マーガレットは岸辺に近付き川面を覗き込んでみた。
しかし、すぐに後悔する。
「うっ……! な、なにこれ!?」
その川は、いうなれば汚濁そのものだった。
川面は真っ黒に染められ、一目で濁りきっていると分かる。その上まるで煮えたぎるスープのように、半円の気泡があちこちから浮かんでボコッ、ボコッ、という重くくぐもった音がしている。しかも川面は動いておらず、水流は止まってしまっているようだった。
一体何をどうすれば、こんなに水を汚せるというのか。救いがあるとすれば、見た目がおぞましいだけで臭いがしないことくらいだろうか。
「これ、本当に川なの?」
「これじゃ、ただの汚物溜まりね」
アルテナも顔をしかめて言った。
「まあ、リヴァーデンは現実から切り離された街だから、川が川として機能していないのも驚くことじゃないわ。むしろ、淀みきったこの空間ならこれが当然かも知れないわね」
「どういうこと?」
マーガレットには今ひとつ理解が出来なかったが、幸いにもアルテナは皮肉を言うことなく噛み砕いて説明してくれた。
「川がこんなにも黒く濁って流れも止まっているのは、このリヴァーデンという街そのものが時間の停まった“終わりの街”であることを分かりやすく示唆している、と考えても良いってことよ。人々を誘い込み、欲望に応えられるだけの幻想だけ用意して、でも決してそこに“実”は存在しない。【堕天使】もつくづく趣味が悪いわね」
「終わりの街……」
アルテナの言う通りだ、とマーガレットは思った。こんな場所で、何を願おうと叶うわけがない。マーガレットがこれまで見てきたサーヴス達は、全員何かしらの望みを得ているように見えたが、それらは一切合切が【堕天使】とやらの用意した偽の希望なのだろう。
でなければ、あんな姿になっているものか。
「さあ、呑気に川なんて眺めている場合じゃないわ。とっとと橋を渡ってしまいましょう」
「そうだね、いつまでもこの近くには居たくないし」
黒い川に架かっている橋は、石造りの巨大で頑丈そうな建築物だ。もしこれが木の吊橋とかだったらマーガレットも尻込みするだろうが、この橋ならば下がおぞましい水たまりでも恐れることはない。
とにかく一刻も早くこの場を通り過ぎてしまいたくて、マーガレットは勇み足で橋へ進もうとする。
「待って」
突然、後ろから襟を引っ張られて大きく体勢を崩す。抗議したくても、同時に首元が締まり「きゅぇっ!?」などという変な音しか出ない。
犯人であるアルテナはそんなことにはお構いなく、そのまま力任せにマーガレットを引っ張って橋の傍にある監視所のような小さい四角形の建物の陰に押し込んだ。
「うっ、げほっ、げほっ! ……い、いきなり何するのアルテナ!?」
「しっ! 静かに!」
危うく窒息しかけた怒りをぶつけるも、アルテナは取り合わずに険しい表情でマーガレットを制した。
一体何だと訝しみながらその視線を追って、ようやく理解する。
通りの彼方から、たくさんのサーヴス達が橋へと向かって来ていた。
「あれ、メインストリートに居た連中だよね? 私達を追って来たのかな?」
「ロザリオの加護は切れていないわ。それはない筈よ」
銀のロザリオとサファイアのピースをなぞりながら、アルテナはなおも表情を緩めない。
「それじゃあ、慌てて隠れなくても良かったんじゃない? むしろあいつらが来る前に私達が渡ってた方が」
「少し確かめておきたいことがあってね。あのサーヴス達が橋に向かっているなら丁度良いと思ったのよ」
「どういうこと?」
「まあ、しばらく見ていなさい」
アルテナは多くを告げず、そのまま真剣な目でサーヴス達の行進を見守っている。マーガレットも仕方なくそれに倣うしかなかった。
相変わらず虚ろな目をしたサーヴス達は、ふらふらと幽鬼のように橋へ差し掛かろうとしている。欲望を刺激されていない時の彼らは、本当に生気がない抜け殻のようだ。
その哀れな亡者達は、一体何を目的にこんな大移動をしているのだろう?
