第13話 堕天使

「お、おのれ……っ!」


 顔を歪めた悪魔が、上体をぐらりと傾かせる。耐えきれずに膝をつき、手をついてギリギリのところで体重を支えてどうにか倒れるのを防いだ。


「や、やった……! アルテナが勝った……!」


 勝負ありと見てマーガレットの緊張の糸もようやく緩み、改めて今しがたの攻防を思い返す。

 アルテナの操る大鎌が目の前に突き出された時、悪魔はギリギリのところで半歩身を引いて回避を試みた。結果として全身が両断されることは避けられたものの、斜め袈裟に入った大鎌の刃は彼の肉体を深く抉っており、一直線に走った傷口からは黒い血の川が氾濫していた。


「あの強姦魔みたく真っ二つにしてやったと思ったのに、意外としぶといわね」


 大鎌を手元に引き戻して残心を示すアルテナは、すぐさまとどめの一撃を放とうと深く息を吸った。


「ま、待って!」


 マーガレットは反射的に叫んでいた。アルテナの目が一瞬だけこちらを向く。


「大人しくしてなさい、マーガレット。最後まで油断は禁物よ」


「そ、そうじゃないって! 話! そいつから黒幕の話を訊き出すんじゃなかったの!?」


「あ」


 すっかり戦闘モードになっていたアルテナの顔付きが、ふと鋭さを失った。眉を上げ、毒気の抜けた表情で彼女は呆然と目の前で膝をつく悪魔を見下ろしている。


「……すっかり意識から飛んでたわ」


 マーガレットはずっこけそうになった。目の前のことに集中し過ぎて本来の目的を見失っては本末転倒だ。


「ちゃんと訊き出さないと。私も気になるし」


「そうね」


 柄を背中に回して構えを解いたアルテナが、大量の黒血を流しながらうずくまる悪魔に慎重に近付く。マーガレットも恐る恐る、その後ろに続いた。


「……もう、長くは保たないわね」


 アルテナは冷たい声で、虫の息となった悪魔を見下ろす。為すすべなく流れ落ちる自分の血を眺めていた悪魔が、震える頭をどうにか持ち上げた。


「満足、ですか……? 他者の事情に首を突っ込み、彼らから救いを取り上げる貴方は……!」


「被害者ヅラしないで。そんな醜い姿になって襲いかかってきておきながら」


 どこまでも同情の一片も見せない。そんなアルテナの姿勢を頼もしく思う反面、少し怖くも感じるマーガレットだった。


「さあ、そんなことよりも答えてもらうわよ。この街、リヴァーデンを形作っている首魁は誰? 何処に居るの?」


「はは……。まさか、この期に及んで私が答えるとお思いで……? もう、私は助からないというのに……。ゲフッ、ゴホッ!」


 自嘲をありありと滲ませながら、悪魔は力無く笑った。笑い声の隙間に、咳と混じった血の塊が口から吐き出される。マーガレットから見ても、彼の生命が尽きるのは時間の問題だというのは明らかだった。


「あなた、牧師だったんでしょう? 最後の最後くらい、神の意志に殉じる気概を見せなさいよ」


「誰が、そんなこと……! 我らを顧みない、神に……!」


「あなたがどういう人生を生きてきて、どうして神を見限る羽目になったのかは知らない。それでも、あなたは牧師という肩書を棄てていないし、教会にも強い拘りを持っているわ」


「……!」


 悪魔の濁った目が、僅かに見開かれる。


「神を棄てたというのなら、シンボルとなるものすべてを破棄するのが当然なのにそうはしなかった。どうして?」


「その、方が……! 人々が、受け入れやすいからです……! 神は嘘でも、その象徴を……そのまま主に移し替えれば……!」


「悪魔の首魁が神に成り代わるって? そんなの無理に決まってるじゃない。神と悪魔は相容れない。悪魔を信仰しながら牧師を名乗るのは、あなたの主に対する冒涜で不敬以外の何物でもないわね」


「ちが、う……! あの御方なら、神の代行者たりうる……! 我々を救う為に、天国を棄て地上に降りた天使の名を冠する、あの御方なら……っ!」


 そこで何かに気付いたように、悪魔が口を噤む。だがもう遅い。

 アルテナの顔には、会心の笑みが浮かんでいた。


「【堕天使】、それがリヴァーデンの黒幕なのね。ありがとう、よく分かったわ」


「おのれ……! 謀ったな……!」


 憤怒の形相で悪魔が睨む。


「謀ったなんて大袈裟ね。これまでの調査で、大体の目星くらいついてるわよ。今のはそう、最後の裏付けに過ぎないわ」


「キサマァァァ!」


 がば、とそれまで膝をついていた悪魔が驚異的な速さでアルテナに飛び掛かる。もう力は残っていないと思われていたが、最期の最期に一矢報いようと僅かな余力を隠していたのだ。

 油断を衝いた完璧な一撃。怒りに燃える悪魔の爪が、アルテナの喉に届きそうに見えた。


「見苦しいわ」


 マーガレットの目に映るアルテナの像が一瞬ブレた。次の瞬間には、悪魔がアルテナを通り過ぎて彼女の背後に現れる。

 そして、悪魔の頭は縦真っ二つに割れて、飛び掛かった勢いのまま床にどうと倒れ込み動かなくなった。


 今度こそ、間違いなく彼の生命は尽きた。


「具体的な居場所までは訊き出せなかったけど、まあ良しとしましょう」


 優雅に血振りを済ませ、アルテナは大鎌の刃をしまった。


「アルテナ……。敵の正体が分かっていたの?」


 マーガレットは驚愕の眼差しでアルテナを見つめた。


「まあね。確証がなかったからどこかでそれを得たいと思っていたけど、此処に来たことでそれも果たされたわ。後は本体が隠れている場所を突き止め、討ち取るだけよ」


 マーガレットは今一度、自分をこの街に導いた列車とそこで出くわしたあの青年を思い浮かべた。やはり彼こそが黒幕で、この老牧師を悪魔に変えた張本人なんだろうか?


