第11話 神を棄てた牧師
マーガレットは、あらわになった礼拝堂の光景を見て絶句した。
生気の失せた亡者に等しい胡乱なサーヴス達が、自らの欲望にだけ忠実なあの怪物達が、大人しく牧師の前に並んで説教を聴いているではないか。
誰も、扉を開けて入ってきたマーガレットとアルテナに注意を向けない。ただ一心不乱に礼拝堂の奥を、そこに設けられた歪な祭壇とその前に立つ牧師を見ている。
「さあ、遠慮せずこちらにいらっしゃい。ここに来るのが初めてであろうとなかろうと、この場においては皆平等です。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」
髪にもヒゲにも白いものが混じり始めたその牧師は、非常に慇懃な物腰で二人を手招きした。さっきまでの、あの不気味な説教を行っていた人物と同じとはちょっと思えないくらいだ。
「歓迎ありがとうと言いたいところだけど、こっちは暇じゃないのよ。手早く、訊いたことにだけ答えてもらえるかしら?」
「おや珍しい、まだ理性をお持ちの御方ですな」
初老の牧師は僅かに眉を上げ、興味深そうにアルテナを見た。
「……なるほど、貴女ですね。リヴァーデンの各所で、暴力沙汰を起こしているという罪深い方は」
アルテナは不敵に鼻を鳴らした。
「ふん、だったらどうだっていうの? こんな地獄が現実化したような街なんてとっとと潰すに限るわ。わたしのことを罪深いと言ったけど、世間の一般常識からずいぶんかけ離れた罪の定義ね。神を奉ずる教会の名が泣くわよ」
「貴女は分かっていない。誰もが、神の下で清く正しく生きられるとは限らないというのに」
悲しげな溜息を吐く老牧師の前に、サーヴスのひとりが進み出る。
「あ、う~……あ~……!」
よほど街に深く染まってしまっているのか、最早言葉も定かではない様子だ。そんな亡者に対し、老牧師は慈愛の表情を浮かべてうんうんと頷く。
「すみません、お待たせしてしまいましたね。今、お望みのものを顕現させましょう」
そして胸に掛けた十字架を手に握り、目を閉じて念じた。
「リヴァーデンよ、欲望の叶う楽園よ。この者の願いに応え、この者の望む物を此処に与え給え」
するとどうしたことだろう。周囲からいくつもの光の玉が浮かび上がり、老牧師とサーヴスの間を取り巻いた。黄色く光るそれらは、しばらくぐるぐると二人を取り囲みながら円を描いていたが、やがて老牧師の前に集約して形を成した。
光が薄まり、代わって形を得たものが存在感を強くしていく。完全に光が消えた後に残ったのは、木製のバスケットに入った葡萄の山だった。
「あ~! うあ~!」
そのサーヴスはたちまち歓喜の声を上げ、奪い取るように老牧師の手からバスケットを受け取る。そして取り出して実をもぎ取るのも惜しいとばかりにバスケットへ顔を突っ込み、葡萄の房にかぶりついて咀嚼し始めたのだ。
「ううっ……」
あまりにも浅ましい振る舞いに、マーガレットの心が嫌悪感でいっぱいになる。アルテナもまた飢えた餓鬼に冷たい一瞥をくれたが、すぐに老牧師に向き直る。
「今の、明らかに神の御業じゃないわよね。神様はこういう、分かりやすくて即物的な恩寵はもたらさないでしょ」
「如何にも、これは神には成し得ない奇跡です。彼の望みは、神では叶えられなかった」
老牧師は少しも悪びれずにそんなことをのたまう。とても聖職者の発言とは思えない。
「不敬もここに極まれりね。あなた、本当に牧師?」
「ええ、この街に来る以前はね。今は、新たな施しを行うのにこの恰好とこの教会が都合が良いので利用させてもらっているに過ぎません」
「得体のしれない摩訶不思議現象を納得させるために、ってこと? 神じゃないなら、一体何者がこんな茶番を仕組んでいるのかしら?」
「それはもちろん! ……と、答えてあげたいところですが、どうもそうするのは憚られますねえ」
アルテナを見つめる老牧師の目に、陰険な光が宿った。
「貴女の物腰には、明らかな敵意を感じます。現在進行系でこの街の、リヴァーデンの秩序を乱している方に、そのようなことを教えられるとお思いですか?」