それとも、何かに呼び寄せられているのだろうか? ああして中央区に行くように……。
あれこれと想念を巡らすマーガレットであったが、直後に彼女の理解を越えた現実を目の当たりにする。
「えっ!?」
先頭のサーヴスが橋の半ばまで至った時だった。
それまで変化の無かった黒い水面が突如して膨張し、中から巨大な何かが飛び出してくる。
それは、黒くぬめぬめした一本の太い触手だった。
「な、何あれ!?」
「やっぱり、あの川には
アルテナのセリフが終わるまでもなく、その答えが目の前に用意される。
黒い触手の先端が真っ二つに割れる。両開きになったそこに生えているのは、無数の牙だ。
「っ――!?」
マーガレットが驚きの声を発する間もなく、黒い触手は踊るように身をくねらせて橋の上を渡っている最中のサーヴス達にその牙を叩きつけた。
まるで風に吹かれる落ち葉のように、サーヴス達が蹴散らされる。そして再び鎌首をもたげた黒い触手の牙の間には、無数のサーヴス達がぎゅうぎゅうに押し込められてもがいていた。
黒い触手に捕らわれたサーヴス達は、牙の隙間からはみ出した四肢を懸命に動かして逃れようとする。
だがそんな彼らの抵抗をものともせずに、黒い触手は割れた先端をピタリと閉じて全てのサーヴスを飲み込んでしまった。
「へ、蛇……!? あれは、蛇なの……!?」
「そう形容するのが一番近いでしょうね。死の川に潜む、巨大な蛇の化け物よ」
慄きながら黒い触手を蛇と定義するマーガレットと、冷静にそれを肯定するアルテナの前で、黒い大蛇がまたもや橋の上のサーヴス達に襲いかかっている。喰らっても喰らっても飢えが満たされないのか、動きが収まるどころか荒ぶる様が激しくなるばかりだ。
「どうするのアルテナ!? あんな怪物が居たんじゃ、とても橋は渡れないわよ!? いくらロザリオがあるっていっても、蛇って確か視力以外の方法で獲物を見つけるって聴いた覚えがあるし……!」
「けど、先輩のメモはあの先を示している。少なくとも、先輩は無事にここを何度か往復した筈よ」
「別の場所から中央区に行ったんじゃない? あんな怪物が居るなら、メモにそう残すでしょ?」
「その可能性もあるんだけどね……」
と、アルテナは少し考えるように言い淀む。しばらく言葉を探しあぐねていたようだが、やがてひとつ頷いて言った。
「多分だけど、あの怪物はサーヴスにしか反応しないんだと思う。先輩がここを渡っても、あいつは知らんぷりしてたのよ」
「な、なんでそう言い切れるの?」
「別の道を使ったなら、それこそ先輩はメモに残すからよ。わたし達が知っている中央区に繋がる道は、あの橋一本だわ。やっぱり、ここを通ったというのが一番可能性が高い」
「で、でもなんで、アイツはサーヴスだけを?」
「分からない。けど、【堕天使】の意図が絡んでいるのは間違いないわ。この世界を創ったのはそいつだもの。あの怪物も、眷属の一体なのよ」
眷属と聴くと、あの教会で出くわした牧師を思い出す。サーヴスとは違う、人としての思考を保ったまま異形の怪物と化した彼だが、やはり【堕天使】の下僕としてその意志に従っていたのだろうか。
アルテナは鋭い眼差しを橋の上に向けた。橋を渡ろうとしていたサーヴス達の姿は、既にどこにもない。
全てのサーヴスを喰らい尽くしてようやく満足したのか、黒い大蛇は空気を震わせるような重い息を吐くと、再び黒い川の中へ潜っていった。
「マーガレットはここで待ってて。わたしがまずあの橋を渡って確かめてくる」
「で、でも……!」
やめて、とは言えなかった。他の道を探そうにも、サーヴス達がひしめくこの異界を当てもなく彷徨うことは、マーガレットだって気力が保たない。あの橋を渡れるならそれに越したことはない。
しかし本当に、あの黒い大蛇はサーヴスにしか反応しないのか? それが気がかりだった。川中から奇襲されれば、いくらアルテナでも危ないのではないだろうか?
「心配しないで。相手が川に潜んでいると分かっていれば、奇襲を受けても対処できるから」
マーガレットを安心させるように口元に僅かな笑みを浮かべ、アルテナは気負う様子もなく橋へと足を進めた。
こうなればもう見守るしかない。あの黒い大蛇が反応しないよう祈りつつ、マーガレットはアルテナの動きを見守った。
左右どちらから現れても良いように、アルテナは橋の真ん中を真っ直ぐ進む。先ほどとは違い、黒い川面は静まったままだ。このまま無事に行けるか、とマーガレットの胸に微かな希望が灯った。
が、やはりそう簡単にはいかなかったようだ。
「――!? アルテナ!」
橋の三分の一まで渡り終えた頃、再び水面が盛り上がった。
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