「【堕天使】、ってさっき言ってたよね?」


「そうよ。神話では神に反逆し、天国から追放されて悪魔の王にその身をやつしたと言われているあの【堕天使】よ。サーヴスといった化け物たちや、このリヴァーデンを生み出す力を持った存在としては説得力があるでしょ?」


「そうかも知れないけど……。まさか、神話が現実になるなんて……」


「まあ、実感が湧かないのも無理はないわね。昨日まで、世の闇とは無縁の善良な小市民として生きてきたんですもの」


 アルテナは自分が斃した化け物たちの亡骸で溢れる礼拝堂をぐるりと見渡すと、右側の翼廊トランセプトに続く扉へ向かった。そこでマーガレットもようやく気付いたのだが、この教会は身廊ネイブと左右の翼廊が直接繋がっておらず、それぞれ壁で隔てられた構造になっているようだ。


「ど、どこ行くの?」


「この老牧師がこの教会で起居していたなら、何処かに生活する為の部屋がある筈よ。そこを探してみるわ。【堕天使】の所在地に関する手がかりがあるかも知れない」


「待って、私も一緒に探す!」


 マーガレットはさっさと進んでいくアルテナの背中を慌てて追った。現実に心が追いつけないからといって、ここで置き去りにされては困る。

 一直線に伸びる翼廊の通路は、思っていたよりも細長かった。窓も宗教画も無い無情緒な壁がずっと奥まで伸びている。その代わり、左側の壁には簡素な扉が数枚見える。


「外から見た翼廊の太さからして、やっぱり此処は生活空間に割り当てていたようね。神を棄てた人間が管理する教会だから、従来の構造と違うのも当たり前か」


 アルテナは無造作に一番前の扉を開けた。埃っぽい空気と黴のような匂いが鼻を衝く。


「……こっちは使われてないわね。次よ」


 素早く中を確認して用無しと判断したアルテナは、ためらうことなく次の扉へと向かう。

 二番目に開けた扉の先は、ひと目で居住空間と分かる造りになっていた。

 簡易な木製のベットに小型の書架、それに小さな机がポツンと置かれているだけの質素な部屋。さっきのような埃っぽさもほとんどなく、明らかに使用感がある。


「ここね。わたしは本棚を探すから、マーガレットは机の方を調べてくれる?」


 一方的に告げて、アルテナはさっさと書架に手を伸ばしてまばらに収められている本をかき分けていく。


「【堕天使】の手がかり、あるかな……?」


 仕方なく、マーガレットは言われた通り机を調べることにした。

 台の上、椅子の下、抽斗ひきだしの中、ぱっと思いつくところは探ってみたが、それらしいものは見つからない。物自体が少ないから、おかしなものがあればすぐに気付くのだが。


「うーん、何にも見当たらないわ。そっちはどう?」


「反神論や悪魔学に関する本が多くて彼の思想を裏付けることは出来そうだけど、残念ながら期待したものではないわね」


 パラパラとめくっていた本を溜息と共に閉じて、アルテナは乱暴な手つきでそれを書架に戻す。


「あの牧師が何に絶望して神を見限り、【堕天使】に縋るようになったのか。せめてそれだけでも分かれば良いんだけど」


「理由が、何か関係あるの?」


「【堕天使】は人々の心に秘められた欲望を的確に刺激して誘惑するの。今後、本人と対決する機会を得た時に相手の情報はできるだけ把握しておいた方が良いでしょ? 万が一にも、わたし自身が誘惑されることがあってはならないわ」


「確かに……」


 牧師という肩書を持っていたということは、あの人はかつては敬虔な神の信徒だったのだ。そんな聖職者さえも、このリヴァーデンの支配者は容易く配下に収めている。【堕天使】の持つ力の強大さは、それだけでも明白だ。

 アルテナはやがてそいつと対峙しなくてはいけないだろう。その時のことを思うと、マーガレットですら身震いがする。果たして、勝てる相手なんだろうか?


「あのさ、アルテナは怖くないの? こんな、いつやられちゃうかも分からない仕事を続けてて……」


 アルテナの目がマーガレットの方を向く。一点の曇りも無い、澄んだ眼差しだった。


「まったく怖くないと言ったら嘘になるわね。でも、わたしに迷いは無いわ。これが、自分の歩む道だって固く信じているから」


「どうして……」


 と、マーガレットが更に追求しようとした時だ。

 アルテナが新しく書架から抜き出した本と一緒に、一枚の折り畳まれた紙片がはらりと落ちてきた。


「……!」


 ある種の直感が、マーガレットにもアルテナにも走る。

 二人は無言で目を合わせ、床に落ちた紙片を見つめた。

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