第10話 悪魔崇拝

 門前に掛けられた石造りのアーチを潜り、マーガレットとアルテナは教会の敷地へと入った。


「随分古びた教会のようね」


 アルテナが呟いた通り、教会の建物はところどころ漆喰が剥げて見すぼらしい外観になっていた。

 拝廊ナルテックスに通じる玄関ドアは錆付き、壁には茨のような刺々しい植物が巻き付いている。

 上を見上げて見れば、雨樋脇に整列する小さなガーゴイル像も顔の半分が欠損していたり、翼や腕が折れて失くなっていたりしていた。

 更に地面に目を落とすと、辺りは雑草が伸び放題でまったく手入れがされていない。


「神の家なの? これが……?」


 マーガレットは信じられない思いで教会の惨状を見つめる。週に一度、家族で近くの教会へ出向いて礼拝する身からすれば、教会の敷地がこれほどまでに清潔感を失っている光景など想像もできないことだった。


「ま、こんな街にある教会なんだから、そりゃ碌でもない有り様になってても不思議じゃないでしょ」


 アルテナは呆れたというように肩をすくめた。


「取り敢えず、外側を一周してみましょう」


 見るも無惨な正面玄関を避け、二人は背の高い雑草を避けながら身廊ネイヴへと回る。

 やはりというべきか、ここもまた負けず劣らずボロボロだった。上方の一部の壁に至っては、崩れかけていて穴が空いている。


「――……」


 その穴の中から、誰かの話し声が微かに聴こえてきた。が、それはとても小さく、意味までは汲み取れない。


 アルテナは口元に人差し指を当て、足音を潜ませながらゆっくりと先に進んでいく。マーガレットも中からの声に神経を尖らせながら、慎重に後に続いた。

 身廊を通り越し、横に突き出した翼廊トランセプトを迂回して内陣チャンセルの方へと近付いていく。声は翼廊に沿って進む間に一旦聴こえなくなり、内陣に近付くに連れてだんだんと大きくなって単語が拾い取れるようになってきた。


「……神は死に、恩寵は絶えた。我らが救いは消え、後には苦しみが残るのみ。人々よ、祈るな願うな奉るな。すべて無駄だ無意味だ手遅れだ。我らが縋るは、ただ己の心のみ。己の心に潜む、大いなる力の根源なり……」


 口調だけを聴けば、牧師が唱える礼拝の文言とリズムが似通っていた。しかしその内容は、到底神への感謝や祈りとは程遠い。


「なに、これ……?」


「変わった説教ね。リヴァーデンではこれが普通なのかしら」


 皮肉をありありと滲ませながら、アルテナは口の端を吊り上げた。

 二人は内陣の最奥、後陣アプスに面した壁の前で立ち止まった。


「どうするの?」


「とりあえず、あの謳い文句をもう少し聴いてみるわ。何か情報が出てくるかも知れない」


 二人は息を潜め、後陣の方から流れてくる音声に耳を澄ませた。


「……我が言葉を信じよ。汝が心の赴くところを信じよ。この世の苦しみは、汝自身で和らげるしかない。その為の力が、汝ら人の子には備わっておる。神は汝に欺瞞を示すだけで、何も与えてはこなかった。人の子よ、今こそ目を覚ますのだ。汝が欲望を、それに気づかせてくれたこの街を、そしてこの楽園を用意してくれた、偉大なる魔界の王を!」


 最後の言葉は、ひときわ強く響いてきた。

 アルテナの表情が変わる。


「魔界の王……! やっぱりね」


「ねえ、それって……!」


 マーガレットにも心当たりがあった。神を否定し、なおかつ悪しき霊たちの棲むと言われている魔界からやってきた存在とくれば――。


悪魔サタン……!?」


「ええ、そして連中はまさしく悪魔崇拝者サタニストよ」


 マーガレットはめまいがする思いだった。次々と非現実的なことが起こり、ついにはとうとう悪魔ときたものだ。神話や伝承の世界に自分もどっぷり浸かり、そのまま頭まで沈んでいってしまいそうだ。


「この街が、悪魔の創ったものだと説いてるの……?」


「可能性としては妥当なものね。悪魔の力を借りた魔女の類が術者なのか、はたまた悪魔そのものが現世に顕現しているのかでまた変わってくるけど」


「よ、よくそんなに冷静でいられるね……!?」


「ある程度は想定していたことよ。この独立した異空間を創り、サーヴスのような怪物を生み出し得る存在といったら相当に高位な霊的存在か、またはそれに準ずる力を持つ者に限られるもの」


 そこでマーガレットは思い出した。自分の質問に曖昧な答えを返した時のアルテナの意味深な物言いを。


「まさか、私が列車で出会ったあの男って……!」


「そう、そいつが“それ”である可能性は非常に高いと見て良いわ。確かなことは、本人と接触するまで分からないと思うけど」


 ぞくぞくぞく、と背筋に毛虫が這うようなおぞましさをマーガレットは覚えた。

 あの時自分が出会ったあの青年が、悪魔ないしは悪魔憑き……!?

 自分は、悪魔の影がある相手と話していたのか……!?


「マーガレット、呆けてないでさっさと付いてきて」


 こちらの内心などいざ知らず、アルテナは再び正面玄関へと回ろうとしていた。


「ど、どうするの!?」


「この説教をしている奴が、色々と知ってそうなことは分かった。直接尋問してみる」


「ま、待って……!」


 アルテナを追おうとした時、マーガレットははたと気付いた。


 この街へ来る前の、記憶が抜け落ちている自分のことだ。


 まだ、思い出したわけではない。自分がどういう経緯であの列車に乗り、あの青年と出会うことになったのか、まるで分からない。

 だがもしも、もしもだ。

 あの青年が悪魔だったとしたら、自分の方から一度、彼に接触を図ったという可能性が高いのではなかろうか。


 なぜならば、悪魔とは往々にして人が呼び出すものだからだ。

 人の願いを聴き、対価と引き換えにそれを叶えるとされているものが悪魔だからだ。

 その結果として、このリヴァーデンに来ることになったのだとしたら?


 自分は、悪魔に何らかの願い事をしたのでは……?


「どうしたの、マーガレット?」


 気付けば、アルテナが怪訝そうに自分を見ていた。

 マーガレットは顔を振り、取り繕うように笑みを浮かべた。


「ああ、ごめん。ちょっとスカートの裾が雑草に引っかかっちゃって。もう取れたから大丈夫よ」


 と、傍に生えている比較的背の高い雑草を指差して見せる。


「まあ、そんな丈の長いお上品なスカートなら無理もないわね」


 アルテナは特に気に留めた様子もなく、ひとつ頷いて再び歩きだした。

 マーガレットはため息をひとつついて、今度こそその後を追う。

 ややあって二人は、当初の予定通り館を一周して再び正面玄関前へと立った。


「開けるわよ」


 扉に手を添えてこちらに確認を取るアルテナに、マーガレットは緊張を漲らせながらこくりと頷く。

 そして老朽化の進んだ真鍮の扉は、薄紫色の髪の少女の手でゆっくりと押し広げられてゆく。

 そこには――


「おや、お珍しい。新顔ですね。いらっしゃい、我が教会へ。さあ、こちらへおいでなさいな」


 最奥の内陣に屹立し、多数のサーヴスを前に滔々と説教を行う、ひとりの牧師風の男が居た。

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