「つまり、わたしに知られると都合が悪いのね。この“奇跡”を起こしているヤツってのも、案外みみっちい存在なのかしら?」
老牧師の眉が、ピクリと動いた。
「……貴女は、この街に呼ばれてやって来たわけではなさそうですね。強く自分を保ち、自力で望みを叶えられる人は、そもそもこの街を必要とはしません。なぜ、貴女は此処に居るのですか?」
「決まっているでしょ、この街を潰すためよ」
老牧師の目が細まる。
「……このリヴァーデンは、現実の世界で搾取され続けた者達が流れ着く楽園です。誰にも迷惑をかけず、ただそこに在るだけの避難所なのです。貴女はどうして、それを壊そうというのですか?」
「偽りの楽園なんて所詮は逃避よ。人生から逃げたいなら逃げれば良いわ。逃げたツケを、背負う覚悟があるのならね。でもそんな弱虫を、次から次に生み出すような温床があっても困るのよ。それは、ギリギリのところで踏みとどまろうと頑張っている人達だって堕落させてしまう毒なのだから」
「なるほど、大義名分を掲げておいでなのですね。公益のために、正義の刃を振るう。実に勇敢なお人だ。まばゆくて、見る側の目も眩みそうな独善に浸っている。貴女のように光の中を歩む方には、闇の中で必死にあがき苦しむ者達の心は分からないのでしょうね」
「どれだけ苦しもうと、曲がった道に逃げれば救いは無いわ」
アルテナは敢然と言い切った。それを聴いて、マーガレットの心にも強い衝撃が流れる。
(もしかしたら、私も、何かから逃げようとしていた……?)
何か、とはなんなのか。思い当たることと言えば、あれしかない。
(私もまた、此処に居るサーヴス達と何ら変わらない……)
暗澹とするマーガレットをよそに、アルテナと老牧師の間に流れる険悪な空気は限界を迎えようとしていた。
「無駄な議論はここまでよ!」
結論を下すように、アルテナは老牧師目掛けてビシッと人差し指を突き立てる。
「こんな碌でもない街を生み出した元凶を教えなさい!」
「……断る、と言ったら?」
「だったら腕ずくで、訊き出してみせるわよ!」
アルテナは素早く背中に手を回し、身体を一回転させながら大鎌を抜いた。畳まれていた柄が遠心力によって立ちどころに長く伸び、鎌の刃が開いて周囲の空気を斬り裂く。
マーガレットが瞬きを挟んだ後には、既に彼女は腰を落として戦闘の構えに入っていた。
「噂に違わず、実に乱暴な御方だ。こうなれば私どもも非常の手段を取らせてもらいますよ」
老牧師は慌てることなく、手を高く上げた。それを見た周囲のサーヴス達が、一斉に身体をアルテナに向けて不穏な唸り声を発する。
マーガレットを襲ったあの男と違い、彼らは言葉も定かではなく雰囲気も虚ろだ。巨大な怪物に変異するでもなく、ただただ痩せこけた四肢を不格好に動かしているだけの夢遊病間者のようにも見える。
「この街を壊そうとする不届き者です! 貴方達の手で、排除してしまいなさい!」
老牧師の号令を合図に、自我を喪失した幽鬼の群れがアルテナ目掛けて殺到した。
「甘いわ、よっ!」
アルテナは器用に手の中で大鎌を回転させながら、鎌の峰で向かってくるサーヴス達を次々と打ち据えていく。一発攻撃が当たっただけで、その幽鬼達は尽く崩れ落ちて無力化していった。
「自分の欲望に自我すら押し流されて、機械的に貪るだけになった雑魚共なんて相手じゃないわ! こちとら変異体だって何度も斃してきてるんだから!」
アルテナの言う変異体とは、あの男みたいな怪物化する力を手にした者達なのだろう。良かった、誰も彼もがあんな能力を身に着けて襲ってくるわけではないんだ。
「確かに、迷える子羊達では分が悪そうですねぇ」
マーガレットはハッとした。老牧師の顔にも言葉にも、特に焦りの色は表れていなかったのだ。
「仕方ありません。欲望を力に昇華させた我が力、存分に披露して差し上げますよ」
不敵な笑い声と共に、老牧師は両腕で自分の身体を抱きしめた。
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