第2話 聖女、男を滅ぼす方法を知る

 聖女フランスは、両足を適度にひらいて、両手でしっかりと燭台をにぎりしめた。目の前の鏡にうつった、その姿を見て、思わず笑う。


 バカみたい。


 魔王イギリスの姿で、こんなことするなんて。

 今日の夢は、最高ね。


「ちょっと、怖くなってきたけど、夢だし、そんな痛くないでしょ? 男の股が、そんなにとんでもない急所なんて、考えられないわ」


 そうよ、もし、男の股がそんなにとんでもない急所なら、戦争が起きたら槍なんか持たずに、全員股の殴り合いをすればいいじゃない。なんだって、あのバカみたいに大きな槍をふりまわす必要があるわけ。


「いくわよ」


 フランスは、ひとつ息を吸い込んで、燭台をふりあげる。


「あれ、ちょっとまって。どのくらいの勢いでいくべきかしら。夢とはいえ、さすがに怪我するほど打ちたくはないわね」


 ふりあげた燭台を降ろして、ためしに鏡台のはしを何度か打ちつけてみる。鏡台の角が、欠けて飛んでいった。


「まあ、ちょっと気持ち軽めでね。よし」


 フランスは、あらためて思いっきり振りかぶって、魔王の、いや、自分の股をなぐった。



 とんでもなかった。



 フランスは、無言で燭台を放り出し、苦しみもがいて床にころがった。


 声が出るレベルをこえていた。


 もはや、触れたくはない、とか言っている場合ではない。両手で、そっと、大事そうなところを包み込むようにして、支える。そうしないと、この世のすべての苦しみが、ここに一点集中しそうな気さえした。


 全身に力をこめて耐える。

 息もできない。


 なんと表現すればいいか分からない、はじめての痛みが股にあった。

 いや、股が痛いとかではない。


 中身が上がる。


 内臓が悲鳴をあげて、股のあたりから全力で逃げようとしている。


 なにこれ、吐きそう。


 フランスは、両手で大事なところをそっと支える姿で、床にころがり、耐えた。

 しばらく耐える。


 ようやっと、吐き出すように、フランスは息をした。

 痛みだけで、息すら荒れる。

 冷や汗まで出てきた。


 ちょっと、待って。

 こんなに痛いことがある?


 すべての女が決起して男の股を打てば、男は滅ぶにちがいない。


 フランスは、しばらくぼーっと床に転がったままでいた。


 痛みのショックから回復してくると、ひとつの考えが、彼女の脳内を支配した。


 これ……、もしかして、夢じゃないの?

 夢の中で、こんなにとんでもない痛みを感じることがあるかしら。


 フランスは、ふらつく身体で立ち上がった。よろよろと、窓に近づいて、窓枠に手をかけて、なんとか立つ。


「うぅ……まだ吐きそう……」


 窓の外の景色を見た。


 部屋は高い位置にあり、はるかむこうまで見渡せた。まわりは石造りの巨大な城で、城壁の向こうには、街がひろがっている。街のいたるところに、噴水が見えた。噴水の水が朝日を受けて、きらきらと輝いているのが、まるで街に星をちりばめたようで美しい。


「この景色は、大公国よね」


 城の向こうにひろがる景色は、スイス大公の治める、水の都、大公国に見えた。見慣れた景色ではないが、特徴的な噴水の多い景観は、間違いないだろう。


 フランスは昨日、この城に到着した。教国からの任を受けて、ここに出張してきたのだ。


「昨日は、ふつうに城について、荷ほどきして、ちょっと城の中を見て回って、夕食をとって……」


 フランスは、唇をとんとんと、人差し指でたたいて考える。

 癖だ。


「あとは、ふつうに、寝たわね」


 一体、何がどうなって、こんな状況になっているのかしら。

 ほんとうに、夢じゃないの?


「あ」


 フランスは今日の予定を思い出して、唇をとんとんとたたいていた人差し指の動きをとめた。


「夢じゃなければ、今日って、調印式じゃないの……」


 もう一度、鏡の前に立ってみる。

 あいかわらず、きれいな魔王の顔がそこにあった。


 魔王イギリスの顔が、嫌そうな表情を浮かべて、こちらを見返している。


「停戦協定の調印式、どうするのよ、これ」


 今日は、長らく争いをつづけている帝国と教国の、停戦協定の調印式だ。そのために、フランスも教国からわざわざ馬車に二日も揺られて、この大公国に到着した。


「これ……、もしかして、わたしが調印することになるのかな」


 魔王のふりをして?

 笑ってしまう。


 もし帝国の皇帝であるイギリスが、調印式に出なかったら、どうなるだろうか。


「いやあ、まずいわよね。この停戦協定にこぎつけるまでに、どれだけ時間がかかったと思ってるのよ」


 しかも今回の停戦協定は、いままでにあった暫定的なものではなく、無期限の停戦協定だ。この調印式が無事に終われば、講和条約の締結にすら結びつくかもしれない。


 永世中立国である大公国にあいだをとりもってもらい、教国側の要人と、帝国側の要人が集う、まあまあとんでもなく、重要なイベントだ。


 フランスは大きなため息をついた。


 現実逃避気味に、じっと、鏡の中の男の顔を見つめていると、こんこん、と扉がたたかれる。フランスは跳び上がって、扉のほうを見た。


 びっくりした!


 ひかえめなノックだった。

 フランスは、居留守を使った。


 だが、ノックは、ひかえめながらも、しつこく続いた。


 使用人かしら。

 こんな夜明けすぐに、来る?


 フランスは、おそるおそる鍵をあけて、扉をひらいた。


 扉のむこうには、布を目深にかぶった女が立っていた。


 女と目が合う。



 女は、聖女フランスの姿をしていた。

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